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法霖

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

ほうりん

ほうりん 法霖 (1693-1741)

本願寺派第4代能化。院号は演暢院。紀伊国(現在の和歌山県)生まれ。正崇寺(滋賀県日野町)住職。若霖に師事。享保21年(1736)、 能化に任じられた。在任6年間の中、毎年安居(あんご) で講師をつとめるなどして子弟の育成に励んだ。また、 華厳宗の鳳潭(ほうたん)が浄土教の念仏を批判したことに対して、『浄土折衝篇』『笑螂臂』を著すなどして念仏論争を繰り広げたことでも知られる。著書は他に『無量寿経要解』『文類聚鈔蹄涔記』などがある。(浄土真宗辞典)

法霖師は、鳳潭に、浄土真宗には食事の言葉はないのかと聞かれた時、即興で口上されたのが以下の「対食偈」だといわれている。

私が戴く、お米の一粒一粒は、ご門徒のご信心の賜物、汁椀の一滴一滴は、ご門徒の御恩報謝の汗の膏血である。どうして苦海を越える船筏の、なんまんだぶの願船のご法義を説いて、安楽浄土の道を()めさんや、の意であろう。

対食の偈
粒粒皆是檀信 (粒々みなこれ檀信)
滴滴悉是檀波 (滴滴悉くこれ檀波)
非士農非工商 (士農に非ず工商に非ず)
無勢力無産業 (勢力なく産業なし)
自非福田衣力 (福田衣〔袈裟〕の力に非るよりんば)
安有得此飯食 (安(いずく)んぞこの飯食〔ぼんじき〕を得ることあらんや)
慎莫問味濃淡 (慎んで味の濃淡を問うことなかれ)
慎莫論品多少 (慎んで品の多少を論ずることなかれ)
此是保命薬餅 (此はこれ保命の薬餅〔やくぢ〕なり)
療飢与渇則足 (飢と渇とを療すれば則ち足る)
若起不足想念 (若し不足の想念を起さば)
化為鉄丸鋼汁 (化して鉄丸鋼汁とならん)
若不知食来由 (若し食の来由を知らずんば)
如堕負重牛馬 (重きを負える牛馬に堕す如し)
寄語勧諸行者 (語を寄せて諸の行者に勧む)
食時須作此言 (食するときすべからく此の言をなすべし)
願以此飯食力 (願わくば此の飯食の力を以て)
長養我色相身 (我が色相〔しきそう〕の身を長養し)
上為法門干城 (上は法門の干城〔かんじょう〕となり)
下為苦海津筏 (下は苦海の津筏〔しんばつ〕となって)
普教化諸衆生 (普く諸の衆生を教化し)
共往生安楽国 (共に安楽国に往生せん)

意訳
一粒一粒のお米も一滴のお茶を頂くのも皆檀信徒のお供え下さった物ばかりです。
僧侶という者は士農工商といった様に職業もなく、従って力もありません。
如来様のお恵みに依らずしては、この食事を頂く事は出来ないのです。
ただ僧侶は衣と袈裟を身にまとい、お念仏の御相続をさせて頂き、道心あるところに食を得ることが出来るのであります。
それ故常に心より慎んで頂くべきであります。
その味が濃いとか薄いとか多いとか少ないとか言う事は勿体ない事であります。
この食事は生命を保たせて頂く薬になるもので、飢と渇とが満たされたら、それで十分満足させて頂かねばならないのです。
若し不足に思うことがあれば折角頂いた血となり肉となる食事が鉄丸、銅汁に化してしまうでありましょう。
どうかお念仏の行者方よ、食前食後にはこの言葉を称え、この心得をよく味わって下さい。
願わくばこの頂いた飯食の力をもって、身心共に長く養わせて頂き、上は法門の干城となり、下は苦海の筏(いかだ)となって、普く多くの人々を教化して共にお浄土へ参らせて頂きましょう。

なお法霖師の遺偈として、

遺偈
往生一路決平生(往生の一路は平生に決す)
今日何論死与生(今日何ぞ論ぜん死と生と)
非好蓮華界裡楽(蓮華界裡の楽を好むに非ず)
還来娑界化群萌(娑界に還来して群萌を化せん)

は有名である。


鳳潭