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『観経』の三心をえてのちに、『大経』の三信心をうるを一心をうるとは申すなり

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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『礼讃』

『観経』に説きたまふがごときは、三心を具してかならず往生を得。なんらをか三となす。

一には至誠心。いはゆる身業にかの仏を礼拝し、口業にかの仏を讃歎称揚し、意業にかの仏を専念観察す。おほよそ三業を起さば、かならずすべからく真実なるべし。ゆゑに至誠心と名づく。

二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。

三には回向発願心。所作の一切の善根ことごとくみな回して往生を願ず。ゆゑに回向発願心と名づく。この三心を具すれば、かならず生ずることを得。

もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず。『観経』につぶさに説くがごとし、知るべし。