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一向一揆

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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いっこういっき

いっこういっき 一向一揆

 本願寺門徒を中心とした一揆のこと。文明年間から天正年間にかけて、畿内・東海・北陸各地で勢力を持ち、当時の政治・社会に大きな影響を与えた。なかでも加賀一向一揆は、文明6年 (1474) に守護富樫氏の争いに介入し、さらに長享2年 (1488) に富樫政親を討って以降、およそ100年間、加賀国を支配した。『御一代記聞書』第262条に

「加州一国の一揆」 (註 1318)

とあるのは長享2年の一向一揆を指す。本願寺と一向一揆の関係は時期や地域により様々で、加賀一向一揆の場合、その主導権は享禄4年 (1531) におこった享禄の錯乱 (大小一揆) により加賀三箇寺から本願寺に移った。このほか、一向一揆による大規模な武装蜂起に、永正3年 (1506) の畿内や北陸での一揆、天文元年 (1532) 前後の畿内での一揆、元亀元年 (1570) からおよそ10年に及ぶ石山合戦や、それに呼応して蜂起した伊勢国長島 (現在の三重県桑名市) 一向一揆などがある。(浄土真宗辞典)