さとり
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了見。考え。(浄土 P.573)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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真理にめざめること。迷いの世界・苦から離れた境地。覚・覚悟・証・菩提・道などともいい、その内実から涅槃・滅度と同義で用いられる場合が多い。仏教ではこの状態に至ることを究極的な実践目的とする。(浄土真宗辞典)
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悟り、覚り(さとり)は、サンスクリット語のボーディ(梵: bodhi、菩提、目覚め)の一般的な訳語[注釈 1]であり、仏教の概念、仏語である[2][3][5][6]。迷いの世界を超え、ダンマ(ダルマ、法、真理)に目覚めること、体得することであり、迷いの反対である[2][3][7]。また、その体験の自覚的内容である真実の智慧(般若)[8]。仏教におけるダンマは、釈迦(ゴータマ、仏陀)が発見した真理である[9]。なお、悟りは必ずしも神秘体験ではない[10]。
日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくこと、察知などを意味する[11][6]。
仏教が紹介された近代西洋で独自に解釈され、永遠主義者(永遠の哲学の支持者)やニューエイジャーは、悟り(英: enlightenment)とは、人に完全な解放・真の終着点をもたらし、永続的に賢者や仏陀(悟りを開いた人、覚者)に変える究極的な神秘体験であり、全ての宗教に共通する普遍的な目的であり、全ての宗教に共通する核心だと考えている[12]。
概要
悟りとは、サンスクリット語の bodhi の訳語である。bodhiは語根 √budhi に由来し、目覚めること、知ることを原意とする[13][14]。『古事記』では智、知を「さとり」と訓じた[8]。bodhi は、悟、真実に目覚めるという意味で覚(かく)[注釈 2]、さとる、さとすという意味の漢語の覚悟、修行の結果得られるものであることから証(證)、証得、証悟等と漢訳される[3][16]また、道(どう)、得道などと漢訳される場合もあるが、これは意訳であり、中国古典における根元的実体である道と同一視したものである[13][17]。音訳は菩提[7]。仏教では人間の実存に根強くまつわる現実の苦悩から解放され自由となった状態を、涅槃、解脱、成仏[注釈 3]などと呼び[19]、悟りは、煩悩を滅した状態である涅槃(ニルヴァーナ)、輪廻を脱した状態である解脱(モクーシャ)と同義である[7][16]。釈迦(ゴータマ、仏陀)は自身の悟りについて、「いまここに『解脱』して自由になる」、「『涅槃』に入る」等と説いたと伝えられ、弟子たちの仏教集団は釈迦を「仏陀(目覚めた人)」と呼んだり、彼の悟りを「ボーディ(菩提、目覚め)」と呼ぶようになった[5]。仏陀(梵: buddha)は bodhi と同じ語根に由来する[13]。また、禅宗において根本的な悟りを得ることを大悟(たいご)という[20]。
悟りは仏教の究極の目的、根本目的であり、仏教の修行道の極致の特徴と言える[4][2][13]。悟りは、貪り、怒り、愚かさといった煩悩が除かれた心境であるが、ものを正しく見る目(正見)、智慧を伴っていなければならず、単に煩悩のない状態が悟りではない[14]。なお、悟りとは、一度悟ればそれで完成というものではなく、悟りの実質は、絶えず煩悩を超克し続ける実践にある[21][注釈 4]。
悟りは智慧(プラジュニャー(サンスクリット語)ないしパンニャー(パーリ語)。音訳:般若)を本質とし、その原型は釈迦が35歳で涅槃に達し仏陀となった時の悟りである[2][3][注釈 6]。
釈迦[注釈 7]は紀元前の南アジア(現在のインドとネパールの国境付近)に生きた人物で、シャカ族の王子として生まれ、不自由のない生活をしていたと思われ、結婚して息子をもうけたが、出家した[25]。出家の理由は、晩年の回想によると「善を求めて」のことである[26]。沙門(シュラマナ)と呼ばれるヴェーダの権威を認めない修行者について禅定(瞑想)を行ったが満足できず、壮絶な苦行を行うが悟ることはできず、青年時代に禅定を行った際に静かな喜びに満ちた境地(四禅の初禅)に至ったことを思い出し、これが悟りへ至る道だと考え、村娘スジャータから乳粥の供養を受けて体を癒し、アシュヴァッタ樹(菩提樹)の元で禅定に入り、ついに悟りを開き、涅槃(迷いや煩悩が消えた平安静寂の境地)を得、知と見が生じ、輪廻を断ったとされる[27]。
釈迦が迷いから悟りへ転じた究極的・決定的な体験は、『ウダーナ』(自説経)では「もろもろのダンマ(法)が顕れる(現れる)」と表現されている[28][29]。『ウダーナ』や『ヴィナヤ・ピタカ』(律蔵)に記されるところによれば、釈迦(仏陀)の悟りとは「ダンマ(法)が顕わになる」ことであり、これが悟りの原点である[29]。仏教の出発点は、現実の人生における人間、釈迦の苦悩であり、釈迦が覚者たる仏陀となったことを起源とし、釈迦を仏陀とならしめた「ダンマ(法)」が中心問題である[30]。仏教(仏道)は、仏(仏陀)、法(ダンマ、仏陀が発見した真理)、僧団(サンガ、ダンマを受け継ぐ集団)の三法を基盤とする[9]。
仏教学者の玉城康四郎によると、ダンマとは「形のない命のなかのいのち、ダンマとしかいいようのないもの」であり、ダンマが釈迦の全人格に通徹することで仏陀(目覚めた人)となった[4][注釈 8]。仏教において釈迦は、現実の苦悩から正しく完全に自由になり、この解放の原理となるダンマ(法)とそのマールガ(道)とを自覚し獲得した覚者であるとみなされており、釈迦は、彼自身と同じ道を同じ方法で修行し工夫するならば、同じく悟りを得て覚者になり仏となることができると説いた[30]。仏道(仏教)の実践のよりどころとはダンマであり、原始仏典におけるダンマは、「いかなる所、いかなる時においても妥当する永遠の理法、真理」を意味すると考えられ、『ヴィナヤ・ピタカ』では、ダンマは深淵で容易に理解し難く、分別の領域を超えており、不死(妄執を滅ぼし、生に執着せず、生死を超越した状態)を与えるものであり、涅槃に導くものと語られている[31]。生成流転する現実世界の在り様の中に求められるもので、ありのままの知見(如実知見)によって現れ、見られるものであり、主体的思索により直観的に把握されると考えられる[31]。仏教において崇敬の対象となるのは、神、人格神ではなく、人々を悟らしめ、仏陀たらしめる非人格的法であるダンマ(法)である[30]。ダンマは、ヴェーダにおける世界の秩序の根源の概念リタ(天則)に取って替わった言葉で、古くから使われており、釈迦や最初に説法を聞いた五比丘も、従来の意味を前提にダンマという言葉を受け止めていたと考えられるが、仏教では理法、真理の法という意味に加え、仏教の独自の概念である五蘊等の現象世界を成立せしめる物質的・心理的な基体的存在という意味も含む[32]。
如実知見は、縁起の道理(現代人が「因果律」と呼ぶような一種の自然の法則あるいは秩序)と一体的なものであり、『マッジマ・ニカーヤ』(中部)では「縁起を見る者はダンマ(法)を見る。ダンマを見る者は縁起を見る」といわれる[33][14]。縁起を見るとは、「縁起した諸法によって成り立つ人間存在の苦の生起とその滅を観じること」であり、単に分別を捨てるのではなく、それを超えていく立場を示す[33]。縁起の道理に目覚め、縁起の道理を理解・体得する智慧によって悟りが開かれる[14]。全ては縁起したものであるから、無常であり、それ自体を根拠づける不変な本質はなく、不変なものは何一つない(非我、無我)が、人間はこれを理解せず、常住性を期待しては裏切られ、アートマン(我、自己)ならざる無常なものである何かを、「わがもの」、我の延長と誤認して執着し、そこに苦が生じる[14][34]。苦の本質とは、「自己の欲するようにならないこと」であり、その原因は欲望にあり、欲望とは、渇きに喩えられるような、人を根底から突き動かすものであると考えられた[34]。釈迦は欲望を苦であると考えた[34]。欲望と苦(生老病死の四苦等)は自己の身体と深く関わり、欲望は本能的、衝動的と言われる[34]。人間は欲望に基づいて生存の快楽に囚われ、欲望から執着が生じ、執着の対象に心を捉えられ、苦しんで生きることになる[34]。なお、悟りを求める者は、苦の超克を求める者であり、全ての人間が悟りを求めるわけではない[14][35][注釈 9]。このように釈迦が説いた縁起の道理は極めて合理的で、ある意味で科学的とも言えるようなものであった[36]。釈迦は「苦しみ」と「苦しみからの最終的な解放」を縁起の道理によって説いており、彼が「縁起」を「ダンマ(法)」と呼んだかは不明であるが、その教えを継いだ仏道者たちは「縁起」を釈迦の「ダンマ」と見なした[36]。
初期の教典である『スッタニパータ』(経集)に「悟り(bodhi)」という項目はなく、老い、争い、欲望といった具体的な問題それぞれに対処する心得が教えられ、これらの迷いに挑む修行者が讃えられており、宗教学者の山折哲雄は、初期の仏教における悟りの内容は抽象的なものではなく、それぞれの具体的な苦悩を超克することであったと推定している[16]。悟りは抽象化し、後には悟りの絶対性を表すために、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら さんみゃく さんぼだい)[注釈 10]」(「無上の真実なる完全な悟り」[40])といった仏教における標語となり、唱句となった[13][16][37]。
釈迦は当時の世俗的な幸福の概念を全否定し、生死の繰り返し(輪廻)は苦そのものであり、真の安楽とは輪廻から逃れることだと考え、輪廻の原動力である業(カルマ)を生み出さない状態になり、それを維持することを目指した[41]。生命の本質である生きようとする欲望・希望が人間に強い意思作用を生じさせ、それが業を生み、業が輪廻を発動するため、釈迦はものを正しく見る目、智慧を具え、縁起の道理を理解し、生命が生きようとする欲望・希望から生じる意思作用を抑制し、ごく自然な衝動である幸福のために行動したいという思いを捨て、心を善悪の意思を離れた中立状態に維持することで、業が生じない境地を得た[41]。この教えと、本能的に生じる意思作用を制御する訓練の実践方法を望む人々(弟子)に教え、これを継続的に実践し正しく伝授するための場として仏教集団、サンガ(僧伽)が形成された[41][14]。
釈迦は悟りを開いた後、その境地を楽しんだが、自身のが悟った真理は思考の域を超え、深淵で理解し難く、他の人々に教えたところで無意味であろうと考え、説法しようとは考えなかった[42][7]。その思いを知った世界の主である梵天に請われ(梵天勧請)教えを説くようになったと伝えられ(聖求経)[7]、釈迦に続き多くの弟子たちも悟りに達したという[2]。釈迦の説法は、自身の悟りの体験を言語化して人々に伝え、その境地に導くことが根本にあった[43]。釈迦が説法を決意したのは人々への慈悲ゆえであり、仏教では、それぞれの人間が己を最も愛しく思うからこそ他者への慈悲が強調される[32]。時を経て釈迦は、ダンマに目覚め悟ったのは自分が最初ではなく、過去にもダンマに目覚めた仏がおり、未来の仏道者たちも悟りに至るだろうと考えるようになり、ダンマは「永遠に顕わになり続けているもの」とみなされ、如来と名付けられ、大乗経典への基礎となった[4]。大乗経典の『般若経』における般若波羅蜜多(智慧の完成)は、釈迦のダンマにあたる[4]。
初期仏教において、悟りの内容は四諦として体系化され、執着(渇愛)を滅する方法は八正道(四諦のうち道諦)として整理されており、悟りは体系的に言語化され理解されるという知的側面があるが、八正道に実践が含まれているように、実践を通して体得されるものである[43]。仏道を志す者が言語のみの学びに留まることはなく、必ず実践道(定)が伴う(三学)。
初期仏典における悟り・解脱に達する主な伝承の類型は、①四禅を経て三種の明知(vidyā / vijjā)[注釈 11]を得、四諦を認識して悟る「四禅三明説」、②比丘が四禅を経て六神通(abhijñā / abhiññā)[注釈 12]を得、四諦を認識して悟る「四禅六通説」、③菩薩が十支または十二支縁起を認識して仏陀と成る縁起成仏説があり、四諦(①②)と縁起(③)に大別される[47]。この3つは後世への影響が大きかった[47]。
悟りは様々に理解され、例えば、インド仏教の中観派の龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』では戯論寂滅(全ての分別が消滅して平安となる)が悟りであり、唯識派(瑜伽行派)の無著(アサンガ)の『摂大乗論』では、「最清浄法界より流れてくる響きを聞き、それが全人格体に染みついて、ついにアーラヤ識(迷いの源泉たる根本意識)が転換する」ことが悟りである[4]。インド中世初期に隆盛した宗教実践体系タントラでは、「されるものと象徴それ自体は同一である」というヨーガ(瑜伽。神秘的合一)の論理に基づいて、瞑想の中で尊格を映像的に描いて観想し一体化するというヨーガにより自己と神や仏が同一であると証得することが目指され、タントラの一部である密教(タントラ仏教)では、仏を観想するヨーガが行われ、その道具として曼荼羅やタントラ、印契が用いられた[48][49]。また、クンダリニーやチャクラ、ナディー(脈管)の概念から成る仮想の霊的身体微細身を前提に、脈管を流れるエネルギーの動きをヨーガによってコントロールすることで自己の意識を解体し、構想概念のない無分別智を作り出すという、映像化を伴わない瞑想も行われた[50]。後期密教では、象徴に表現された仏の世界の女性原理を般若波羅蜜(仏母、悟りを生む智慧)として認識し、般若波羅蜜と同置された生身の女性(大印、マハームドラー)[注釈 13]と性ヨーガ(男女の性行為を導入した瞑想法)を行うことで悟りが得られるとした[49]。中国仏教の天台宗では、10種の観法の実践により不可思議境の境地に至ることが悟りであり、華厳宗では、縁起とは形のない法身仏毘盧遮那仏のあらわれであると知り、仏道を行じ続け毘盧遮那仏に融没することが悟りであり、禅宗では、ひたすら座禅に打ち込み、師から弟子へ以心伝心で正法を伝え、自己の本性を徹見して己の仏性に気づき、成仏することが悟りであり[注釈 14]、浄土教(浄土宗)では、悟りの場所は現世でなく極楽浄土とされ、阿弥陀仏の本願力を支えに念仏を行じ極楽往生すること(他力本願)が救い[注釈 15]であり、浄土で修行して成仏・悟りを目指すとされた[4][53]。教判(仏教の分類のひとつ)では、修行に努力しこの世での悟りを目指す仏教を聖道門、阿弥陀仏にすがり、極楽往生し極楽で悟りを得ようという仏教を浄土門といい、浄土門は聖道門を自力門・難行道とみなし、浄土門は他力門・易行(いぎよう)道であるとする[54][55][56]。聖道門は、一切の衆生は仏性を有すると考え、一方浄土門は「罪悪生死の凡夫」という人間観を持ち、それが道の違いにつながっている[56]。浄土教では、釈迦の時代は遠く釈迦から直接教えを受けることはできず、その教理は深遠で凡夫には理解しがたいとして、聖道門を悟ることは難しい教えとして退ける[54]。
英訳
悟り、「bodhi」は「awakening」(覚醒)や「enlightenment」(enlightening(啓発・啓蒙)された状態、光明)と英訳される[57]。ドイツの文献学者で東洋学者のマックス・ミュラー(1823-1900)が「bodhi」を「enlightenment」と訳し、仏教における霊的・精神的達成を表す用語として広く用いられ、二次文献で確立されてきた[2][58]。英語辞書では、仏教における意味として「a final blessed state marked by the absence of desire or suffering(欲望や苦悩のない究極の恵まれた状態)[59]」と説明されている。しかし、「bodhi」は釈迦を「仏陀」(目覚めた者)たらしめたものであり、厳密には「enlightenment」ではなく「to be awakened」の方が正確である[2][58]。「enlightenment」は西洋における文化的・歴史的背景があり[注釈 16]、「enlightenment」という訳語は、言葉が持つイメージを悟りにオーバーラップさせるため、誤解を招く可能性があると批判する研究者もいる[2]。
日本の禅宗における悟りは、英語では「Satori」と表記されている[64]。
漸悟と頓悟
インド仏教では、悟りには段階があるとされ、現実の苦を超克し悟りに達するには無限とも言える時間(三阿僧祇劫)が必要であり、輪廻を繰り返して修行を重ねることで、ようやく悟りに近づくことができると考えられた[2][65]。修行者はたゆまぬ訓練で段階的に悟りの体験を深化させていく[2][66]。順序を追ってだんだんと悟ることを漸悟という[65]。密教は、この世において悟りを獲得し解脱に至ることができる(即身成仏)と説き、悟りに至るまでに膨大な時間がかかるとする仏教を顕教と呼んだ[67]。
中国仏教では、今のこの人生を輪廻を繰り返し修行を重ねた悟りへの最終段階と考え、全ての人間は皆仏性を備え、清浄であり(自性清浄)、智慧と徳性をも具えており、本来そのまま仏であるという「本来成仏」の理を前提に、一挙に悟る頓悟を説いた[65][66][68][69]。中国で生まれた禅宗には、漸悟の北宗禅と頓悟の南宗禅があり、北宗禅は大勢力を誇っていたが、安史の乱で両京が破壊されたことで支持基盤を一気に喪失して衰退、消滅し、以降禅宗は南宗禅の系統が発展した[70][注釈 17]。中国仏教では、漸悟も頓悟の存在を前提とするものとなり、漸悟も頓悟的に受けとめられている[65][66]。