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三縁

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

『涅槃経』梵行品第二十之一


迦葉菩薩 白佛言。 世尊。若多修慈能斷瞋恚。修悲心者 亦斷瞋恚 云何而言 四無量心。推義而言 則應有三。

迦葉菩薩、仏に白して言さく、 世尊、もし多く慈を修して能く瞋恚を断じ、悲心を修する者もまた瞋恚を断ず。云何んぞ而(しか)も四無量心と言ふ。義を推(お)して言はば則ち三有るべし。

世尊。慈有三縁。一縁衆生。二縁於法。三則無縁。悲喜捨心 亦復如是。若從是義 唯應有三。不應有四。

世尊、慈に三縁有り。一には衆生を縁じ、二には法を縁じ、三には則ち無縁なり。悲喜捨心も亦復た是の如し。若し是の義に従はば、唯、三有るべく四有るべからず。

衆生縁者 縁於五陰。願與其樂。是名衆生縁。

衆生縁とは、五陰を縁じて其に楽を与へんと願ず、是れを衆生縁と名く。

法縁者。縁諸衆生所須之物而施與之。是名法縁。

法縁とは、諸の衆生の所須の物を縁じて之を施与す、是れを法縁と名く。

無縁者 縁於如來。是名無縁。慈者多縁 貧窮衆生。如來大師 永離貧窮。受第一樂。

無縁とは、如来を縁ず、是れを無縁と名く。慈とは多く貧窮の衆生を縁ず、如来大師、永く貧窮を離れ、第一の楽を受く。

若縁衆生 則不縁佛。法亦如是。以是義故 縁如來者。名曰無縁。

若し衆生を縁ずれば、則ち仏を縁ぜず、法も亦た是くの如し。是の義を以つての故に如来を縁ずる者を名けて無縁と曰ふ。

世尊。慈之所縁 一切衆生。如縁父母 妻子親屬。以是義故 名衆生縁。法縁者不見父母妻子親屬。見一切法皆從縁生。是名法縁。無縁者不住法相 及衆生相。是名無縁。悲喜捨心 亦復如是。

世尊、慈の一切衆生を縁ずる所、父母、妻子、親属を縁ずるが如し。是の義を以つての故に、衆生縁と名く。
法縁とは父母、妻子、親属を見ず、一切の法皆な縁より生ずるを見る。是れを法縁と名く。
無縁とは法相及び衆生相に住せず、是を無縁と名く。悲、喜、捨心も亦復た是の如し。