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トーク

十善

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

よく御覧よ、根が生えてる

ある寺の住職が夕立にあったので急いで寺に帰ろうとした。 ところが急いで帰ろうとした為か、下駄の鼻緒が切れた。

困っていると門前の豆腐屋のかみさんがこれを見つけ、頭にかぶっていた手拭を引き裂き鼻緒をすげかえてくれた。

次の日、豆腐屋の前を住職が通るので、かみさんは昨日の礼を言ってくれると思ったが、何も言わずに通り過ぎる。 また次の日も、今度は店先に出て会釈するのだが礼を言わん。

その次の日には、 「この間は大降りの夕立でしたね」 と、話しかけるのだが住職は頷くだけで礼を言わない。

とうとう、あたまにきた豆腐屋のかみさんは、店に来る客たちに、 「今度きた坊主はろくでもない奴や。人に親切にしてもろても、礼も言わん」

こういう坊主を揶揄する噂はなぜか拡がっていく。

この噂はやがて住職の耳にも入ってくる。住職いわく、 「なんだ、豆腐屋のかみさんは、礼を言うて欲しかったのか。わしは一生忘れんつもりだったのじゃが」

因っている人を見て親切に手を貸すのは尊いことだ。しかし、親切をしたぞ、 という想いが心の中で頭を持ちあげ次第に育ってくる。

世俗の凡夫の善には根が生えている、善根といわれのは、まさにこういう事をいうのだろう。

まだ、抱いていたのか。

原坦山が若いとき、もう一人の雲水と修行の旅をしていた。大きな河に差しかかったが、橋も船もない。衣を脱いで河を渡ろうとすると、若い女性が渡れずに困っている。

坦山は、なんのためらいもなく、「私が背負って渡してあげよう」といって、女性を背負って河を渡らせてあげた。その後、二人はさらに旅を続けたが、しばらくすると、もう一人の雲水は「お前は出家の身なのに、女と接したことを恥じないのか」となじった。

すると坦山は「お前は、まだ、抱いていたのか。私は河を渡ったとき、すっかり降ろしてきた」といったという。