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慧遠

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2010年5月23日 (日) 16:27時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (1 版)

えおん

❶廬(ろ)山(ざん)の慧遠。 (334-416)。 雁門(がんもん) (現在の山西省代県) の出身。 はじめ道安(どうあん)に学び、のち南方の廬山に入り、百余人の同志と白蓮社(びゃくれんしゃ)を結成して 『般舟(はんじゅ)三昧(ざんまい)経(きょう)』に基づく念仏三昧を修した。 時の権力者、桓玄(かんげん)が仏教教団を王権のもとに従属させようとしたのに対して、『沙門(しゃもん)不敬(ふきょう)王者(おうじゃ)論(ろん)』を著して、仏教が世俗の礼敬を超えること、王権と原理を異にするものであることを主張した。 廬山流念仏の祖。

❷浄影(じょうよう)寺(じ)慧遠 (523-592)。 敦煌(とんこう)の人。 俗姓は李氏。 十三歳のとき出家し、二十歳のとき大統の法上(ほうじょう)を和上として具(ぐ)足(そく)戒(かい)を受けた。 北周(ほくしゅう)の武帝の廃仏の際、ただ一人帝に極諫をおこない、汲郡の西山に隠棲した。 のち隋(ずい)の文帝に遇されて浄影寺に移り、講説を主として、地(じ)論(ろん)宗南道派の教学を大成した。 著書に 『大乗(だいじょう)義章(ぎしょう)』二十巻 『維(ゆい)摩(ま)義記(ぎき)』八巻 『涅(ね)槃(はん)経(ぎょう)義記(ぎき)』十巻 『観経(がんぎょう)義(ぎ)疎(しょ)』二巻などがある。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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