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別伝記云

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2021年10月29日 (金) 10:54時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

「別伝記」とあることから『醍醐本法然上人伝記』に追記された伝であろう。 ここでは、通説と違って法然聖人が比叡山へ登られた後に、父の漆間時国が殺されたとしている。 法然聖人が教えをうけた四人の師が、返って法然聖人の弟子となったことが説かれてい。当時は自分の名前二字を記し二字を捧げることは弟子となる意であった。文末で公胤が「源空本地身は、大勢至菩薩なり」と讃嘆しているように。まさに智慧の法然房であった。


別伝記云

別伝記云
別伝記に云く。

法然上人、美作州人也、姓漆間氏也、本国之本師智鏡房 {本ハ山僧}

法然上人は美作州の人なり。姓は漆間氏なり。本国の本師は智鏡房。{もとは山僧なり}

上人十五歳、師云非直人欲登山。

上人十五歳、師ただ人にあらず云いて山に登らしめんと欲す。

上人慈父云、我有敵、登山之後聞被打敵可訪後世云々

上人の慈父云く、我に敵(かたき)有り、登山の後に敵に打たれたるを聞かば後世をとぶらうべしと、云々。

即十五歳登山、黒谷慈眼房為師出家授戒。

すなわち十五歳にして山に登り、黒谷の慈眼房を師となし出家授戒せり。

然間慈父被打敵畢云、上人聞此由師乞暇遁世セムト云。

しかるあいだ慈父敵に打たれて畢(おわ)ると云、上人この由を聞き、師に暇(いとま)を乞い、遁世セムト云。

遁世之人無智悪候也、依之始談義於三所、謂玄義一所、文句一所、止観一所也。

遁世の人も無智なるは悪く候うなり、これに依り三所において談義を始む。いわく『玄義』一所、『文句』一所、『止観』一所なり[1]

毎日遇三所、依之三箇年亘六十巻畢。

毎日三所に遇い、これに依りて三箇年に六十巻[2]にわたり畢んぬ。

其後籠居黒谷経蔵、披見一切経、与師問答。

その後、黒谷の経蔵に籠居し、一切経を披見し、師と問答す。

師時閉口、師即捧二字云、知者為師、今上人返為師云々。

師、時に閉口す。師すなわち二字をささげて云く、知れる者を師となす、今上人を返りて師となすと、云々。

又花厳宗章疏見立、醍醐有花厳宗先達行決之。

また華厳宗の章疏を見立て、醍醐に華厳宗の先達あり、行きてこれを決す。

彼師云鏡賀法橋、法橋云、我雖相承此宗 此程不分明、依上人開処処不審云々

かの師をば鏡賀法橋と云、法橋の云、我この宗を相承すといへども、この程 分明ならず、上人に依りて処々の不審を開くと云々。

依之鏡賀二字即受梵網心地戒品。

これによりて鏡賀二字を、すなわち『梵網』の心地戒品を受く。

或時自御室鏡賀許 花厳 真言勝劣判可進云々

ある時、御室より鏡賀のもとへ華厳・真言の勝劣判じて進むべしと云々。

依之鏡賀思念、仏智照覧有憚、真言為勝。

これに依りて鏡賀思念すらく、仏智照覧にはばかり有りとも真言を勝となす。

爰上人、鏡賀許出来給、房主悦云、自御室有如此之仰云々。

ここに上人、鏡賀のもとへ出で来たもう、房主よろこびて云く、御室よりこのごときの仰ありき。

上人問、何様判思食。

上人問う、いかように判ずるとかおぼしめすと。

房主云如上申、此上人存外次第也。

房主云、上のごとく申す、この上人、存外次第なり。

源空所存一端申サムトテ、花厳宗勝真言事一一被顕、

源空所存の一端を申さんとて、華厳宗の真言に勝れたる事をいちいち顕わせらる。

依之房主承伏、御室返答、花厳勝タル之由申畢。

これにより房主承伏して、御室の返答に華厳勝れたりの由、申し畢んぬ。

其後智鏡房自美作州上洛、上人奉二字但真言宗中河少将阿闍梨受之、

その後、智鏡房は美作州より上洛して、上人に二字を奉る。ただ真言宗をば中河少将阿闍梨これを受く。[3]

法相法門見立蔵俊決之、蔵俊返二字。

法相の法門を見立て蔵俊これを決し、蔵俊返て二字す。

已上四人師匠皆進二字状、竹林房法印静賢奉値上人取念仏信 {其文者心義也}

已上四人の師匠、みな二字状を進ず。竹林房法印静賢は上人に値(あ)い奉りて念仏の信を取る。{その文とは心義なり}

三井公胤於殿上七箇不審開上人。

三井の公胤は殿上において七箇の不審を上人に開かる。

上人老耄之後不見聖教三十年、其後山僧筑前弟子、為令遂竪義参上人、内内談法門。

上人老耄の後、聖教を三十年見ず、その後山僧筑前弟子が、竪義を遂げしめん為に上人に参上し、内々法門を談ず。

竪者云、三十年不見聖教被仰、文々分明事、当時勧学越非直之人御云々。

竪者の云く、三十年聖教を見ずと仰せを被(こうむ)るとも、文々分明の事、当時の勧学にも越えたまへり、ただびとには非ずと御しけりと、云々。

公胤夢見云、源空本地身、大勢至菩薩、衆生教化故、来此界度度云々

公胤夢に見て云、源空本地身は、大勢至菩薩なり、衆生教化のゆえに、この界に度々(たびたび)来たると、云々。

御臨終日記

三昧発得記


末註:

  1. 『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』のこと。
  2. 天台大師智顗の、『妙法蓮華経文句』10巻、『妙法蓮華経玄義』10巻、『摩訶止観』10巻と、妙楽大師湛然の、『止観輔行伝弘決』10巻、『法華玄義釈籤』10巻、『法華文句記』10巻を60巻というか。
  3. 中河少将阿闍梨とは『法然上人行状画図』に出る中川の少将上人のことか。→実範