4 具縛(ぐばく)の凡愚(ぼんぐ)・屠沽(とこ)の下類(げるい)
「具縛の凡愚」 「屠沽の下類」 は、ともに 「信巻」(本)引用文(中国宋代の僧・元照の『阿弥陀(あみだ)経義疏』、元照の門弟・戒度(かいど)の『聞(もん)持記(じき)』)中の言葉である。
親鸞聖人は『唯信鈔文意』の中でこれを解釈して、「具縛はよろづの煩悩にしばられたるわれらなり。(中略)屠はよろづのいきたるものをころし、ほふるものなり、これはれふしといふものなり。沽はよろづのものをうりかふものなり、これはあき人なり。これらを下類といふなり」といい、煩悩具足の凡夫、殺生を生業とする猟師・漁師、物を売り買う商人のことであるといわれている。
つづいて聖人は、『五会法事讃』の「能令瓦礫変成金」という文の解釈を通して、「れふし・あき人、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。(中略) れふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり」といい、ご自身を猟師 (漁師) や商人と同じ位置において、社会的に「下類」とみなされた人々と立場を共有し、石・瓦・礫のような私たちが、阿弥陀仏より回向(えこう)された信心によって、「弥勒に同じ」、「諸仏とひとし」といわれる「こがね」のような尊厳な徳をもつものに転成せしめられるのだとよろこばれている。
親鸞聖人在世当時の社会は、古代より続いた貴族社会から新興の武士社会に移る時代であり、制度的な差別はなかった。しかし、非常に強い尊卑・貴賤の考え方があり、それが政治的にも、社会的にも複雑なありかたで人々の生活の上に差別を形づくっていた。
仏教は、本来差別を否定するものであったにもかかわらず、日本の古代からの仏教の大勢は、その時々の支配権力と結んで社会的な身分差別を容認してきた。そうした歴史的状況の中にあって善悪、賢愚、貴賤をえらばず、万人を平等に摂取したもう阿弥陀仏の本願こそ真実であると信知し、人間がつくりあげた身分や、職業の貴賤といった差別を超え、すべての人間の尊厳性と平等性を明確に主張していかれたところに親鸞聖人の宗教の特色がみられる。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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