慈覚大師
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
(じかくだいし)
(794-864)日本天台宗第四祖、延暦寺(えんりゃくじ)第三世座主、円仁(えんにん)のこと。十五歳で比叡山(ひえいざん)に登り、最澄(さいちょう)に師事する。承和五年(838)入唐し、諸師に就いて顕密二教を学ぶ。また五台山に登り法照(ほっしょう)の五会念仏(ごえねんぶつ)を法道から学び、これを比叡山に伝えた。著書に『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』『金剛頂経疏(こんごうちょうきょうしょ)』『蘇悉地経疏(そしつじきょうしょ)』『顕揚大戒論(けんようだいかいろん)』『止観私記(しかんしき)』など百部に及ぶ。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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