もし宿善開発の機にてもわれらなくは
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
しゅくぜんかいほつのきにてもわれらなくは
「われらもし宿善開発の機にてもなくは」、または「もし宿善開発の機にてもなくはわれら」の倒置。(御文章 P.1151)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- もし宿善開発の機にてもわれらなくは、むなしく今度の往生は不定なるべきこと、なげきてもなほかなしむべきはただこの一事なり。(御文章 P.1151)
ここでの「われら」は阿弥陀仏の救済の対象としての我らである。しかし、「われらなくは、むなしく今度の往生は不定なるべきこと」を文面上で読めば、この我らは法を説く坊主たちなのかといふ疑問も生じる。
家のじいさんは十数年にわたってこの問いをお寺や多数の坊さんや布教使に問うたのだが全く返事が無かったことに落胆していた。