十疑論
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
じゅうぎろん
『浄土十疑論』のこと。 『阿弥陀十疑論』ともいう。 一巻。 天台大師智顗の撰とされるが、疑問が持たれている。 往生浄土の法門について十種の疑難を設けて答えたもの。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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じょうどじゅうぎろん/浄土十疑論
一巻。『十疑論』『天台十疑論』『阿弥陀仏十疑論』『阿弥陀決十疑』とも呼ばれる。著者不明。古来、天台智顗の真撰とされてきたが、近代以降の研究によって偽撰説が定説化され、八世紀前半の成立とされている。本書は浄土教に関する十箇の疑義を挙げて一々に答え、悪業深重の凡夫や女人などの未断惑の者であっても阿弥陀仏の本願力・光明力によって西方極楽浄土へ往生することができることを示している。智顗に仮託された書物であるが、智顗の著作や思想に通ずる点はなく、天台的な解釈すら一切見いだせない。本書に称名念仏が強調されることはないが、内容の中心は凡夫の往生の可否にあり、曇鸞・道綽・善導・懐感の影響を色濃く受けた浄土教典籍といえる。具体的には、難行道と易行道、自力と他力の法門等が示されて浄土往生を願求する必然性が説き明かされ、十方浄土と西方浄土、兜率上生と西方往生、臨終の十念による往生、別時意説の否定、女人・根欠者・二乗(声聞・縁覚)の往生の可否、凡夫俗人の往生行等の問題が論じられている。本書の後代への影響は大きく、中国では、最古の引用である飛錫『念仏三昧宝王論』をはじめ、中国唐代以降の天台系浄土教者に流布し、宋代には延寿や知礼、遵式などの浄土教者に受容され、澄彧『註浄土十疑論』や継忠『十疑論科』、元照『浄土十疑論科文』といった注釈書も作られている。明代でも智旭によって『浄土十要』に加えられている。日本においては、平安期に最澄によって将来されて以降、良源や源信等によって広く用いられ、禅瑜はその影響を受けて『阿弥陀新十疑』を著している。法然も『選択集』や『逆修説法』に引用しており、『浄土初学抄』には「天台の御意、往生門においては念仏を以て行と為して、余行を以て因と為すこと無しと見えたり。五大部の章疏の外に別に十疑論を作りて往生極楽の行は念仏門なりと釈す…然らば、往生の為には本宗(天台宗)の人なりと雖も此の十疑の文を学び、念仏の法門を学ぶべきなり」(昭法全八三二〜三)と述べて本書の学習を勧めている。
【所収】浄全六、正蔵四七
【参考】佐藤哲英『天台大師の研究』(百華苑、一九六一)
【執筆者:吉水岳彦】