『真宗信者の模範』
三 その称名が喚声ぢや
「たのめ、たすくる」の喚声(よびごえ)は、日夜、我等の上にくだらせられてある。されど自力の執情(しゅうじょう)は、さまざまな妨(さまた)げをして、容易にそれが聴こえない。七三朗も若い時は、兎(と)や角(かく) 思ひ煩(わづら)つて居(い)たが、ある時、美濃路(みのぢ)で、とある同行の家に泊まった。そこに一人の老媼(ばあさん)があつて、非常にお慈悲を喜んで居る。七三朗のいふようは、「私は、どうも如来の喚声(よびごえ)が聞えませぬ。どうしたならばそれを聞こえませう」と、老媼(ばあさん)いはく、「お前は何をいふて御座(ござ)る、お前の口から出る御称名(おしょうみょう)、それが如来の喚声(よびごえ)ぢや」。
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