果遂のちかひに帰してこそ
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
かすいのちかひにきしてこそ
『浄土真宗聖典全書』p371。国宝本の左訓に、
- ジリキノココロニテミヤウガウヲトナエタルオバツイニハタシトゲムトチカイタマフナリ
- 自力の心にて名号を称えたるをば、ついに果たし遂げむと誓いたまふなり。
とある。御開山の意では、
- すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。(化巻 P.413)
と第十八願の選択の願海に入られてことを果遂とされるのであった。また、
- すでにもつて真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。ゆゑに知んぬ、報仏土なりといふことを。まことに仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。(真巻 P.372)
と、仮の浄土も大悲の顕現であるとされている意から窺えば、まさに如来の本意ではないのだが「弥陀の大悲深ければ」第二十願まで建てて、化土までは迎え取るというお心でもあろう。当然、これを聞いた上からは真門自力の称名を捨てて第十八願への本願力回向の救済に帰すべきであることはいうまでもない。(浄土和讃#no66)