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乞眼の因縁

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2012年4月16日 (月) 08:19時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

大智度論釈 巻第十二

問曰。云何名不到彼岸。

問うて曰く、云何が、彼岸に到らずと名づくる。

答曰。譬如渡河未到而還。名為不到彼岸。

答えて曰く、譬えば、河を渡るに、未だ到らずして還るを、名づけて彼岸に到らずと為すが如し。

如舎利弗。於六十劫中行菩薩道。欲渡布施河。

舎利弗の如きは、六十劫中に於いて菩薩道を行じ、布施の河を渡らんと欲す。

時有乞人来乞其眼。

時に乞人有り、来たりてその眼を乞う。

舎利弗言。眼無所任。何以索之。若須我身及財物者当以相与。

舎利弗の言わく、「眼には任(た)うる所無し、何を以ってか、これを索(もと)むる。もし、わが身、及び財物を須いんとなれば、まさに以って相与うべし」、と。

答言。不須汝身及以財物。唯欲得眼。若汝実行檀者、以眼見与。

答えて言わく、「汝が身、及以(およ)び財物を須いず、ただ眼を得んと欲す。もし、汝実に檀(ダーナ)を行ぜば、眼を以って与えられよ」、と。


爾時舎利弗。出一眼与之。

その時、舎利弗は、一眼を出してこれに与う。

乞者得眼。於舎利弗前嗅之。嫌臭唾而棄地。又以脚蹋。

乞者は、眼を得るに、舎利弗の前に於いてこれを嗅ぎ、臭を嫌うて唾して地に棄て、また脚を以って蹋(ふ)めり。

舎利弗思惟言。如此弊人等難可度也。

舎利弗の思惟して言わく、「かくの如き弊人等は、度すべきこと難し。

眼実無用而強索之。既得而棄又以脚蹋。

眼は実に用無きに、強いてこれを索め、既に得れば棄てて、また脚を以って蹋む。

何弊之甚。如此人輩不可度也。不如自調早脱生死。

何んが弊なることの甚だしき。かくの如き人輩は、度す可からずなり。自ら調えて、早く生死を脱(のが)れんには如かず」、と。

思惟是已。於菩薩道退迴向小乗。

これを思惟しおわりて、菩薩道に於いて退し、小乗に迴向す。

是名不到彼岸。若能直進不退。成辦仏道。名到彼岸。

これを彼岸に到らずと名づく。もしよく直ちに進んで退かざれば、仏道を成辦す、彼岸に到ると名づく。