操作

トーク

自由の妄説

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2023年6月2日 (金) 15:47時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「自由といふ漢語は自らに<kana>由(よ)</kana>るという意味。由は「よる」とか「もとづく」といふ意で、仏教では仏の教法ではな...」)

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

自由といふ漢語は自らに()るという意味。由は「よる」とか「もとづく」といふ意で、仏教では仏の教法ではなく自らの妄想に()って思想することを否定的する「自由の妄説」として用いられた。明治期の先人は、「Freedom」とか「Liberty」といふ西欧語の概念を自由と翻訳した。 そこから、

①他から干渉や束縛を受けない状態。「言論の―」
②思いのままであるさま。「―に遊ぶ」

といふ意味が派生した。

なお、釈尊は、 「自灯明 法灯明(この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ。)」 と示された。

洲渚
自灯明・法灯明