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廟堂

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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びょうどう 廟堂

 一般には祖先や先人を(まつる)る堂をいう。浄土真宗においては、文永9年((1272)に親鸞の廟堂が創立され、 これが後に本願寺となった。 →大谷廟堂


いわゆる「お東騒動」の結果、実権を握った改革派は、京都市下京区常葉町にある真宗大谷派本山を「真宗本廟」に改称した。
これは左派の坊主にだまされた「同朋会運動」の結果だったのだが、いわゆる選ばれた(民主集中)坊主による「民主独裁」で、門徒は梯子を外されたのであった。

左巻きは、無知蒙昧な民衆(門徒)と、それを指導する我ら(知的坊主)といふ対立構造に立ちやすいのだが、これを実行したのが、他者の死(葬儀)によって永代懇志として経済的利得を計ってきた大谷派の坊主であった。 大谷派の坊主は、自己の存在の基底を洞察する能力が無いから、新しい思想であるマルクスの「宗教はアヘン」といふ言葉を無邪気に信じたのだろう。西欧かぶれのあほだけど。