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浄土和讃(国宝本)

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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『浄土真宗聖典全書』聖教データベースから転載の原文

本文フォーマット

1.本テキストデータベースのデータは、聖教の本文のみ(細字・割書・傍註・本文註含む)で、右左訓や訓点、本文に付されている校異番号や連絡頁、記号などはデータに含まれません。

2.改頁箇所には"Ⅱ-0000"の形で通し頁数を付しました。ローマ数字(Ⅰ~Ⅵ)は『浄土真宗聖典全書』の巻数を示し、これに続く4桁の半角数字は頁数を示しています。

3.本文の細字は全角の[ ]内に入力しました。

4.本文の割書は全角のW R内に入力しました。なお、割書で底本の改行位置を尊重したものは、全角のA C内に入力し改行位置に全角のBを入力しました。

5.本文の傍註は全角の【 】内に入力しました。なお、傍註の左右位置に関しては版面で確認して下さい。

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8.原本に付された通番号は⊂⊃で入力しました。

Ⅱ-0329『稱讚淨土經』言 玄奘三藏譯
「假使經於百千倶胝那由多劫、以其无量百千倶胝那由多舌、一一舌上出无量聲、讚其功德、亦不能盡。」[文]

Ⅱ-0330(正五)
彌陀の名號となえつゝ
信心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
佛恩報ずるおもひあり

(正一二)
誓願不思議をうたがひて
御名を稱する往生は
宮殿のうちに五百歲
むなしくすぐとぞときたまふ

Ⅱ-0332『讚阿彌陀佛偈』曰 曇鸞和尙造

南无阿彌陀佛A釋名『无量壽傍經』B奉贊亦曰安養C

成佛已來歷十劫
壽命方將无有量
法身光輪徧法界
照世盲冥故頂禮

【一】又號无量光
【二】眞實明
【三】又號无邊光
Ⅱ-0333【四】平等覺
【五】又號无㝵光
【六】難思議
【七】又號无對光
【八】畢竟依
【九】又號光炎王
【十】大應供
【十一】又號淸淨光
【十二】又號歡喜光
【十三】大安慰
【十四】又號智慧光
【十五】又號不斷光
【十六】又號難思光
【十七】又號无稱光
【十八】號超日月光
Ⅱ-0334【十九】无等等
【二十】廣大會
【廿一】大心海
【廿二】无上尊
【廿三】平等力
【廿四】大心力
【廿五】无稱佛
【廿六】婆伽婆
【廿七】講堂
【廿八】淸淨大攝受
【廿九】不可思議尊
【三十】道場樹
【卅一】眞无量
【卅二】淸淨樂
【卅三】本願功德聚
Ⅱ-0335【卅四】淸淨勳
【卅五】功德藏
【卅六】无極尊
【卅七】南无不可思議光
已上阿彌陀如來尊號[已上略抄之]

『十住毗婆沙論』曰
【一】自在人W我禮R 【二】淸淨人W歸命R 【三】无量德W稱讚R

Ⅱ-0336讚阿彌陀佛偈和讚
愚禿親鸞作
南无阿彌陀佛

(一)
彌陀成佛のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きわもなく
世の盲冥をてらすなり

Ⅱ-0337(二)
智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光曉かぶらぬものはなし
眞實明に歸命せよ

(三)
解脫の光輪きわもなし
光觸かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覺に歸命せよ

Ⅱ-0338(四)
光雲无㝵如虛空
一切の有㝵にさわりなし
光澤かぶらぬものぞなき
難思議に歸命せよ

(五)
淸淨光明ならびなし
遇斯光のゆえなれば
一切の業繫ものぞこりぬ
畢竟依に歸命せよ

Ⅱ-0339(六)
佛光照耀最第一
光炎王佛となづけたり
三塗の黑闇ひらくなり
大應供に歸命せよ

(七)
道光明朗超絶せり
淸淨光佛となづけたり
ひとたび光照かぶるもの
業垢をのぞき解脫をう

Ⅱ-0340(八)
慈光はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰に歸命せよ

(九)
无明の闇を破するゆへ
智慧光佛となづけたり
一切諸佛・三乘衆
ともに嘆譽したまへり

Ⅱ-0341(一〇)
光明てらしてたえざれば
不斷光佛となづけたり
聞光力のゆへなれば
心不斷にて往生す

(一一)
佛光惻量なきゆへに
難思光佛となづけたり
諸佛は往生嘆じつゝ
彌陀の功德を稱せしむ

Ⅱ-0342(一二)
神光の離相をとかざれば
无稱光佛となづけたり
因光成佛のひかりおば
諸佛の嘆ずるところなり

(一三)
光明月日に勝過して
超日月光となづけたり
釋迦嘆じてなほつきず
无等等に歸命せよ

Ⅱ-0343(一四)
彌陀初會の聖衆は
算數のおよぶことぞなき
淨土をねがはむひとはみな
廣大會に歸命せよ

(一五)
安樂无量の大菩薩は
一生補處にいたるなり
普賢の德に歸してこそ
穢國にかならず化するなれ

Ⅱ-0344(一六)
十方衆生のためにとて
如來の法藏あつめてぞ
本願弘誓に歸せしむる
大心海に歸命せよ

(一七)
觀音・勢志もろともに
慈光世界を照曜し
有縁を度してしばらくも
休息あることなかりけり

Ⅱ-0345(一八)
安樂淨土にいたるひと
五濁惡世にかへりては
釋迦牟尼佛のごとくにて
利益衆生はきわもなし

(一九)
神力自在なることは
惻量すべきことぞなき
不思議の德をあつめたり
无上尊に歸命せよ

Ⅱ-0346(二〇)
安樂聲聞・菩薩衆
人天智慧ほがらかに
身相莊嚴殊異なし
他方に順じて名をつらぬ

(二一)
顏容端政たぐひなし
精微妙軀非人天
虛无之身无極體
平等力に歸命せよ

Ⅱ-0347(二二)
安樂國をねがふひと
正定聚にこそ住すなれ
邪定・不定聚くにゝなし
諸佛讚嘆したまへり

(二三)
十方諸有の衆生は
阿彌陀至德のみなをきゝ
眞實信心いたりなば
おほきに所聞を慶喜せむ

Ⅱ-0348(二四)
若不生者のちかひゆへ
信樂まことにときいたり
一念慶喜するひとは
往生かならずさだまりぬ

(二五)
安樂佛土の依正は
法藏願力のなせるなり
天上天下にたぐひなし
大心力に歸命せよ

Ⅱ-0349(二六)
安樂國土の莊嚴は
釋迦无㝵の大辯才
とくともつきじとのべたまふ
无稱佛に歸命せよ

(二七)
已今當の往生は
この土の衆生のみならず
十方佛土よりきたる
无量无數不可計なり

Ⅱ-0350(二八)
阿彌陀佛のみなをきゝ
歡喜贊仰せしむれば
功德の寶を具足して
一念大利无上なり

(二九)
たとひ大千世界に
みてらむ火おもすぎゆきて
佛のみなをきくひとは
ながく不退にかなふなり

Ⅱ-0351(三〇)
神力无極の阿彌陀は
无量の諸佛ほめたまふ
東方恆沙の佛國より
无數の菩薩ゆきたまふ

(三一)
自餘の九方の佛國も
菩薩の往覲またおなじ
釋迦牟尼如來偈をときて
无量の功德をほめたまふ

Ⅱ-0352(三二)
諸來の无量菩薩衆
德本うえむためにとて
恭敬をいたし歌嘆す
みなひと婆伽婆に歸命せよ

(三三)
七寶講堂道場樹
方便化身の淨土なり
十方來生きわもなし
講堂道場禮すべし

Ⅱ-0353(三四)
妙土廣大超數限
本願莊嚴よりおこる
淸淨大攝受に
稽首歸命せしむべし

(三五)
自利利他圓滿して
歸命方便巧莊嚴
こゝろもことばもたえたれば
不可思議尊に歸命せよ

Ⅱ-0354(三六)
神力本願及滿足
明了堅固究竟願
慈悲方便不思議なり
眞无量に歸命せよ

(三七)
寶林・寶樹微妙音
自然淸和の伎樂にて
哀婉雅亮すぐれたり
淸淨樂に歸命せよ

Ⅱ-0355(三八)
七寶樹林くにゝみつ
光耀たがひに映發す
華・菓・枝・葉またおなじ
本願功德聚に歸命せよ

(三九)
淸風寶樹をふくときは
いつゝの音聲いだしつゝ
宮商和して自然なり
淸淨勳を禮すべし

Ⅱ-0356(四〇)
一一のはなのなかよりは
三十六百千億の
光明てらしてほがらかに
いたらぬところはさらになし

(四一)
一一のはなのなかよりは
三十六百千億の
佛身もひかりもひとしくて
相好金山のごとくなり

Ⅱ-0357(四二)
相好ごとに百千の
ひかりを十方にはなちてぞ
つねに妙法ときひろめ
衆生を佛道にいらしむる

(四三)
七寶の寶池いさぎよく
八功德水みちみてり
无漏の依果不思議なり
功德藏に歸命せよ

Ⅱ-0358(四四)
三塗苦難ながくとぢ
但有自然快樂音
このゆへ安樂となづけたり
无極尊に歸命せよ

(四五)
十方三世の无量慧
おなじく一如に乘じてぞ
二智圓滿道平等
攝化隨縁不思議なり

Ⅱ-0359(四六)
彌陀の淨土に歸しぬれば
すなわち諸佛に歸するなり
一心をもちて一佛を
ほむるは无㝵人をほむるなり

(四七)
信心歡喜慶所聞
乃曁一念至心者
南无不可思議光佛
頭面に禮したてまつれ

Ⅱ-0360(四八)
佛惠功德をほめしめて
十方の有縁にきかしめむ
信心すでにえむひとは
つねに佛恩報ずべし

已上四十八首
愚禿釋親鸞作

Ⅱ-0361阿彌陀如來A觀世音菩薩B大勢至菩薩C

釋迦牟尼佛A富樓那尊者B大目犍連B阿難尊者C

頻婆沙羅王A韋提夫人B耆婆大臣B月光大臣C

提婆尊者A阿闍世王B行雨大臣B守門者C

Ⅱ-0362淨土和讚 愚禿親鸞作

『大經』意 二十二首

(四九)
尊者阿難座よりたち
世尊の威光を瞻仰し
生希有心とおどろかし
未曾見とぞあやしみし

Ⅱ-0363(五〇)
如來の光瑞希有にして
阿難はなはだこゝろよく
如是之義ととえりしに
出世の本意あらはせり

(五一)
大寂定にいりたまひ
如來の光顏たえにして
阿難の慧見をみそなはし
問斯慧義とほめたまふ

Ⅱ-0364(五二)
如來興世の本意には
本願眞實ひらきてぞ
難値難見とときたまひ
猶靈瑞華としめしける

(五三)
彌陀成佛のこのかたは
いまに十劫とときたれど
塵點久遠劫よりも
ひさしき佛とみえたまふ

Ⅱ-0365(五四)
南无不可思議光佛
饒王佛のみもとにて
十方淨土のなかよりぞ
本願選擇攝取する

(五五)
无㝵光佛のひかりには
淸淨・歡喜・智慧光
その德不可思議にして
十方諸有を利益せり

Ⅱ-0366(五六)
至心・信樂・欲生と
十方の諸有をすゝめてぞ
不思議の誓願あらわして
眞實報土の因とする

(五七)
眞實信心うるひとは
すなわち定聚のかずにいる
不退のくらゐに住すれば
かならず滅度にいたらしむ

Ⅱ-0367(五八)
諸佛の大悲ふかければ
佛智の不思議をあらわして
變成男子の願をたて
女人成佛ちかひたり

(五九)
至心・發願・欲生と
十方衆生を方便し
衆善の假門ひらきてぞ
現其人前と願じける

Ⅱ-0368(六〇)
臨終現前の願により
釋迦は諸善をことごとく
『觀經』一部にあらわして
定散諸機をすゝめけり

(六一)
諸善萬行ことごとく
至心發願せるゆへに
往生淨土の方便の
善とならぬはなかりけり

Ⅱ-0369(六二)
至心・回向・欲生と
十方衆生を方便し
名號の眞門ひらきてぞ
不果遂者と願じける

(六三)
果遂の願によりてこそ
釋迦は善本德本を
『彌陀經』にあらわして
一乘の機をすゝめける

Ⅱ-0370(六四)
定散自力の稱名は
果遂のちかひに歸してこそ
おしえざれども自然に
眞如の門に轉入する

(六五)
安樂淨土をねがひつゝ
他力の信をえぬひとは
佛智不思議をうたがひて
邊地懈慢にとまるなり

Ⅱ-0371(六六)
如來の興世あひがたく
諸佛の經道きゝがたし
菩薩の勝法きくことも
无量劫にもまれらなり

(六七)
善知識にあふことも
おしふることもまたかたし
よくきくこともかたければ
行ずることもなほかたし

Ⅱ-0372(六八)
一代諸敎の信よりも
弘願の信樂なほかたし
難中之難とときたまひ
无過此難とのべたまふ

(六九)
念佛成佛これ眞宗
萬行諸善これ要門
權實眞假をわかずして
自然の淨土をえぞしらぬ

Ⅱ-0373(七〇)
聖道權假の方便に
衆生ひさしくとゞまりて
諸有に流轉のみとぞなる
悲願の一乘歸命せよ

已上『大經』意

『觀經』意 九首

Ⅱ-0374(七一)
恩德廣大釋迦如來
韋提夫人に敕してぞ
光臺現國のそのなかに
安樂世界をえらばしむ

(七二)
頻婆沙羅王敕せしめ
宿因その期をまたずして
仙人殺害のむくひには
七重のむろにとぢられき

Ⅱ-0375(七三)
阿闍世王は瞋怒して
我母是賊としめしてぞ
無道にはゝを害せむと
つるぎをぬきてむかひける

(七四)
耆婆・月光ねむごろに
是栴陀羅とはぢしめて
不宜住此と奏してぞ
闍王の逆心いさめける

Ⅱ-0376(七五)
耆婆大臣おさえてぞ
却行而退せしめつゝ
闍王つるぎをすてしめて
韋提をみやに禁じける

(七六)
彌陀・釋迦方便して
阿難・目連・富樓那・韋提
達多・闍王・頻婆沙羅
耆婆・月光・行雨等

Ⅱ-0377(七七)
大聖おのおのもろともに
凡愚底下のつみびとを
逆惡もらさぬ誓願に
方便引入せしめけり

(七八)
釋迦韋提方便して
淨土の機縁熟すれば
行雨大臣證として
闍王逆害興ぜしむ

Ⅱ-0378(七九)
定散諸機各別の
自力の三心ひるがへし
如來利他の信心に
通入せむとねがふべし

已上『觀經』意

『彌陀經』意 五首

Ⅱ-0379(八〇)
十方微塵世界の
念佛の衆生をみそなわし
攝取してすてざれば
阿彌陀となづけたてまつる

(八一)
恆沙塵數の如來は
萬行の少善きらいつゝ
名號不思議の信心を
ひとしくひとえにすゝめたり

Ⅱ-0380(八二)
十方恆沙の諸佛は
極難信ののりをとき
五濁惡世のためにとて
證成護念せしめたり

(八三)
諸佛の護念證成は
悲願成就のゆへなれば
金剛心をえむひとは
彌陀の大恩報ずべし

Ⅱ-0381(八四)
五濁惡時惡世界
濁惡邪見の衆生には
彌陀の名號あたえてぞ
恆沙の信心すゝめたる

已上『彌陀經』意

諸經意彌陀佛和讚 九首

Ⅱ-0382(八五)
无明の大夜をあわれみて
法身の光輪きわもなく
无㝵光佛としめしてぞ
安養界に影現する

(八六)
久遠實成阿彌陀佛
五濁の凡愚をあわれみて
釋迦牟尼佛としめしてぞ
迦邪城には應現する

Ⅱ-0383(八七)
百千倶胝劫をへて
百千倶胝のしたをいだし
したごと无量のこゑをして
彌陀をほめむになほつきじ

(八八)
大聖易往とときたまふ
淨土をうたがふ衆生おば
無眼人とぞなづけたる
無耳人とぞのべたまふ

Ⅱ-0384(八九)
无上上は眞解脫
眞解脫は如來なり
眞解脫にいたるにぞ
无愛无疑とはあらはるゝ

(九〇)
平等心をうるときを
一子地となづけたり
一子地は佛性なり
安養にいたりてさとるべし

Ⅱ-0385(九一)
如來すなわち涅槃なり
涅槃を佛性となづけたり
凡地にしてはさとられず
安養にいたりて證すべし

(九二)
歡喜信心無疑者おば
與諸如來等ととく
大信心は佛性なり
佛性すなわち如來なり

Ⅱ-0386(九三)
衆生有㝵のさとりにて
无㝵の佛智をうたがへば
曾婆羅頻陀落地獄にて
多劫衆苦にしづむなり

已上諸經意

現世の利益和讚 十五首

Ⅱ-0387(九四)
阿彌陀如來來化して
息災延命のためにとて
『金光明』の「壽量品」
ときおきたまへるみのりなり

(九五)
山家の傳敎大師は
國土人民をあわれみて
七難消滅の誦文には
南无阿彌陀佛ととなえしむ

Ⅱ-0388(九六)
一切の功德にすぐれたる
南无阿彌陀佛をとなふれば
三世の重障みなながら
かならず轉じて輕微なり

(九七)
南无阿彌陀佛をとなふれば
このよの利益きわもなし
流轉輪回のつみきえて
定業中夭のぞこりぬ

Ⅱ-0389(九八)
南无阿彌陀佛をとなふれば
梵王・帝釋歸敬す
諸天善神ことごとく
よるひるつねにまもるなり

(九九)
南无阿彌陀佛をとなふれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつゝ
よろづの惡鬼をちかづけず

Ⅱ-0390(一〇〇)
南无阿彌陀佛をとなふれば
堅牢地祇は尊敬す
かげとかたちのごとくにて
よるひるつねにまもるなり

(一〇一)
南无阿彌陀佛をとなふれば
難陀・跋難大龍等
无量の龍神尊敬し
よるひるつねにまもるなり

Ⅱ-0391(一〇二)
南无阿彌陀佛をとなふれば
炎魔法王尊敬す
五道冥官みなともに
よるひるつねにまもるなり

(一〇三)
南无阿彌陀佛をとなふれば
他化天の大魔王
釋迦牟尼佛のみまへにて
まもらむとこそちかひしか

Ⅱ-0392(一〇七)
天神・地祇はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念佛のひとをまもるなり

(一〇八)
願力不思議の信心は
大菩提心なりければ
天地にみてる惡鬼神
みなことごとくおそるなり

Ⅱ-0393(一〇四)
南无阿彌陀佛をとなふれば
觀音・勢至はもろともに
恆沙塵數の菩薩と
かげのごとくにみにそえり

(一〇五)
无㝵光佛のひかりには
无數の阿彌陀ましまして
化佛おのおの无數の
光明无量无邊なり

Ⅱ-0394(一〇六)
南无阿彌陀佛をとなふれば
十方无量の諸佛は
百重千重圍繞して
よろこびまもりたまふなり

已上現世利益
已上彌陀一百八首 釋親鸞作

『首楞嚴經』によりて大執至菩薩和讚したてまつる

Ⅱ-0395(一〇九)
勢志念佛圓通えて
五十二菩薩もろともに
すなわち座よりたゝしめて
佛足を頂禮せしめつゝ

(一一〇)
敎主世尊にまふさしむ
往昔恆河沙劫に
佛よにいでたまへりき
无量光となづけたり

Ⅱ-0396(一一一)
十二の如來あひつぎて
十二劫をへたまへり
最後の如來をなづけてぞ
超日月光とまふしける

(一一二)
超日月光このみには
念佛三昧おしえしむ
十方の如來衆生を
一子のごとくに憐念す

Ⅱ-0397(一一三)
子の母をおもふごとくにて
衆生佛を憶すれば
現前當來とおからず
如來を拜見うたがはず

(一一四)
染香人のそのみには
香氣あるがごとくなり
これをすなわちなづけては
香光莊嚴とまふすなり

Ⅱ-0398(一一五)
われもと因地にありしとき
念佛の心をもちてこそ
无生忍にはいりしかば
いまこの娑婆界にして

(一一六)
念佛のひとを攝してこそ
淨土に歸せしむるなり
大勢至菩薩の
大恩ふかく報ずべし

Ⅱ-0399已上大勢至菩薩

源空聖人之御本地也

『經』(首楞嚴*經卷五)言、
「我本因地 以念佛心
入无生忍 今於此界
攝念佛人 歸於淨土。」