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畺良耶舎

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2005年9月26日 (月) 21:27時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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きょうりょうやしゃ

 (5世紀頃)西域の僧で、ひろく三蔵に通じていた。劉宋(りゅうそう)の元嘉(げんか)年間(424-453)のはじめ、建康(けんこう)(現在江蘇省の南京)に至り、『観経』一巻などを訳出した。その後甘粛・四川方面を巡遊して仏教をひろめたが、六十歳で江陵(現在の湖北省江陵)に没したと伝えられる。 観経 P.87

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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