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本師

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ほんし

Ⅰ 本宗の祖師。 (行巻 P.205, 高僧 P.578,真巻 P.363二門 P.548)

Ⅱ 根本師仏のこと。 (持名鈔 P.1000

Ⅲ 根本の導師。 (口伝鈔 P.895, 教行大意 P.952, 講私記 P.1066

Ⅳ 根本の師。 (法事讃 P.518)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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ほんし 本師 

Ⅰ 根本の導師の意。一般的には釈尊のこと。『般舟讃』には「まことにこれ娑婆本師の力なり。もし本師知識の勧めにあらずは、弥陀の浄土いかんしてか入らん」(信巻引文・註 260) 等とある。また、一切の諸仏は阿弥陀仏を師としてさとりをひらいた弟子仏であり、極楽浄土より十方に出現した阿弥陀仏の分身 (末仏) であるから、阿弥陀仏を本師本仏という。『御文章』2帖目第3通には「諸仏・菩薩と申すことは、それ弥陀如来の分身なれば、十方諸仏のためには本師本仏なるがゆゑに」(註 1113)とある。

Ⅱ 一宗の祖師のこと。親鸞は、七高僧の敬称として多く用いている。

御開山は『正信念仏偈』で「本師曇鸞梁天子」「本師源空明仏教」と本師とされておられる。また『和讃』では「本師龍樹菩薩は」「本師道綽禅師は」とされておられるのだが、天親菩薩と善導大師については本師とされておられない。意図は不明。