いちぎょうざんまい
真如(しんにょ)法界(ほうかい)の平等一相を観ずる三昧。 『文殊(もんじゅ)般若(はんにゃ)経(きょう)』ではこれに入るための方便として専称名字を勧励しているが、道(どう)綽(しゃく)禅(ぜん)師(じ)、善導(ぜんどう)大師は阿弥陀一仏の名字を専称することを一行三昧の意とされる。 (行巻 P.163)