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高僧和讃(国宝本)

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2021年6月29日 (火) 21:03時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「 <nowiki> Ⅱ-0403淨土高僧和讚 愚禿親鸞作 龍樹菩薩 付釋文 十首 (一) 本師龍樹菩薩は 『智度』・『十住毗婆沙』等 つくり...」)

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Ⅱ-0403淨土高僧和讚 愚禿親鸞作

龍樹菩薩 付釋文 十首

(一)
本師龍樹菩薩は
『智度』・『十住毗婆沙』等
つくりておほく西をほめ
すゝめて念佛せしめけり

Ⅱ-0404(二)
南天竺に比丘あらむ
龍樹菩薩となづくべし
有無の邪見を破すべしと
世尊はかねてときたまふ

(三)
本師龍樹菩薩は
大乘无上の法をとき
歡喜地を證してぞ
ひとえに念佛すゝめける

Ⅱ-0405(四)
龍樹大士よにいでゝ
難易ふたつのみちをとき
流轉輪回のわれらおば
弘誓のふねにのせたまふ

(五)
本師龍樹菩薩の
おしえをつたえきかむひと
本願こゝろにかけしめて
つねに彌陀を稱すべし

Ⅱ-0406(六)
不退のくらゐすみやかに
えむとおもはむひとはみな
恭敬の心に執持して
彌陀の名號稱すべし

(七)
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらおば
彌陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける

Ⅱ-0407(八)
『智度論』にのたまはく
佛は无上法王なり
菩薩は法臣としたまひて
尊重すべきは世尊なり

(九)
一切菩薩のゝたまはく
われら因地にありしとき
无量劫をへめぐりて
萬善諸行を修せしかど

Ⅱ-0408(一〇)
恩愛はなはだたちがたく
生死はなはだつきがたし
念佛三昧行じてぞ
罪障を滅し度脫せし

已上龍樹菩薩

天親菩薩 付釋文 十首

Ⅱ-0409(一一)
釋迦の敎法おほけれど
天親菩薩はねむごろに
煩惱成就のわれらには
彌陀の弘誓をすゝめしむ

(一二)
安養淨土の莊嚴は
唯佛與佛の知見なり
究竟せること虛空にして
廣大にして邊際なし

Ⅱ-0410(一三)
本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功德の寶海みちみちて
煩惱の濁水へだてなし

(一四)
如來淨華の聖衆は
正覺のはなより化生して
衆生の願樂ことごとく
すみやかにとく滿足す

Ⅱ-0411(一五)
天・人不動の聖衆は
弘誓の智海より生ず
心業の功德淸淨にて
虛空のごとく差別なし

(一六)
天親論主は一心に
无㝵光に歸命して
本願力に乘ずれば
報土にいたるとのべたまふ

Ⅱ-0412(一七)
盡十方の无㝵光佛
一心に歸命するをこそ
天親論主のみことには
願作佛心とのべたまへ

(一八)
願作佛の心はこれ
度衆生のこゝろなり
度衆生の心はこれ
利他眞實の信心なり

Ⅱ-0413(一九)
信心すなわち一心なり
一心すなわち金剛心
金剛心は菩提心
この心すなわち他力なり

(二〇)
願土にいたればすみやかに
无上涅槃を證してぞ
すなわち大悲をおこすなり
これを回向となづけたり

Ⅱ-0414已上天親菩薩

曇鸞和尙 付釋文 三十四首

(二一)
齊朝の曇鸞和尙は
菩提流支のおしえにて
仙經ながくやきすてゝ
淨土にふかく歸せしめり

Ⅱ-0415(二二)
四論の講說さしおきて
本願他力をときたまふ
具縛の凡衆をみちびきて
涅槃のかどにぞいらしめし

(二三)
世俗の君子幸臨し
敕して淨土のゆへをとふ
十方佛國淨土なり
なにゝよりてか西にある

Ⅱ-0416(二四)
鸞師こたえてのたまはく
わがみは智慧あさくして
いまだ地位にいらざれば
念力ひとしくおよばれず

(二五)
一切道俗もろともに
歸すべきところぞさらになき
安樂勸歸のこゝろざし
巒師ひとりさだめたり

Ⅱ-0417(二六)
魏の主敕して幷州の
大巖寺にこそおはしけれ
やうやくおわりにのぞみては
汾州にうつりたまひにき

(二七)
魏の天子はたふとみて
神巒とこそまふしけれ
おはせしところのそのなおば
鸞公巖とぞなづけたる

Ⅱ-0418(二八)
淨業さかりにすゝめつゝ
玄忠寺にこそおはしけれ
魏の興和四年に
遙山寺にこそうつりしか

(二九)
六十有七ときいたり
淨土の往生とげたまふ
そのとき靈瑞不思議にて
一切道俗歸敬しき

Ⅱ-0419(三〇)
君子ひとえにたふとみて
敕宣くだしてたちまちに
汾州汾西秦陵の
勝地に靈廟たてたまふ

(三一)
天親菩薩のみことおも
鸞師ときのべたまはずは
他力廣大威德の
心行いかでかさとらまし

Ⅱ-0420(三二)
本願圓頓一乘は
逆惡攝すと信知して
煩惱・菩提體无二と
すみやかにとくさとらしむ

(三三)
いつゝの不思議をとくなかに
佛法不思議にしくぞなき
佛法不思議といふことは
彌陀の弘願になづけたり

Ⅱ-0421(三四)
彌陀の廻向成就して
往相・還相ふたつなり
これらの回向によりてこそ
心行ともにえしむなれ

(三五)
往相の回向ととくことは
彌陀の方便ときいたり
悲願の信行えしむれば
生死すなわち涅槃なり

Ⅱ-0422(三六)
還相の回向ととくことは
利他敎化の果をえしめ
すなわち諸有に回入して
普賢の德を修するなり

(三七)
論主の一心ととけるおば
曇鸞大師のみことには
煩惱成就のわれらが
他力の信とのべたまふ

Ⅱ-0423(三八)
盡十方の无㝵光は
无明のやみをてらしつゝ
一念歡喜するひとを
かならず滅度にいたらしむ

(三九)
无㝵光の利益より
威德廣大の信をえて
かならず煩惱のこほりとけ
すなわち菩提のみづとなる

Ⅱ-0424(四〇)
罪障功德の體となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さわりおほきに德おほし

(四一)
名號不思議の海水は
逆謗の死骸もとゞまらず
衆惡の萬川歸しぬれば
功德のうしほに一味なり

Ⅱ-0425(四二)
盡十方无㝵光佛の
大慈大悲の願海に
煩惱の衆流歸しぬれば
智慧のうしほと轉ずなり

(四三)
安樂佛國に生ずるは
畢竟成佛の道路にて
无上の方便なりければ
諸佛淨土をすゝめけり

Ⅱ-0426(四四)
諸佛三業莊嚴して
畢竟平等なることは
衆生虛誑の身口意を
治せむがためとのべたまふ

(四五)
安樂佛國にいたるには
无上寶珠の名號と
眞實信心ひとつにて
无別道故とときたまふ

Ⅱ-0427(四六)
如來淸淨本願の
无生の生なりければ
本則三三の品なれど
一二もかわることぞなき

(四七)
无㝵光如來の名號と
かの光明智相とは
无明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまふ

Ⅱ-0428(四八)
不如實修行といえること
鸞師釋してのたまはく
一者信心あつからず
若存若亡するゆえに

(四九)
二者信心一ならず
決定なきゆえなれば
三者信心相續せず
餘念間故とのべたまふ

Ⅱ-0429(五〇)
三信展轉相成す
行者こゝろをとゞむべし
信心あつからざるゆへに
決定の信なかりけり

(五一)
決定の信なきゆへに
念相續せざるなり
念相續せざるゆへ
決定の信をえざるなり

Ⅱ-0430(五二)
決定の信をえざるゆへ
信心不淳とのべたまふ
如實修行相應は
信心ひとつにさだめたり

(五三)
萬行諸善の小路より
本願一實の大道に
歸入しぬれば涅槃の
さとりはすなわちひらくなり

Ⅱ-0431(五四)
本師曇鸞大師おば
梁の天子蕭王は
おはせしかたにつねにむき
鸞菩薩とぞ禮しける

已上曇鸞菩薩

道綽禪師 付釋文 七首

Ⅱ-0432(五五)
本師道綽禪師は
聖道萬行さしおきて
唯有淨土一門を
通入すべきみちととく

(五六)
本師道綽大師は
涅槃の廣業さしおきて
本願他力をたのみつゝ
五濁の群生すゝめしむ

Ⅱ-0433(五七)
末法五濁の衆生は
聖道の修行せしむとも
ひとりも證をえじとこそ
敎主世尊はときたまへ

(五八)
鸞師のおしへをうけつたへ
綽和尙はもろともに
在此起心立行は
此是自力とさだめたり

Ⅱ-0434(五九)
濁世の起惡造罪は
暴風駛雨にことならず
諸佛これらをあわれみて
すゝめて淨土に歸せしめり

(六〇)
一形惡をつくれども
專精にこゝろをかけしめて
つねに念佛せしむれば
諸障自然にのぞこりぬ

Ⅱ-0435(六一)
縱令一生造惡の
衆生引接のためにとて
稱我名字と願じつゝ
若不生者とちかひけり

已上道綽和尙

善導禪師 付釋文 二十六首

Ⅱ-0436(六二)
大心海より化してこそ
善導和尙とおはしけれ
末代濁世のためにとて
十方諸佛に證をこふ

(六三)
よよに善導いでたまひ
法照・少康としめしつゝ
功德藏をひらきてぞ
諸佛の本意とげたまふ

Ⅱ-0437(六四)
彌陀の名願によらざれば
百千萬劫すぐれども
いつゝのさわりはなれねば
女身をいかでか轉ずべき

(六五)
釋迦は要門ひらきつゝ
定散諸機をあわれみて
正雜二行方便し
ひとえに專修をすゝめしむ

Ⅱ-0438(六六)
助正ならべて修するおば
すなわち雜修となづけたり
一心をえざるひとなれば
佛恩報ずるこゝろなし

(六七)
佛號むねと修すれども
現世をいのる行者おば
これも雜修となづけてぞ
千中无一ときらはるゝ

Ⅱ-0439(六八)
こゝろはひとつにあらねども
雜行雜修これにたり
淨土の行にあらぬおば
ひとえに雜修となづけしむ

(六九)
善導大師證をこい
定散二心をひるがへし
貪瞋二河の譬喩をとき
弘願の信心守護せしむ

Ⅱ-0440(七〇)
經道滅盡ときいたり
如來出世の本意なる
本願眞宗にあひぬれば
凡夫念じてさとるなり

(七一)
佛法力の不思議には
諸邪業繫さわらねば
彌陀の本弘誓願を
增上縁となづけたり

Ⅱ-0441(七二)
願力成就の報土には
自力の心行いたらねば
大小聖人みなながら
如來の弘誓に乘ずべし

(七三)
煩惱具足と信知して
本願力に乘ずれば
すなわち穢身すてはてゝ
法性常樂證せしむ

Ⅱ-0442(七四)
釋迦・彌陀は慈悲の父母
種種に善巧方便して
われらが无上の信心を
發起せしめたまひけり

(七五)
眞心徹到するひとは
金剛の心なりければ
三品の懺悔するものと
ひとしと宗師はのたまへり

Ⅱ-0443(七六)
五濁惡世のわれらこそ
金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてゝ
自然の淨土にいたるなれ

(七七)
金剛堅固の信心の
さだまるときをまちえてぞ
彌陀の心光攝護して
ながく生死をへだてけれ

Ⅱ-0444(七八)
眞實信心えざるおば
一心かけぬとおしえたり
一心かけたるひとはみな
三信具せずとおもふべし

(七九)
利他の信樂うるひとは
願に相應するゆへに
敎と佛語にしたがへば
外の雜縁さらになし

Ⅱ-0445(八〇)
眞宗念佛きゝえつゝ
一念无疑なるをこそ
希有最勝人とほめ
正念をうとはさだめたれ

(八一)
本願相應せざるゆへ
雜縁きたりみだるなり
信心亂失するをこそ
正念うすとはのべたまへ

Ⅱ-0446(八二)
信は願より生ずれば
念佛成佛自然なり
自然はすなわち報土なり
證大涅槃うたがはず

(八三)
五濁增のときいたり
疑謗のともがらおほくして
道俗ともにあひきらい
修するをみてはあだをなす

Ⅱ-0447(八四)
本願毀滅のともがらは
生盲闡提となづけたり
大地微塵劫をへて
ながく三塗にしづむなり

(八五)
西路を指授せしかども
自障障他せしほどに
曠劫已來もいたづらに
むなしくこそはすぎにけれ

Ⅱ-0448(八六)
弘誓のちからをかぶらずは
いづれのときにか娑婆をいでむ
佛恩ふかくおもひつゝ
つねに彌陀を念ずべし

(八七)
娑婆永劫の苦をすてゝ
淨土无爲を期すること
本師釋迦のちからなり
長時に慈恩を報ずべし

Ⅱ-0449已上善導和尙

源信大師 付釋文 十首

(八八)
源信和尙のたまはく
われこれ故佛とあらはして
化縁すでにつきぬれば
本土にかへるとしめしけり

Ⅱ-0450(八九)
本師源信ねむごろに
一代佛敎のそのなかに
念佛一門ひらきてぞ
濁世末代すゝめける

(九〇)
靈山聽衆とおはしける
源信僧都のおしえには
報化二土をおしえてぞ
專雜の得失さだめたる

Ⅱ-0451(九一)
本師源信和尙は
懷感法師の釋により
『處胎經』をひらきてぞ
懈慢界おばあらはせる

(九二)
專修のひとをほむるには
千无一失とおしえたり
雜修のひとをきらふには
萬不一生とのべたまふ

Ⅱ-0452(九三)
報の淨土の往生は
おほからずとぞあらわせる
化土にむまるゝ衆生おば
すくなからずとおしえたり

(九四)
男女貴賤ことごとく
彌陀の名號稱するに
行住座臥をえらばれず
時處諸縁もさわりなし

Ⅱ-0453(九五)
煩惱にまなこさえられて
攝取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわがみをてらすなり

(九六)
彌陀の報土をねがふひと
外儀のすがたはことなりと
本願名號信受して
寤寐にわするゝことなかれ

Ⅱ-0454(九七)
極惡深重の衆生は
他の方便さらになし
ひとえに彌陀を稱してぞ
淨土にむまるとのべたまふ

已上源信和尙

源空聖人 付釋文 二十首

Ⅱ-0455(九八)
本師源空よにいでゝ
弘願の一乘ひろめつゝ
日本一州ことごとく
淨土の機縁あらわれぬ

(九九)
智慧光のちからより
本師源空あらわれて
淨土眞宗をひらきつゝ
選擇本願のべたまふ

Ⅱ-0456(一〇〇)
善導・源信すゝむとも
本師源空ひろめずは
片州濁世のともがらは
いかでか眞宗をさとらまし

(一〇一)
曠劫多生のあひだにも
出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずは
このたびむなしくすぎなまし

Ⅱ-0457(一〇二)
源空三五のよわいにて
无常のことわりさとりつゝ
厭離の素懷をあらわして
菩提のみちにぞいらしめし

(一〇三)
源空智行の至德には
聖道諸宗の師主も
みなもろともに歸せしめて
一心金剛戒師とす

Ⅱ-0458(一〇四)
源空在世のそのときに
金色の光明はなたしむ
兼實博陸まのあたり
拜見せしめたまひけり

(一〇五)
本師源空の本地おば
世俗のひとびとあひつたへ
綽和尙と稱せしめ
あるいは善導としめしけり

Ⅱ-0459(一〇六)
源空勢志と示現し
あるいは彌陀と顯現す
上皇・群臣尊敬し
京夷庶民欽仰す

(一〇七)
承久の太上法王は
本師源空を歸敬しき
釋門・儒林みなともに
ひとしく眞宗をさとりけり

Ⅱ-0460(一〇八)
諸佛方便ときいたり
源空ひじりとしめしつゝ
无上の信心おしえてぞ
涅槃のかどおばひらきける

(一〇九)
眞の知識にあふことは
かたきがなかになほかたし
流轉輪廻のきわなきは
疑情のさわりにしくぞなき

Ⅱ-0461(一一〇)
源空光明はなたしめ
門徒につねにみせしめき
賢哲・愚夫もえらばれず
豪貴・鄙賤もへだてなし

(一一一)
命終その期ちかづきて
本師源空のたまはく
往生みたびになりぬるに
このたびことにとげやすし

Ⅱ-0462(一一二)
源空みづからのたまはく
靈山會上にありしとき
聲聞僧にまじわりて
頭陀を行じて化度せしむ

(一一三)
粟散片州に誕生して
念佛宗をひろめしむ
衆生化度のためにとて
この土にたびたびきたらしむ

Ⅱ-0463(一一四)
阿彌陀如來化してこそ
本師源空としめしけり
化縁すでにつきぬれば
淨土にかへりたまひにき

(一一五)
本師源空のおわりには
光明紫雲のごとくなり
音樂哀婉雅亮にて
異香みぎりに映芳す

Ⅱ-0464(一一六)
道俗男女豫參し
卿上雲客群集す
頭北面西右脇にて
如來涅槃の儀をまもる

(一一七)
本師源空命終時
建曆第二壬申歲
初春下旬第五日
淨土に還歸せしめけり

Ⅱ-0465已上源空聖人

已上高僧和讚 一百十七首

彌陀和讚・高僧和讚都合
二百二十五首
寶治第二戊申歲初月下旬第一日
釋親鸞W七十六歲R書之畢
見寫人者必可唱南无阿彌陀佛

Ⅱ-0466(正四)
南无阿彌陀佛をとなふれば
衆善海水のごとくなり
かの淸淨の善みにえたり
ひとしく衆生に廻向せむ