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了海

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りょうかい 了海

Ⅰ (生没年未詳) 仏光寺派・興正派の第4代とされる。生没年や経歴については諸説あり、親鸞の門弟とも荒木門徒源海の門弟ともいう。武蔵国阿佐布(あざぶ)(現在の東京都港区) に住した。その門流は阿佐布門徒と呼ばれ、誓海、明光などが出た。著書に『還相回向聞書』『他力信心聞書』があると伝える。善福寺 (東京都港区) の開基とされる。

Ⅱ (-1674) 本願寺派、のち大谷派の学僧。肥後国生まれ。准玄、月感に師事。承応の鬩牆(げきしょう)により月感が逼塞処分となると大谷派に転じ、同派学寮が創設された際、初代講者を務めた。大正13年 (1924) 贈講師。著書に『文類聚鈔直解』がある。(浄土真宗辞典)