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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

仏法の大海は、信を能入と()し、智を能度と()す。(大智度論)

(仏法の大海には、がなければ入ることができず、智慧がなければ〔彼岸へ〕度(わた)ることができない。)→

問曰。諸佛經何以故初稱如是語
問うて曰く、諸の仏の経は、何を以つての故に、初めに「如是」の語と称す。
答曰。佛法大海信為能入。智為能度。如是義者即是信。
答えて曰く、仏法の大海は、信を能入と為(な)し、智を能度と為(な)す。如是の義とは、即ち是れ信なり。
若人心中有信清淨。是人能入佛法。若無信是人不能入佛法。
もし人、心中に信有りて、清浄なれば、是の人は、能く仏法に入る。もし信なくば、是の人は仏法に入ることあたわず。
不信者言是事不如是。是不信相。信者言是事如是
信ぜざる者の言わく「是の事は、是の如くならず」と。是れ不信の相なり。信ずる者は「是の事は是の如し」と言う。大智度論