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仏説 無量寿経 (巻上)

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年7月14日 (土) 18:38時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

存覚法語

高祖聖人の御選述『教行証文類』の序にいはく、「難思の弘誓は難度海を度する大船、无碍の光明ば无明の闇を破する慧日なり」と。已上

 弥陀不共の利生この一文にあらはれ、凡夫出離の用心この一句にたれりとす。いはゆる難思の弘誓といふは如来別意の弘誓、果分不可説の法門なるがゆへに、佛意の建立するところ因位の測量のをよぶべきにあらず。いはんや凡慮は分をへだてたることをあらはすことばなり。こゝをもて『大経』(巻下)には、「如来の智慧海は深広にして涯底なし、二乗はかるところにあらず、たゞ佛のみひとり明了なり」といひ、『小経』には、「六方の諸佛舌相をのべて証誠したまふに、不可思議の功徳を称讃す」とときたまへり。たゞ智願の広海の不可思議なるのみにあらず、国土の荘厳も不可思議なり。
これによりて論主(浄土論)は二十九句の荘厳をあかして依正の功徳をほむるとき、「かの佛国土の荘厳は不可思議力を成就せり」といひ、宗師(般舟讃)は念佛の行者初生の相をいふとして、「佛生人をひきゐて観看せしめたまふ、いたるところはたゞこれ不思議なり」といへり。されば若不生者の ちかひむなしからずして成じたまへる正覚なるがゆへに、正報の功徳の佛果、无漏の万徳を円満したまへるも、しかしながら我等が往生の決定することをあらはし、依報の荘厳の第一義諦妙境界の相を成就したまへるも、ひとへに無縁の大悲にむくはずといふことなし。

しかるあひだ、おこしたまふところの誓願も諸佛に超絶して鄣重根鈍の衆生をたすけ、まうけたまふところの浄土も三界に勝過して湛然寂静の妙相を感成せり。安居院の大和尚(唯信鈔意)の「この極楽世界は二百一十億の諸佛の浄土のなかに、悪をすてゝ善をとり麁をすてゝ妙をとりて、さまざまにすぐりいだせることを嘆ずるには、たとへばやなぎのえだにさくらのはなをさかせ、ふたみのうらにきよみがせきをならべたらんがごとし」といへり。をろかなるこゝろになをあくところなくあらまほしきは、かのたおやかなるえだにさきたらんはなの、春秋をわかず、ちることなくてひさしくにほひ、その名たかき浦々の月のかげをならべたらんが、よる・ひるのさかひなくて、いつもてらさんをみばやとおぼゆるは、この景色によせてかの厳飾をおもひやらんとなり。
難度海といふは生死の大海なり。凡地と聖道とのなかに、この大海をへだてゝわたることたやすからず。これにつきて三乗の法舟あり、声聞は四諦を観じてこれをわたり、縁覚は十二因縁を観じてこれをわ たり、菩薩は六波羅蜜を行じてこれをわたる。慳貪・破戒・瞋恚・懈怠・散乱・愚癡の六弊は所度の海なり、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六度は能度の船なり。なをくはしくこれを論ぜば、教により宗にしたがひてその修行まちまちなるべし。生滅・无生・无量・无作の四諦を観じ、五重唯識・八不中道の観門等、みなこれ流転生死の愛海をしのがんとする方便の船なり。
しかるにこれらの行をたづぬるに、もしは根性利者のなすところ、もしは大根志幹の修するところなるがゆへに、三乗の修行いづれもたてが
たきによりて、たまたまその門におもむくひとも、退縁にあひぬれば不退のくらゐにいたりがたし。いかにいはんや、とき末代にをよび人下機になりぬ、いづれの行をつとめ、いかなるふねをもとめてか、このうみをわたりてかのきしにいたるべき。
生死をはなれんこと、たとひそのこゝろざしありとも、そののぞみ達しがたし。こゝに弥陀の本願は、かの諦・縁・度の法をもこゝろにかけず、戒・定・慧の三学をも身に行ぜざるともがら、法財をば煩悩の賊にうばゝれ、佛性をば癡惑のやみにおほはれたれば、たゞ六道にめぐりて、さらに出離の方法をしらざるに、如来かゝるたぐひをたすけんがために、おこしたまへる大慈大悲の弘誓、无上殊勝の本願なれば、ひとたび帰命の誠心をいたし、わづかに六字の名号を称するに、たちどころに横超断四流の益を えて、ひそかに三界沈没の暴流をたち、つゐに速証无生身のくらゐにのぼりて、すみやかに法性常楽のさとりをひらかんこと、まことにこれ難度の海をわたる大船、難思の弘誓のきはまりなり。またく行人の功にあらず、ひとへに佛願のちからによれり。
无碍の光明といふは、すなはち『大経』にとくところの十二光佛のそのひとつなり。二六の尊号のなかに、その功能ことにすぐれたり。『阿弥陀経』には「かの佛の光明无量にして十方の国をてらすに障碍するところなし」といひ、『観経』には「念佛の衆生を摂取してすてたまはず」とときたまへるを、和尚(礼讃)この両経のこゝろによりて、かの佛の名義を釈したまふに、无所障碍の文と、摂取不捨の文とを、ひきまじへてのち、「かるがゆへに阿弥陀となづく」と結したまへり。かの光明の障碍するところなきは摂取のためなり。摂取のゆへに阿弥陀の号をえたまへば、衆生の往益はひとすぢにこの嘉号によるときこへたり。このゆへに天親菩薩も一心帰命のこゝろざしをのべたまふに、あまたの徳号のなかに、えらびて尽十方無碍光如来と礼したまへり。
おほよそ弥陀如来の利生に、无能碍者の徳あるも、この名号の功用なり。そのゆへは、衆生もろもろの邪業繋につながれて三界の牢獄にとらはれ、よろづの果縛にかゝはりて生死を解脱することあたはず、業愛癡の縄ひとをしばりてをくれば、われら いかでか獄卒の呵責をまぬかれん。業風のふくにしたがひて苦のなかにおつれば、罪人なんぞ泥梨の苦にもれん。あるひは悪口・両舌・貪・瞋・慢、八万の地獄にみな周遍すともいひ、あるひは佗人三宝のとがを論説すれば死して抜舌泥梨のなかにいるともいへり。しかるにこれらの三業の罪●は多生のあひだにもことごとくこれををかし、かくのごときの一切の惑障は今世にもみなこれを具せり。染浄の因にこたへて善悪の果をうるならば、垢障覆深の凡夫なにゝよりてか輸廻の果報をまぬかるべき。曠劫の流転もこれによれり、未来の沈淪もまたおなじかるべし。

しかりといへども佗力に帰し佛願をたのみて信心を発得し名号を称念すれば、ながく生死の苦域をはなれて无為の浄土にいたることは、しかしながら无碍光佛の利益によりて无能碍者の威力をほどこしたまふゆへなり。无明の闇の破する慧日といふは、世間の闇冥を破することは日輸にこえたるはなく、愚癡の昏迷をのぞくことは智慧にすぎたるはなし。かるがゆへにならべて法・喩をあぐることばなり。その本説をたづぬれば『大経』にいでたり。佗方の菩薩の安養に往詣して教主を供養したてまつることば(巻下)に「慧日世間をてらして生死の雲を消除す」といへる、これなり。憬興師この文を釈して(述文賛巻下)いはく、「慧日といふはたとへにしたがへたる名なり、惑と業と苦 との三は、よく真空をよび智の日月をおほふこと、すなはち雲の虚空と日月とをおほふにおなじ、かるがゆへに生死雲といふ。佛智真に達して、よく自佗の惑・業・苦のさはりをのぞく、かるがゆへに慧日といふ」と。[已上]

また宗師『観経』にとくところの佛日を解する文(序分義)には、「たとへば日いでゝ衆闇ことごとくのぞこるがごとし、佛智ひかりをかゞやかせば、无明の夜、日ほがらかなり」とのたまへり。弥陀・釈迦二尊の利益ことなるに似たれども、慧日・佛日・智光の功用准じてしりぬべし。
されば聖道門のこゝろならば、みづから智慧のひかりをかゞやかして生死のやみをのぞくべし、もし智慧のひかりなからんたぐひは、その明闇なにゝよりてかはるゝことをえん。しかるに如来利佗の慧日、衆生黒業のやみをてらしたまふゆへに、をのれがちからにて生死の罪業をのぞくことあるまじけれども、弥陀无碍の光明、一切の悪業にさへられず衆生を摂取したまふにより、愚惑の凡身をあらためずして、かならず清浄の智土に生ずるなり。略してかの序のはじめのことばを解することかくのごとし。

そもそも弥陀如来の、深重の本願をおこし殊妙の国土をまうけたまへるは、衆生をして三輪をはなれしめんがためなり。その三輪といふは、一には无常輪、二には不浄輪、三には苦輪なり、この義慈恩大師の『阿弥陀経の通賛』にみえたり。

また慧心の『往 生要集』(巻上本)に十門をたつるなかの、第一に厭離穢土の相を判ずとして、人間のいとふべきことをあかすにもこの三をあげたり。かの『集』には不浄・苦・无常とつらねたり。
一に无常輪といふは、この世のなかのさだめなくはかなきありさまなり。『大経』にこのことはりをときて、あるひは(巻下)「愛欲栄華つねにたもつべからず、みなまさに別離すべし」といひ、あるひは(巻上)「処年寿命よくいくばくもなし」といへり。
つらつらおもんみれば、輪王高貴のくらゐ七宝つゐに身にしたがふことなく、釈天宝象のあそび四苑ながくまなこにへだつる期あり。あふいで六欲・四禅をおもふに三界のうちにうらやましかるべきところなし、ふして三悪・四趣をうかゞふに六道のあひださながらみなかなしみをまぬかるべきところにあらず。人間南浮のわづかなるいのち、粟散辺国のいやしき果報、なんぞ著楽をなすべきや。不死のくすりをもとめし秦皇・漢武もむなしくさりぬ、たゞ悲風の釃山・杜陵のふもとにむせぷあり。

武勇のはかりごとに長ぜし樊噲張良も名をのみのこせり、いま遷変有為のあだをふせぐ弓箭あることをきかず。綺羅の三千もそらにおひたり、漢李・唐楊のたほやかなりしすがたも一聚のちりとなりぬ。付法蔵の賢聖もことごとくかくれぬ、有智高行の聖人もかたざらぬは无常の殺鬼なり。老少不定のさかひなれば、さかりなるひとも おほくゆく。生者必滅のことはりなれば、おひぬるひとはましてとゞまらず。鳥部山のけぶり、みねにものぼりふもとにもたつ、われもいつかそのかずにいらん。あだし野の露、あしたにもきえ、ゆふべにもおつ、たれとてもよそにやはおもふべき。
後鳥羽の禅定上皇の遠島の行宮にして宸襟をいたましめ浮生を観じましましける御くちずさみにつくらせたまひける『无常講の式』こそ、さしあたりたることはり耳ぢかにてよにあはれにきこえ侍るめれ。

その勅藻をみれば、「あるひはきのふすでにうづんで、なみだをつかのもとにのごふもの、あるひはこよひをくらんとして、わかれを棺のまへになく人あり。
おほよそはかなきものはひとの始・中・終、まぼろしのごとくなるは一期のすぐるほどなり。三界无常なり、いにしへよりいまだ万歳の人身あることをきかず、一生すぎやすし。いまにありてたれか百年の形体をたもつべきや、われやさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、をくれさきだつひとは、もとのしづくすゑのつゆよりもしげし」といへり。
またちかごろ、智行名たかくきこゆる笠置の解脱上人のかゝれたることばも、よにやさしく肝にそみておぼゆ。そのことば(愚迷発心集)には「風葉の身たもちがたく草露のいのちきえやすし。[乃至]南隣にも哭し北里にも哭す、人ををくるなみだいまだつきず。山下にもそひ原上にもそふ、ほねをうづむ つちかはくことなし。いたましきかな、まのあたりことばをまじへし芝蘭のとも、いきとゞまりぬればとをくをくり、あはれなるかな、まさしくちぎりをむすびし断金のむつび、たましゐさりぬれば、ひとりかなしむ」といへり。かやうのことはりは目のまへにみゆれば人ごとにしりがほなれども、欲塵に著し境界にほださるゝならひなれば、凡夫としておどろかざる、まことにはかなかるべし。

しかれば『座禅三昧経』(巻上意)には、「今日この事をいとなみ明日かの事をなさん、楽著して苦を観ぜざれば死賊のいたることをさとらず、忿々として衆務をいとなめば日夜のさることをさとらず」といひ、『大般涅槃経』(北本巻二南本巻二)には、「一切のもろもろの世間に、生あるものはみな死に帰す、寿命无量なりといへどもかならずをはりつくることあり、それさかんなるものはかならずおとろふることあり、あひあふものは別離することあり」とときたまへり。
かゝる无常のかなしみは浄土にあらずばのがれがたく。この有待のすが
たは生死をはなれずばいかでかあらためん。三乗の修行みなこの无常の果報をまぬかれてかの常住の極位にいたらんとすれども、修因成ぜざれば証果むなしきに似たり。

しかるを弥陀の願力にすがりて安養の往生をとげぬれば、かの土は无為涅槃のさかひ、无衰湛然のところなるがゆへに、みづからの功行をからず、佛力の加被 によりて、ながく生死の无常輪をのがれ、真常の宝所にいたるなり。

二に不浄輪といふは、この身の汚穢にして浄潔ならざることをいふなり。これにつきて三種あり、種子不浄、自体不浄、究竟不浄なり。種子不浄といふは、この身は栴檀のたねよりも生ぜず蓮華のくきよりもいでず、中有のかたちをすて業識を胎内にやどすはじめより、その種子またくこれ不浄なり。
自体不浄といふは、三百六十のほねあつまりて身形を成じ、三万六千のちすぢながれて気命をたもつ、五臓・六府みなこれ不浄なり、涕唾・便痢ひとつとしてきよからず。たとひ海水をかたぶけてこれをあらふとも自体の不浄をばきよむべからず、たとひ沈・檀をたきてこれに薫ずとも本性の臭穢をばあらたむべからず。やなぎのまゆみどりなりといへどもその実体を観ずるに耽著すべきにあらず、はなのかほばせこまやかなりといへどもただこれ画せるかめに糞穢をいれたるがごとし。智行兼備のやんごとなき聖人達もかりのいろにめでゝ行業をむなしくすること、三国にそのためしおほし。肉身の不浄をば現量にも識知し、聖教の明文にむかふときは、一旦その道理を甘心することなきにあらざれども、无明のまよひによりてみづからの心を調伏せざること、欲界繋の煩悩の所為ちからなきことなり。五欲を貪求すること、相続してこれつねなり。
「たとひ清心をおこせども、なをし水にゑがくがごとし」(序分義)といへる。濁世の凡心は、覧愚ともに、おそらくはいたくかはらずもや侍べるらん。

 究竟不浄といふは、ふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、日かずをふるまゝにそのいろを変じ、次第にあひかはるに九相あり。しかれども、すなはち野外にをくりてよはのけぶりとなしはてぬるには、九相の転移をみず、たゞ白骨の相をのみみれば、たしかにそのありさまをみぬによりて、をろかなるこゝろにおどろかぬなるベし。たまたま郊原・塚間をすぐるに、おのづからその相をみるときは、一念なれども、しのびがたきものなり。紅顔そらに変じて桃李のよそほひをうしなひぬれば、たちまちに胮脹爛壊のすがたとなり、玄鬢身をはなれて荊棘のなかにまつはれぬれば、烏犬噉食のこゑのみあり。あるひは爪髪分散してこゝかしこにみてるところもあり。
あるひは手足腐敗して東西にちれるところもあり。まことにこれ不浄の究竟するところ、そもそもまた有待のしからしむるきはまりなり。もし浄刹にいたらずば、いかでかこの不浄の性をあらたむることあらんや。
三に苦輪といふは、三界・六道みなこれ苦なれども四苦・八苦はことに人間にあり、貴賤ことなりといへどもことごとくこれをそなへ、貧富おなじからざれどもこれに なやまされずといふことなし。四苦といふは生・老・病・死なり、八苦といふはこれに愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦。五陰盛苦をくはふ。もし壮年にして世をはやくすぐる人は老苦をうけざるあり、もし富有にしてたからをもとむることなからんひとは貧苦をまぬかるゝあり、そのほかのともがらはこれらの苦をのがるべからず。これによりて光明寺の大師(序分義)は、「この五濁・五苦・八苦等は六道に通じてうく、いまだなきものあらず、つねにこれに逼悩せらる。もしこの苦をうけざるものは、すなはち凡数の摂にあらず」とのたまへり。

『倶舎論』(巻二二)のなかに凡夫の苦をうけながらみづからしらざる相を判じていへることあり、「ひとつのまつげをもてたなごゝろにをけばひとさとらず、もし眼睛のうへにをけば損をなしをよびやすからず、愚夫は手掌のごとし行苦のまつげをしらず、智者は眼睛のごとし縁じてきはめて厭怖を生ず」といへり。たゞし人天の両趣にはすこしきの楽なきにあらず、すべて地居・空居の勝報いづれもとどりなれども、ことに三十三天の快楽などはたぐひすくなくこそきこゆれ。
しかれども、たゞたのしみにのみまつはれてさらに佛道を修せず、曠劫流転よりこのかた六道経歴のあひだ、われらもさだめてかれらの生をうくる世もありけん。しかるに殊勝池ののみづ閼伽にむすばずしてむなしくすぎ、歓喜苑のはなぶ さ佛界に供することなくしていたづらにちりにしかば、かへりて下界におちていまだ輪廻をまぬかれぬこそ、うたてくはづかしけれ。人間の果報にも金輪・銀輪、飛行の至尊はまふすにおよばず、異朝・本朝、理世の聖主もまふすにあたはず、さならぬひとも、豪姓の位にむまれて身を玉楼金闕のうちにやすくし、富貴のいへにありてくらに珠玉・錦繍のたからをみてたる人、先世の福因もゆかしく当時の栄耀もうらやましかるべけれども、それもたゞ今生の豊楽にほこりて後世の資糧をこゝろにか
けずば、松樹千年のよはひもつゐにかぎりあらんとき、火車八獄のむかへ、たちまちにきたらんをばいかゞふせぐべき。こゝろをたのしましむとも、いくばくかあらん、須臾にすなはちすつるがゆへなり。楽とおもふも妄想なり、実によれば苦受なるがゆへなり。

「おほよそ三界やすきことなし、なをし火宅のごとし、衆苦充満してはなはだ怖畏すべし」(法華経巻二)と佛ときたまへば、いづれのさかひか煩悩の火宅にあらざらん、たれのともがらか生死の衆苦をうけざるべき。苦をうけながらまよひて楽とおもひ、さとらずいとはざるは愚夫のならひなれども、一分も因果のことはりをわきまへ、まして後世をねがはんたぐひ、この苦因の制しがたきことをしり、その苦果のまぬかるまじきことをおもひて、自力にてははなるまじき生死の根源をたゝんこ とは、ひとヘに佗力をもてたすけたまふ如来の恩徳なりとあふぐべきなり。

无常輪をはなるゝことは、无量寿の佛徳によりて、衆生もおなじく常住の寿命をうればなり。『阿弥陀経』に、「かの佛の寿命をよびその人民も无量无辺阿僧祇劫なり、かるがゆへに阿弥陀となづく」といへる、その義ことに甚深なり。佛の正覚は衆生の往生によりて成じ、衆生の往生は佛の正覚によりて成ずるがゆへに、機法一体にして能所不二なるいはれあれば、佛の寿命も衆生の寿命もあひおなじくして、无常をのがれ常住をうることもかはることなきなり。
このゆへに『法事讃』(巻下)には、「一念に空に乗じて佛会にいりぬれば、身色寿命ことごとくみなひとし」とほめ、『般舟讃』には、「身を常住のところに安ぜんとおもはゞ、まづ要行をもとめて真門にいれ」とをしへ、『往生礼讃』には、あるひは「无生の果をえんとおもはゞ、かの土にかならずすべからくよるべし」といひ、あるひは「浄国は衰変なし、ひとたび立して古今しかなり」といへり。

 不浄輪をさることは、阿弥陀佛をば無量清浄佛となづけたてまつり、極楽をば一乗清浄无量寿世界と号するゆへに、身土清浄にして、依報も正報も有漏の垢穢をはなれ、能化も所化もみな無漏の浄体なり。こゝをもて『大経』の説をみるに、諸佛の衆会の菩薩につげて安養の往覲をすゝめたまふことば(大経巻下)には、「法をきゝてこのんで 受行して清浄のところをえよ」とをしへ、四十八願のなかをみるにも、あるひは「一切万物厳浄光麗ならん」(大経巻上)といひ、あるひは「国土清浄にして諸佛の世界を照見せん」(大経巻上)とちかひたまへり。
このゆへに往生をうるひとは、貪瞋の惑をはなれて自然虚无の身をうけ、清白の法をきゝて離蓋清浄の報をうく。これすなはち雑生の世界には四生まちまちなりといへども、をのをの惑業の感ずるところ不浄の生元なり。かの安楽国土は雑業の所生にあらずして、同一にに念佛し、ながく胞胎をたちて如来正覚の華より化生するがゆへに、生ずるものはことごとく清浄の体をうるなり。

 苦輪をいづることは、ことに大悲の本意、これ済度の極致なり。すでに国を極楽となづけ、また安楽と号す。苦果をはなるゝこと、そらにしんぬべし。こゝをもて『大経』(巻上)には、「三途苦難の名あることなし、たゞ自然快楽のこゑのみあり」といひ、『小経』には、「もろもろのくるしみあることなし、たゞもろもろのたのしみをのみうく」とときたまへり。しかのみならず、『論』(浄土論)には荘厳无諸難功徳成就をあかして、「ながく身心の悩をはなれて楽をうくることつねに无間なり」といひ、『註』(論註巻上)にこれを釈するには、「身悩といふは飢渇・寒熱・殺害等なり、心悩といふは是非・得失・三毒等なり」といへり。

また大師処々の解釈にも、おほく受楽の義をあかして、衆生をして欣慕せしめた まへり。いはゆる『観経義』(定善義)には宝地の讃をつくりて、「西方寂无為の楽は、畢竟逍遙して有无をはなれたり」といひ、『般舟讃』には「かくのごときの逍遙快楽のところに、さらになんのことを貪してか生ずることをもとめざらん」とすゝめ、『礼讃』には、「生ぜんと願ずること、なんのこゝろにか切なる、まさしく楽の无窮なるがためなり」といへる解釈等これなり。われら愚癡の身、罪悪生死の機、苦因を断ぜざれば苦果をのがるべからず、楽因をたくはへざれば楽果をうべからず。しかるに弥陀如来、凡夫のためにかまへたまへる西方の浄土は、よこさまに五悪趣をきるがゆへに、本願の強縁によりて極楽の往生をとげぬれば、をのづから不遭苦患の利をえて、たゞ凞怡快楽の益にあづかるなり。
『往生要集』(巻上末)に十楽をたつるなかの第五に、快楽不
退楽をあかして離苦得楽の相をのべたり。その文にいはく、「かの西方世界は楽をうることきはまりなし、人天交接して、ふたつながらあひみることをう。慈悲心に薫じて、たがひに一子のごとし。ともに瑠璃の地のうへに経行し、おなじく栴檀のはやしのあひだに遊戯す。宮殿より宮殿にいたり、林池より林池にいたるに、もししづかならんとおもふときは風浪・絃管をのづからみゝのもとにへだゝり、もしみんとおもふときは山川・渓谷なをまなこのまへに現ず。香・味・触・法、念にしたがひてまたしか なり。あるひは飛梯をわたりて伎楽をなし、あるひは虚空にあがりて神通を現ず。あるひは佗方の大士にしたがひて迎送し、あるひは天人聖衆にともなひて遊覧す。
あるひは宝池のもとにいたりて新生のひとを慰問す、なんぢしるやいなや、このところをば極楽世界となづく、この界の主をば弥陀佛と号したてまつる、いままさに帰依すべし。あるひはおなじく宝池のうちにあり、をのをの蓮台のうへに坐して、たがひに宿命の事をとく[乃至]あるひはともに十方の諸佛利生の方便をかたり、あるひはともに三有の衆生抜苦の因縁を議す、議しをはりて縁ををひてあひさり、かたりをはりてねがひにしたがひてともにゆく。あるひはまた七宝のやまにのぼり、八功の池に浴して寂然宴黙し、讀誦解説す。かくのごとく遊楽すること相続してひまなし。ところはこれ不退なればながく三途八難のをそれをまぬかれ、いのちはまた无量なればつゐに生・老・病・死の苦なし。心事相應すれば愛別離の苦なく、慈眼ひとしくみれば怨憎会の苦なし。白業の報なれば求不得の苦なし、金剛の身なれば五盛陰の苦なし。ひとたび七宝のうてなに託しぬればながく三界苦輸の海をわたる」と。[已上]

いまかすかに聖教の所説をきゝてもなを渇仰のこゝろをもよほす、たゞちにみづから无為の法楽をうけん、むしろ歓喜のおもひにたへんや。

総じて三輪をはなるゝことは、如来の荘厳清浄功徳成就のゆへなり。その功徳といふは、『論』(浄土論)に「かの世界の相を観ずるに三界の道に勝過せり」といへる、これなり。
『註』(論註巻上)にこの文を解するには、「この清浄はこれ総相なり、佛もとこの荘厳功徳をおこしたまふゆへは、三界をみるに、これ虚偽の相、これ輪転の相、これ无窮の相なり。これ蚇蠖の循環するがごとく、蠶蠒のみづから縛するがごとし。あはれなるかな、衆生この三界にむすぼゝれて不浄に転倒せること。衆生を不虚偽のところ、不輪転のところ、不无窮のところにをきて、畢竟安楽大清浄処をえしめんとおぼす。
このゆへにこの清浄荘厳功徳をおこしたまへり。成就といふは、いふこゝろは、これ清浄にして破壊すべからず、汙染すべからず。三界はこれ汙染の相、これ破壊の相なるがごとくにはあらざるなり」といへり。このなかに虚偽といふは転倒の義なり、すなはち无常を常とおもひ、不浄を浄と執し、苦を楽と計するこゝろなり。これに无我を我とおもへるこゝろをくはへて四倒といふなり。輪転といふは、涅槃の常住をえざれば六道に経歴するなり。无窮といふは、その輪転の一世にあらず二世にあらず、はじめもなくはてもなきことをあらはすなり。
『摩訶止観』(巻一上)に「善悪輪環す」といへるを、『弘決』(止観輔行巻一之三)にこれを釈すとして、「善は非想に通じ悪は无間にきはまる、のぼりてまたし づむ、かるがゆへになづけて輪とす。はじめもなくきはもなし、これをたとふるに環のごとし」といへる、これそのこゝろなり。三輪ことなれども、すべてこれをいふに大苦にあらずといふことなし。この大苦を対治して畢竟安楽大清浄処をえせしめたまふなり。世すでに末世なり、これを利益するはことに弥陀の本願なり、機また下機なり、これを引入するは浄土の一門なり。時をはかりて行じ、分をかへりみて修すベし。

なかんづくに女人の出離はことにこの教の肝心なり、もし无漏の智水をほどこさずばいかでか五障の垢塵をすゝぐことあらん。もし名号の梵風をあふがずばなんぞ三悪の猛火をけすべきや。第十八の願に「十方衆生」といへる、ひろく男女にわたるといヘども、別して女人往生の願をおこしたまへるは、ことに諸佛の済度にもれたる重障をあはれみ、十方の浄土にきらはれたる極悪をたすけんとなり。これによて『観経』の発起をたづぬるに、韋提の厭苦よりいでゝ定散随佗の二善をとくといヘども、つゐに弘願随自の一門をあらはしゝかば、夫人たちまちに大悟无生の益をえ、侍女おなじく阿耨菩提の心をおこしゝよりこのかた、三従を具せりといへども三明を証せんことかたからず、女身をうけたりといへども佛身をえんことをしる。も ともそのあとををひてねがふべし、たれかその益をきゝてもとめざらんや。
ほのかにきく、日本正治二年庚申四月十二日、大内羅城門のあとにして、農夫田のなかよりおほきなる石をほりいだすことありけり。たかさ六尺、ひろさ四尺、うへに文字あり。
奇異のことなるによりて東寺より奏聞しければ、勅使をたてられ、文士をえらばれてこれをみせらるゝに、その字古文なるが、つちのそこにありてそこばくの年序をへぬれば、点画たしかならざるによりて、たやすくよむひとなし。そのとき月輪の禅定殿下の教命として黒谷の聖人かのところにむかひ、その字を御覧ぜられてこれをよみたまひけり。その文字には、「前代所伝者、聖道上人之教、我朝未弘者、此宗旨也。
大同二年仲春十九日執筆嵯峨帝国母」といふ三十六字なり。聖人のたまひけるは、大同のころほひ浄教いまだきたらず、さきよりつたはれる聖道の教に対してこの宗旨といへるは浄土の法門なり。国母といへるは在世の韋提の再誕なりと料簡したまひければ、叡感ことにはなはだしくて、すなはち聖人のうつされたる本を平等院の宝蔵におさめられけるとなん。聖人の出世にあたりて権化の未来記をえたる、時機の純熟、宗旨の恢弘、もともたふとむべし。平城天皇の御宇大同二年丁亥より、土御
門院の御宇正治二年庚申にいたるまで三百九十四年ををくり、その翌年建仁元歳 辛酉より、いま今上聖暦永和五年己未にいたるまで百七十九年をへたり。大同のむかしよりいまゝでは、あはせて五百七十三年にあたる。年紀渺焉のすゑにあたりて利物偏増のときにあへり、宿縁のをふところ慶喜もともふかし。さてもかの聖人の禅房に、ことのやうけだかくしかるべき貴女とおぼしき人ののぞみたまひけるが、乗御のよそほひもみえず来入の儀もさだかならで、のどかに対面をとげねんごろに法門の沙汰ありければ、勢観上人あやしくおもはれけるに、かへりたまふときは乗車なりければ、ひそかにあとををいてみらるゝに、賀茂の河原のほとりにてにはかにみうしなひたてまつられければ、いとゞ奇特のおもひをなし、いぶかしさのあまりに、事の子細を聖人に啓せられけるに、それこそ韋提希夫人よ、賀茂の大明神にてましますなりとこたへたまひけり。かの大明神の御本地をば、ひとたやすくしらず、たとひしれる人も左右なくまふさぬことにてはんべるとかや。いま聖人ののたまふところも、いづれの佛・菩薩とはおほせられねば、当社の故実をばわすれたまふにはあらで、しかも韋提の垂迹としり、あまさへまのあたり神体を拝したまひけるは、大権のいたりいよいよ信敬するにたれり。しかれば夫人のあとをまもりて住生をねがはんひと、和光の冥助にもあづかり、聖人のをしへをあふぎて安養をも とめんともがら、出離の直道にむかひて女人も悪人もともに救済をかうぶり、自証も利佗もすみやかに円満せん。これしかしながら弥陀招喚の願力、釈尊発遣の大慈、かねてはまた歴代明師の遺恩、列祖聖人の余徳なり。あふぐべし、信ずべし。

:右就浄教大綱、書与法語一句哉之由、依得契縁禅尼之請書之。本来无智之上、近曾廃学之間、屡雖令固辞、偏難避懇望之故也。不及深思、不能再案、只任浮心即記
 苟以遂志為詮、叵謂肝要之文言。亦耻臂折之書役。堅可禁外見、旁為顧後謗而 已。

 文和五歳[丙申]三月四日
              釈 存 覚[六十七歳]
 永和五歳[己未]二月廿二日書写之
              執筆桑門善如判