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正道…生ず

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2020年9月5日 (土) 16:19時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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正道大慈悲 出世善根生

 この二句は荘厳性功徳成就と名づく。

仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、愛欲をもつてのゆゑにすなはち欲界あり。 攀厭禅定をもつてのゆゑにすなはち色・無色界あり。この三界はみなこれ有漏なり。邪道の所生なり。長く大夢に寝ねて出でんと悕ふを知ることなし。このゆゑに大悲心を興したまへり。「願はくはわれ成仏せんに、無上の正見道をもつて清浄の土を起して三界を出さん」と。{薄字は中略}

「性」はこれ本の義なり。
いふこころは、この浄土は法性に随順して法本に乖かず。事、『華厳経』の宝王如来の性起の義に同じ。 またいふこころは、積習して性を成ず。法蔵菩薩、諸波羅蜜を集めて積習して成ずるところを指す[1]。また「性」といふは、これ聖種性なり。 序め法蔵菩薩、世自在王仏の所において、無生法忍を悟りたまへり。その時の位を聖種性と名づく。この性のなかにおいて四十八の大願を発してこの土を修起せり。すなはち安楽浄土といふ。これかの因の所得なり。果のなかに因を説く。ゆゑに名づけて性となす。
またいふこころは、「性」はこれ必然の義なり、不改の義なり。海の性の一味にして、衆流入ればかならず一味となりて、海の味はひ、かれに随ひて改まらざるがごとし。 また人の身の性は不浄なるがゆゑに、種々の妙好の色・香・美味、身に入ればみな不浄となるがごとし。 安楽浄土はもろもろの往生するもの、不浄の色なく、不浄の心なし。畢竟じてみな清浄平等無為法身を得ることは、安楽国土清浄の性、成就せるをもつてのゆゑなり。
「正道大慈悲 出世善根生」[2]とは、平等の大道なり。平等の道を名づけて正道となす所以は、平等はこれ諸法の体相なり。諸法平等なるをもつてのゆゑに発心等し。発心等しきがゆゑに道等し。道等しきがゆゑに大慈悲等し。大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆゑに「正道大慈悲」といへり。慈 悲に三縁あり。一には衆生縁、これ小悲なり。二には法縁、これ中悲なり。三には無縁、これ大悲なり。大悲はすなはち出世の善なり。安楽浄土はこの大悲より生ぜるがゆゑなり。ゆゑにこの大悲をいひて浄土の根となす。ゆゑに「出世善根生」といへり。


  1. 御開山は「法蔵菩薩を指す。もろもろの波羅蜜を集めて積習して成ぜるところなり。」と訓じられている。
  2. 原典版では「正道大道大慈悲」となっている。所覧本が、正道についての大道といふ註が本文に紛れ込んだものか。