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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年9月23日 (日) 11:56時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「;仏法の大海は、信を能入と為(な)し、智を能度と為す。(大智度論) :問曰。諸佛經何以故初稱如是語 ::問うて曰く、諸の仏...」)

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仏法の大海は、信を能入と為(な)し、智を能度と為す。(大智度論)
問曰。諸佛經何以故初稱如是語
問うて曰く、諸の仏の経は、何を以つての故に、初めに「如是」の語と称す。
答曰。佛法大海信為能入。智為能度。如是義者即是信。
答えて曰く、仏法の大海は、信を能入と為(な)し、智を能度と為す。如是の義とは、即ち是れ信なり。
若人心中有信清淨。是人能入佛法。若無信是人不能入佛法。
もし人、心中に信有りて、清浄なれば、是の人は、能く仏法に入る。もし信なくば、是の人は仏法に入ることあたわず。
不信者言是事不如是。是不信相。信者言是事如是
信ぜざる者の言わく「是の事は、是の如くならず」と。是れ不信の相なり。信者は「是の事は是の如し」と言う。大智度論