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「十二光」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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#無称光。説きつくすことができず、言葉もおよばない光。
 
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#超日月光(ちょうにちがっこう)。日月に超えすぐれた光。
 
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([[大経上#P--29|大経 P.29]], ([[消息下#P--793|消息 P.793]])
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2008年1月7日 (月) 22:21時点における版

じゅうにこう

  阿弥陀仏の光明(こうみょう)(仏の智慧の徳を示す)の徳を十二種に分かって称讃したもの。また十二光仏ともいい『大経』に述べられている。

  1. 無量光(むりょうこう)。(はか)ることのできない光。
  2. 無辺光。再現のない光。
  3. 無碍光(むげこう)。なにものにもさえぎられることのない光。
  4. 無対光。くらべるもののない光。
  5. 炎王光(えんのうこう)。最高の輝きをもつ光。
  6. 清浄光(しょうじょうこう)。衆生(しゅじょう)のむさぼりを除くきよらかな光。
  7. 歓喜光(かんぎこう)。衆生のいかりを除きよろこびを与える光。
  8. 智慧光。衆生のまどいを除き智慧を与える光。
  9. 不断光。常に照らす光。
  10. 難思光(なんじこう)。おもいはかることができない光。
  11. 無称光。説きつくすことができず、言葉もおよばない光。
  12. 超日月光(ちょうにちがっこう)。日月に超えすぐれた光。

(大経 P.29, 消息 P.793)

曇鸞(どんらん)大師は『讃阿弥陀仏偈』に十二光のひとつひとつを阿弥陀仏の徳にあてはめて讃嘆せられ、親鸞聖人も『浄土和讃』のはじめにこれを讃じてある。また親鸞聖人の『銘文』には、『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』の十二如来と『大経』の十二光仏とは同じであり、十二光仏が一(こう)に一仏ずつ順次世に出現されるとある。→光明(こうみょう)。


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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