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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2022年8月10日 (水) 06:19時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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『浄土真宗聖典全書』六 「高田上人代々聞書」p.1222

本願寺大谷に在し時、真恵上人と蓮如上人と等閑なし。真恵御在京は、大谷より請待にて入御ましますこと数月也。 此時までは、本願寺一向不肖の体也。其時、御本尊の仏餉をば衆へ請取て食之、開山の仏餉をば下妻へ請取て食之、二つともに下妻納所として取さばき也。此時、本願寺不肖なれば、毎日京へ出でゝ米七升づゝ買取、朝夕の食にとゝのへ申すと、下妻丹後、真恵上人へ御物語申上ると也。 又此時、真恵上人と蓮如と堅約を定玉て日、高田・本願寺両家の門徒を互に不可取と云々。其後、三河国に和田・野寺とて寺あり、久しき高田の末寺なり。和田寺に住持なきこと久しゝ。真恵の御意を得て、本願寺の庶子を住持せしむ。元来、本願寺のゆかりなる故に、終に本願寺へ帰入せり。野寺をも蓮如取れり。 時に日来の堅約破たりとて、真恵上人と蓮如と御義絶なり。其後、加賀の国をも蓮如これを取る。