僧にあらず俗にあらず
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
石田慶和師は、その著『これからの浄土真宗』で、
柳さんは、同じ書物の中で、浄土真宗の僧侶について痛烈な批判をされています』。(同『柳宗悦妙好人論集』「真宗素描」)
- 今の真宗は信者の真宗である、僧侶の内容はいたく下がっている、信仰に徹している人は乏しく、ただ職業的に坊さんになっている場合の方が多い、……坊さんたちの安泰な暮らしを見ると、冥加に余るという感じを受ける、これで信仰に振るい立たずば、信徒に申訳ない次第である、……信心に精進もせぬ坊さんがどんなにたくさんあることか、……だいたい、宗祖親鸞聖人の宗教家としての特色は、自ら標榜した如く、「非僧非俗」たることにあろう、……しかるに今の真宗には僧侶があって、その位置を貪る。これが一つの矛盾であるのみならず、その上に僧としての資格を示し得ないなら二重の矛盾があろう。その多くは「僧であって、しかも俗」なのである。肉食妻帯は俗であり、法衣法位は僧である、ちょっと考えると「非僧非俗」と「僧而俗 (僧にして俗)」とは似ているようであるが、そうではない、後者は僧のくせに俗なのである。俗のくせに僧たるのである、それは「非僧非俗」とは全く違う、実際には非僧を真似て肉食妻帯し非俗を真似て僧位についているに過ぎない、宗祖の「非僧非俗」とどんなに立場が違うことか、この明らかな撞着を、今の真宗は何と解するのであろうか。……
柳さんのおっしゃることが全面的に正しいわけではありませんし、現代の多くの真宗の僧侶の深い悩みを思うとき、柳さんの意見のすべてに賛成するわけにはいきませんが、しかしこういう考えをお持ちの方が多いこと、しかも親鸞聖人の教えに帰依される方に多いことを、私たち僧侶は謙虚に受け止めなければなりません。
と、いわれていた。