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臨終行儀

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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りんじゅう-ぎょうぎ

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りんじゅうぎょうぎ/臨終行儀

臨終とは、臨命終時りんみょうじゅうじの略で、命の終わる死の時に直面すること、またその時をいう。行儀とは、仏教における修行の方法や形態のこと。すなわち、臨終行儀とは、死に際して求められる仏教的な心身の在り様と実践を指す。道宣は『四分律行事鈔』に「瞻病せんびょう送終」(看病と葬送)を論じ、命の絶えようとする者の周囲の環境と、接する人々の行為について述べている。阿弥陀仏への帰依を旨とする浄土教では、臨終の行儀として、往生浄土を果たせるように念仏を行うべきことを説いた。善導は『観念法門』において、臨終者は顔を極楽浄土のある西方へ向け、心に阿弥陀仏を観想し、口に仏の名を称えるという身口意にわたる臨終の行儀を示している。また、傍らの人は臨終者の往生のために念仏を助けるべきことが記されている。このように臨終行儀は、死に行く者と、それを看とり送る者の双方が、極楽浄土への往生をめざし、阿弥陀仏来迎引接らいこういんじょうを求めるという浄土教教義の中核に触れる場であった。日本では平安時代に、善導などの説を受けた源信が『往生要集』を著し、往生のための念仏の行儀を尋常、別時、臨終の三種に分け、「臨終の勧念」として臨終に念仏を修することについて「臨終の一念は百年の業に勝る」としている。また周囲の人々が臨終者の同行として、衆生を利し、善根を修し、結縁を得るために念仏を称え勧めるべきとする。以降、日本の浄土信仰における臨終行儀は、死に際してその場に臨む全ての人々が念仏を行うことと同義となり、この流れはまずは平安時代の貴族社会において定着していった。鎌倉時代になると、法然によって称名念仏のみによる往生を説く専修念仏が唱えられたが、これによって臨終行儀としての念仏もその意味を変化させる。法然においては、往生臨終行儀によって定まるものではなく、平生の念仏こそが重要であるとされた。平安時代の往生伝(六種)は、この臨終行儀を実践した人びとの実態を反映したものといえよう。


【参考】池見澄隆「源信と念仏運動」(図説日本仏教の世界⑤『地獄と極楽』集英社、一九八八)


【参照項目】➡往生伝臨終十念往生要集


【執筆者:池見澄隆】


一巻。文末には「建久元年十月日 法然御筆 阿闍梨成畔(花押)」(昭法全九二〇)とあり、建久元年(一一九〇)に法然が記したものとされるが、その真偽は詳らかではない。内容は、臨終における六つの心構え、すなわち①厭離此界②欣求浄土思惟本願④念摂取光明⑤念来迎儀⑥念後生得益が説かれており、それぞれの終わりには『法事讃』や『往生礼讃』などの偈文が引かれている。写本としては、沼津乗運寺のものが存在したが、昭和二〇年(一九四五)に焼失している。ただし『法然上人全集』(望月信亨編)には、その全文が残されている。


【所収】昭法全


【執筆者:石田一裕】