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口伝鈔

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2011年8月3日 (水) 21:10時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (宿善と他力の信心)

  • 梯實圓和上著『聖典セミナー 口伝鈔』により、サブタイトル付加林遊 2011年6月27日 (月) 13:17 (JST)

光明・名号の因縁

[現代語訳]

一、光明と名号は、往生の因であり縁であるということについて。

 阿弥陀仏の本願力は、十方の世界に生存しているすべてのものを救おうと働いています。しかしその本願を疑いなく受け入れるものと、受け入れないものとがあります。どうしてそのような違いが生じたのかということについて、『大無量寿経』には、過去に宿善の厚いものは、この世でこのみ教えに逢えば疑いなく信じて喜ぶが、宿善のないものはたとえこの教えに逢えたとしても、本願を信じ念仏することが出来ないから、遇わないのと同じであるという意味のことが説かれています。「過去の因を知ろうと思えば、現在の結果を見よ」といい習わしているように、今生で本願を信じられるか信じられないかという有様によって、宿善があったか無かったかが明らかにわかります。

 宿善に育てられて、法を受け入れることが出来るようになっている証拠に、善き師に出逢って、本願の信ずべきことを知らされたとき、一おもいの疑いも生じません。そのように疑い心が生じないということは、阿弥陀仏の光明の縁に遇ってお育てを受けて来たからです。もし光明の縁の働きがなかったならば、報土に生れるまことの因であるような徳をもった名号を得ることは出来ません。

それというのも、阿弥陀仏の智慧の働きである光明は、真実に背き、愛憎の煩悩に沈んでいる十方の衆生を明るく朗らかに照らしつづけています。そして、まるで太陽の光が厚い氷を溶かすように疑い心を溶かして、本願の名号を受け入れさせ、涅槃の浄土に生れるまことの因である信心が初めて私の上に開け発ったとき、真実の報土に生れることに決定した正定聚の位に就きます。

 すなわちこの位のことを、『観経』には,「阿弥陀仏の光明は、あまねく十方の世界を照らして衆生を念仏するものに育て上げ、本願を信じ念仏するようになったものを、その光明の中に摂め取って護りつづけ決して捨てたまうことはない」とお説きになっています。また善導大師の『往生礼讃』には、「阿弥陀仏は光明と名号をもって、十方の一切の衆生を救い取ろうと働きつづけ、ひとすじに本願を信じて浄土を願うように働きかけられている」といわれています。

 こういうわけですから、往生の信心が定まることは、私どもの智慧の力ではありません。阿弥陀仏の光明のお働きを縁として宿善を育てられ、本願の名号をわが往生の因と信知する信心が起り、報土往生の正因が得られると知るべきであると親鸞聖人は仰せられました。これを信心も他力より起るというのです。

【講讃】

光明と名号

光明と名号をもって阿弥陀仏の救済を語るのは、遠くは曇鸞大師の『往生論註』にはじまり、ここにも引用されているように、善導大師の『往生礼讃』や法然上人の『三部経大意』等に示されてきたところです。それを承けて親鸞聖人も、「行文類」に光号因縁の釈を初め、随所に光明と名号をもって救いの直接・間接の因縁が明かされています。

「光明は智慧の相(すがた)なり」といわれるように、光明は阿弥陀仏の智慧の働きを表していました。自己中心的な想念によって、もののあるがままの在り様(真如)を完全に見失ってしまっている私どもは、自己の真相も知らず、生と死のまことの意味もわからず、妄念によって描き出した愛欲と憎悪にまみれた世界が、あたかも実在するかのように思いこんで迷いつづけております。このように、生と死を真反対の実体として提え、自己と他者とを裁然とわけへだてし、自分に役に立つものと、邪魔になるものと、どうでもいいものとを分け、愛と憎しみと冷淡とに揺れ動いている私どもの心のはたらきを虚妄分別と呼んでいます。

 仏陀とは、そのような虚妄分別を破り、真如、すなわちもののあるがままの在りようをさとったかたをいい、そのような真如に目覚めた智慧を無分別智といいます。そこでは自他の区別を超えて万物が一つに溶け合い、分別による限定を超えているからです。しかし分別を超えた領域は言葉を超えていますから通常の言葉で表現することはできません。しかし真実に目覚めた者は、必ず大悲を起こして、真実に背いて妄念煩悩を起こして苦しんでいるものを呼び覚まし救おうと働きます。

ですから仏陀は、言葉を超えたさとりの領域を言葉で表し、形を超えた世界を形で表し、行動で示して、迷える人々を導く後得智と呼ばれる智慧をおこして絶妙の教説を説き示していかれます。それは妄念煩悩から出てくる私ども凡夫の言葉と違って、清らかなさとりの世界から、仏陀の智慧と慈悲の結晶としてながれでてきた言葉でした。それを如来の光明というのです。

 いいかえれば、光明とは、如来の智慧が大悲にうながされて教えの言葉となって人々を照らし導き、人々を真実の世界に向かうように育てはぐくむ有様を表現しているのです。それを曇鸞大師は「仏の光明はこれ智慧の相なり」といわれたのです。そこでお聖教には、あるいは光明をもって、仏陀が未熟なものを育て導いていかれるはたらき.(調育)を表したり、あるいは真実を疑い迷う心の闇を破って、真実の道理を信知させるはたらき(破闇)を表現したり、あるいは念仏の衆生を大悲智慧の光の内に摂め取り(摂取)、護りつづける(護念)利益を表したりされているのです。

 調育とは、巧みな調教師が暴れ馬を調教して見事な競走馬に育てるように、真実に背いているものを真実に随順するものに育てていかれることです。仏を勝れた調教師にたとえて調御丈夫と呼ぶのはその故です。このように機根を調えて「聞法の器」に育てることを調育とも調機ともい い、『口伝鈔』では仏の調育の働きを光明で表し、それを宿善の本体とされています。それをまた調熟ともいいます。それは太陽の光が未熟な果実を熟させるように、仏の光明には、未熟なものを育て導いて、本願のみ教えを疑いなく受け入れることの出来るものに育てあげていく働きがあるからです。

 こうして光明は、如来のさとりの智慧の領域を表したり、智慧が人々を導く救済活動を表したりされていますから、その意味では慈悲・方便の働きを表していました。こうした光明の徳を如来のみ名として示されているのが、南無阿弥陀仏、帰命盡十方無礙光如来、南無不可思議光如来という六字と十字と九字の名号でした。つまり光明は名号のいわれであり、名号には光明で表される如来の智慧と慈悲の徳のすべてが言葉として告げられていました。それゆえ光明と名号は本来不二の関係にあるというので、”光明は無声の名号であり、名号は有声の光明である”といわれてきました。


宿善の当相は自力の善

 ところで宿善の宿とは前世ということで、宿善とは「過去の世でなした善」という意味でした。 そこで宿福(過去世でなした福徳の行為)とも、宿習(過去世でなした善き習慣性)とも、また宿因・宿縁(過去世でなした善き因縁)ともいわれています。例えば『大経』下の東方偈[往覲偈)に、

もし人、善本なければ、この経を聞くことを得ず。
清浄に戒を有てるもの、いまし正法を聞くことを獲。
むかし世尊を見たてまつりしものは、すなはちよくこの事を信じ、
謙敬にして聞きて奉行し、踊躍して大きに歓喜す。
憍慢と弊と懈怠とは、もつてこの法を信ずること難し。
宿世に諸仏を見たてまつりしものは、楽んでかくのごときの教を聴かん
(『註釈版聖典』四六頁)

といわれています。すなわち宿世(過去世)において多くの仏陀に逢い、教えにしたがって戒律を保ち、さまざまな善を修行してきたものだけが、この経(『大経』)を聞いてよく本願を信じ、念仏することが出来るといわれていることを宿善というのです。

 また善導大師は、『観経疏』「定善義」に、『平等覚経』のこころによるとして、「浄土の教説を聞いても信ずることのできない人は、三悪道からやっと人間界に出て来たばかりで、まだ罪障が尽きていないからである。それにひきかえ、この法を聞いて、身の毛が逆立ちするほどの感動を覚え、信受し実践する人は、過去世においてすでに浄土の教えに逢い、念仏した経験をもつ人である」(『註釈版聖典七祖篇』四一一頁、取意)といい、「この人は過去にすでにかつてこの法を修摺して、いまかさねて聞くことを得てすなはち歓喜を生じ、正念に修行してかならず生ずることを得」(同頁)といわれています。

 そのことを『口伝鈔』では、「欲知過去因」の文の通りであるといわれているのです。それは、『法苑珠林』に「経にいはく」として「過去の因を知らんと欲すれば、まさに現在の果を観るべし。未来の果を知らんと欲すれば、まさに現在の因を観るべし」といわれた四句の偈文の初句です。もっとも、この言葉は経典の中に確かな典拠はないようです。ともあれ、ここでは現に浄土の教えに逢い、本願を信ずることが出来るか否かによって、過去に法に遇う宿善があったか無かったかを知ることが出来るというのです。

 このように見ていきますと、経釈に説かれている宿善とは、過去世における善行が信心を獲得するための善き因縁になるということであって、往生の因になるということではなかったことがわかります。往生の因は本願の名号を信受する信心だからです。その宿善といわれているものは、『大経』に説かれているように、多くの仏に出逢い、菩提心を発して、戒律を守りさまざまな修行を行ったことを指していました。親鸞聖人も、『唯信鈔文意』に、

 おほよそ過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり。他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり
(『註釈版聖典』七一二頁)

といわれていました。これは、信心の行者は阿弥陀仏以外の仏・菩薩を軽蔑したり、自力の善を謗ってはならないと誠めるために、『安楽集』に引用された『涅繋経』の意によって示された教説でした。私どもは、過去世において、ガンジス河の砂の数を三倍したほどの無数の仏陀たちに逢い、自力の菩提心を発し、無数の善根を実践してきた経験をもっている。それゆえ、いまこの経に遇い、本願他力の救いをはからいなく受け入れることの出来る身になったのであると説かれています。だから、念仏者は自分を育ててくれた仏・菩薩や、自力の菩提心を初めとする諸行を謗るようなことがあってはならないといわれているのです。これによれば聖人も宿善を認めておられたことがわかります。しかもその宿世の善とは、聖道門・浄土門に限らず仏教で説かれている、一切の善なる行為を意味していたといえましょう。勿論それは自力の善にちがいありません。要するに、遇去世から現世の信心獲得の直前に至るまでになした、信心を得るための善き因縁となる一切の善行を宿善と呼ばれていたと見るべきでありましょう。

光明(他力)をもって宿善の本体とする

ところで親鸞聖入は、『教行証文類』の「総序」に、

 ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ

といい、自力では決して得ることのできない本願の行信に、遇い難くして遇い得たのは、遠い過去世からの阿弥陀如来のお育てのお陰であったと喜ばれていました。また「化身土文類」の三願転入の述懐をあらわされたところにも、「果遂の誓、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり」(『註釈版聖典』四一二頁)といわれています。それは、自力のとらわれの強い私を、第十九願の自力諸行往生の法門から第二十願の自力念仏の法門へと引き入れ、最終的には完全に自力を捨てさせて第十八願の他力回向の法門へと転入させてくださった果遂の誓願(第二十願)の働きを讃仰された言葉です。すなわち親鸞聖人にとって、宿善の本体は、四十八願でいえば、邪偽に惑う十方の衆生を第十八願の真実に導こうとしてしばらく仮りに設けられた聖道門も含めた第十九願、第二十願の調機誘引の働きですが、全体としては、第十八願力に帰します。 また阿弥陀仏の果徳でいえば、十方の世界を照らして一切の衆生を調育されている遍照の光明の働きであったというべきでありましょう。

 第十九願に誓われている自力の諸行は、菩提心を発し戒律を保ち、自利と利他の行を積んで自己の身心を浄化していく聖道門と同じ厳しい自力修行でした。また第二十願には、心を阿弥陀仏に集中して絶え間なく称名を続けて功徳を積む自力念仏の道が説かれていました。しかし、こうした自力の法門を勧められているのは、阿弥陀仏が私どもに、自身の罪業の深さを思い知らせて、邪見憍慢の心を砕き、自力を捨てて本願他力をたのませるための調育の手段だったと領解されたのが親鸞聖人でした。

 自力を捨てさせるためには、自分が自力の修行に耐えられないものであるということを思い知らせなくてはなりません。そのためには、厳しい自力の修行をさせてみることが一番ですから、第十九願と、それを広げて説かれた『観経』にはさまざまな自力の修行が説かれているというのです。実際に教えの通りに修行を始めてみると、煩悩は余りにも強く、修行能力は余りにも弱すぎて、自分の力無さを思い知らされ、本願他力にまかせる以外にさとりに至る道のない身であったことに気づきます。こうして自力の行を以て自力を捨てさせるための教育が為されてきたのでした。それが宿善の内容だったのです。宿善は、行っている当人は自分の力で修行し向上していると思っていますが、まことは阿弥陀如来の大悲智慧の調育の働きが私を育て、自分の愚悪さを思い知らせてくれていたのです。それに気づくことが他力を信知することだったのです。そのことを先哲は、”宿善の当相は自力であるが、その体は他力である”といわれています。

宿善ありがたし

先に述べたように、親鸞聖人は、『唯信鈔文意』に、「三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり」といわれていました。しかし聖人は、同じ文章を『正像末和讃』では全く違った意味で讃 詠されています。

三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
自力かなはで流転せり    (『註釈版聖典』六〇三頁)

といわれたものがそれです。経によれば、私は過去において無数の諸仏にお逢いし、教えにしたがって大菩提心を発して修行をしてきた筈ですが、自力ではどうしてもさとりを開くことが出来ない愚者でした。その証拠に、ただ今もこのとおり煩悩具足の凡夫として流転を繰り返すしかない身であるといわれているのです。ここには、宿善によって自身の罪障を思い知らされ、自力無功と信知する機の深信が育てられてきたことが告自されています。しかしそこにはまた、

久遠劫よりこの世まで
あはれみましますしるしには
仏智不思議につけしめて
善悪・浄穢もなかりけり    (「同』六一六頁)

という深い喜びもありました。こうして宿善とは、一方では自力の行によって自力無功と信知させると同時に、阿弥陀仏に背いていたものを少しずつ阿弥陀仏になじませ、善悪・浄穢をへだてずに万人を平等に救いたまう絶大な本願力を疑いなく受け容れる法の深信を成就するように育てていく調育でもあったことがわかります。いいかえれば、機法二種の深信であらわされるような信心を私どもの上に実現してくださるのが、宿善のお育てであったのです。

 このような宿善を光明の調育の働きとして示されたのが『口伝鈔』だったのです。覚如上人も一往は、宿善を自力の善とみなされていますが、先に述べたように、阿弥陀仏の光明の働きによって、本願を疑う無明が破られ、浄土に往生する真因である本願の名号を疑いなく信受するように なったといわれていましたから、阿弥陀仏の光明のもつ調育の働きが宿善の本体であるとみなされていたといわねばなりません。それが「往生の信心の定まることはわれらが智分にあらず、光明の縁にもよほし育てられて名号信知の報土の因をうと、しるべしとなり。これを他力といふなり」という結文のこころだったのです。

『蓮如上人御一代記聞書』のなかに、

蓮如上人仰せられ侯ふ。宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候ふよし仰せられ候ふ。 (『註釈版聖典』一三O七頁)

といわれたものは、浄土真宗の宿善の特徴を見事にいい表されています。「宿善めでたし」というのは、自分が善根を積んだからこそ、こうして法に逢うことが出来たと、宿善を自分の功績として誇っているから自力の宿善観になります。しかし「宿善ありがたし」というのは、自力の修行をしたことも含めて、すべては阿弥陀如来のお育てのたまものであったと味わう表現ですから、浄土真宗の宿善観として最もふさわしいといわれたものです。

 ともあれ宿善とは、自分がいま思いがけなく尊いみ教えに逢い、救われた慶びと感動を、遠い過去に遡って表現している言葉であって、宿善を積み重ねることによって教えに逢おうとするような次元の教説では決してなかったのです。

宿善と他力の信心

『口伝鈔』第二章は、「しかれば往生の信心の定まることはわれらが智分にあらず、光明の縁にもよほし育てられて名号信知の報土の因をうと、しるべしとなり。これを他力といふなり。」という言葉で結ばれています。往生の正因である信心が定まることは、私の智慧の領分での出来事ではありません。報土往生の因として成就されている本願の名号を「私の助かる因」であると疑いなく受け容れる信心が起こったのは、すべて阿弥陀仏の光明の縁に育てられた宿善の賜物として恵まれたことです。このように名号だけではなく、それを信受する信心も本願力によって与えられることを他力というといわれるのです。

 ところで覚如上人が、このように光明のはたらきとして宿善を語り、その宿善のはたらきによって往生の業因である名号を疑いなく領受する聞法の器として育てられ、信心を得しめられると、他力に依る獲信の因縁を強調されたのには、それなりの理由がありました。それは、浄土異流の中でも特に鎮西浄土宗を姶めとする自力を肯定する人々からの厳しい論難でした。

 たとえば鎮西派の派祖、聖光房弁長(弁阿)上人の『浄土宗名目問答』巻中には、全く自力をまじえずに阿弥陀仏の本願他力のみによって往生成仏が成就すると主張する「全分他力説」を批判して、

 このこと極めたる僻事なり。そのゆえは、他力とは、全く他力を憑みて一分も自力なしということ、道理としてしかるべからず。自力の善根なしといえども他力によって往生を得るといはば一切の凡夫の輩、いまに穢土に留まるべからず。みなことごとく浄土に往生すべし。 [1](『浄土宗全書』一○・四一○頁・原漢文)

といわれています。もつともこれは直接真宗に対する論難というよりも、真宗も含めて、西山派や一念義系の諸派の「自力を捨てて他力に帰する」という主張全体に対するものでした。もし自力の善根が全くないにもかかわらず、ただ他力のみによって往生するというのならば、阿弥陀仏が正覚を成就して本願他力を完成された十劫正覚の一念に、十方の衆生はみな往生してしまって、穢土に留まっているものなど一人もいないはずではないか。しかし現実には迷っているものが無数に存在するのだから、全分他力説は明らかに事実に背いた誤った見解であるというのです。そもそも第十八願には、往生を願う願生の信心を起こして念仏するものを往生させると誓われていて、何もしないものを救うとはいわれていません。信心を起こし念仏するという往生の因は自分で確立しなければ、どれほど強力な本願力の助縁があっても縁だけでは結果は出てきません。信じることと念仏をすることとは私が為さねばならない往生のための必須条件、すなわち因であって、人一人が貢任を持って確立すべき自力の行いです。もっとも煩悩具足の凡夫である私にできる自力は微弱なものです。しかし本願念仏の功徳はどの行よりも勝れていますし、それに強力な増上縁としての本願力が加わるから、報土に往生することができるのです。それを他力の救いというといわれていました。

 このような、弁長上人の教えを承けて、鎮西教学を大成された弟子の然阿良忠上人は、『決疑鈔』巻一(『浄土宗全書』七・二O九頁)[2]
  1. 此事極僻也 其故 云他力者全馮他力一分無自力事 道理不可然 云雖無自力善根依他力得往生者 一切凡夫之輩于今不可留穢土皆悉可往生淨土
  2. 自力他力者自三學力名爲自力 (自力・他力とは、自らの三學の力を名づけて自力となす。) 佛本願力名爲他力也 (仏の本願力を名づけて他力となすなり。) 問 聖道修行亦請佛加 淨土欣求 行自三業 (問う、聖道の修行もまた佛加を請う。浄土の欣求も自らの三業を行ず。) 而偏名意如何 (これをひとえに名ずく意はいかん。) 答 聖道行人 先行三學 爲成此行而請加力 故屬自力 (答う。聖道の行人は、まず三學を行ず。この行を成ぜんが為に加力を請う。ゆえに自力に属す。) 淨土行人 先信佛力 爲順佛願而行念佛 故屬他力也 (淨土の行人は、まず佛力を信じ佛願に順ぜんが為に念仏を行ず。ゆえに他力に属すなり。) 自強他弱 他強自弱 思之可知 (自は強く他は弱しと、他は強し自は弱きと、これを思いて知るべし。) </red>に、次のようにいわれます。自力の因と、他力の縁とが和合して修行が成就し、往生、あるいは成仏の果を得るという「因縁果の道理」は、聖道門であれ浄土門であれ共通している仏法の法理である。ただ聖道門は、自力の要素が強く、他力の要素が弱いから自力の法門といい、浄土門は、自力の要素が弱く、他力の要素が強いから他力の法門と呼ぶことはあるが、自力ばかり、他力ばかりの教えは存在しないといわれています。  こうした「自力と他力が相俟って救いが成立する」と考える鎮西派を始めとする多くの浄土門の学僧たちから、他力の信心、念仏を説く真宗の教えは仏法の道理に背く誤った教えであると厳しく批判されていました。もし往生の因である信心も念仏も如来から与えられたもので、因も縁も総べて他力であるというのならば、結局は弁阿上人が批判されたように、すでに皆救われているはずで、事実と相違することになる。それに信心は如来から与えられたものであるというのならば、一切の衆生に同時に与えられるはずであるから、みな同時に獲ていなければならないであろう。人によって信心を獲る時に前後の差があるどいうのは矛盾である。もしまた如来は同時に平等に回向されるが、受け取る衆生の宿善に厚薄の違いがあるから、獲信の時に遅速の差が出るというのならば、その宿善が熟するのは自力によるのか、それとも他力によるのか。もし宿善までも如来の他力によって熟せしめられるというならば、道理からいっても全分他力と同じ失に陥り、事実と異なるという過ちを犯すことになる。しかし、もし自力によって宿善が成就するというのならば、自力によって宿善を積み重ねることによって他力の信が起こるという矛盾が生ずる。要するに往生の因である信心も念仏も自力で起こすものであって、他力の信心、他力の念仏というようなものは存在しないということになるという疑難が絶えず突きつけられていました。  それに対し、覚如上入は親鸞聖人が仰せられたように、第十八願の信心も念仏も如来の本願力によって回向された他力の法であると強調し、特に獲信の時に遅速のある道理を、阿弥陀仏の光明摂化を本体とした宿善論を導入することによって論証したのがこの第二章です。  すなわち自己を憑む心が強くて、阿弥陀仏の本願他力の救いを受け容れず、迷妄の自心に惑わされて我執の巣窟に閉じこもっている凡夫は、空しく生死を流転し続けるばかりで、いつまでもたっても生死を解脱することはできません。こうした私どもを自力の巣窟から喚び覚まして、如来の大悲智慧の世界に引き入れるために阿弥陀仏は、機根に応じて権化方便の摂化を垂れて、徐々に教えを受け容れることのできる聞法者を育てられていることを宿善といわれたのです。  それは未熟な機根に従い、順縁、逆縁さまざまな機縁に応じて、ある時は世間の善(世福)を、ある時は小乗の善(戒福)を、ある時は大乗の善(行福)をあたえ、さらには念仏に馴染ませるように、さまざまな法門を以て摂化されたことが諸経に説かれています。その内容は聖道門、要門(第十九願・諸行往生)、真門(第二十願・自力念仏往生)に属する自力の諸善万行でした。しかし、その根源をいえば、阿弥陀仏が真如にかなって万行を円備された名号の徳の一分を調機誘引の自力の方便法として機根の程度に応じてあてがわれたものです。それゆえ本体は円融至徳の嘉号(名号)の一行ですが、宿善として未熟の機にあてがわれている当分(当相)は、千差万別の階層性をもってあてがわれています。したがって機根(理解能力)が熟していくのにも千差万別の遅速があるわけです。宿善が純熟(完全に成育する)し、聞法の器が成就する時節に千差万別の遅速が生じるのはその故です。  しかし宿善の本体は、第十八願成就の名号の体徳であり、未熟の機のために宿善を設定して誘引される仏心の本体は大悲の智慧の光明そのものです。そして自力の善根を暫く与えて、未熟の機を他力の教えが受け容れられる純熟の機に成らせていかれる有様は、後に詳述するように『観経』で自力の機に「権仮の行法をもって、機の真実を顕す」(第一五章・本書二六五頁参照)という筆格と同じことでした。すなわち、自力に執着しているものに自力の行を実践させることによって、自身が自力に堪えられない愚者であることを信知させて、自力を捨てさせ、真実に導くという教導がなされていくのです。したがって、宿善が純熟して開ける信心は、自身は自力ではさとりをひらく手がかりさえもない愚悪の凡夫であると信知し、自力を離れて本願力にまかせきる二種深信で表されるような他力の信心でした。  いいかえれば、阿弥陀仏が未熟の機のために設定された宿善とは、それによって賢善な人になって信心を起こさせるための行善ではなく、自身が自力に堪えられない極悪最下の愚者であることを気付かせて自力を捨てさせるための行善の勧めだったのです。そして自身の愚悪を知ることは、反対に阿弥陀仏の本願の真実を思い知らされることであり、その尊さを慕うように導いていくはたらきを持っているのが宿善のはたらきだったのです。こうして宿善の成就とは二種深信の機となることを意味していました。それは全く本願力の御はからいとして恵まれたことがわかりましょう。こうした宿善の構造を、先哲は「当相自力、体他力」と言い表してきたのです。  ところで阿弥陀仏が未熟の機を育て導いていかれる宿善の本体を覚如上人は、阿弥陀仏の光明摂化のはたらきとして見ていかれますが、その根拠はすでに述べたように『往生礼讃』前序に示された「光明名号、摂化十方」の文でした。そこには諸仏に超え勝れた阿弥陀仏の摂化の特徴として「阿弥陀仏は光明と名号をもって、十方の一切の衆生を救い取ろうと働きつづけ、ひとすじに本願を信じて浄土を願うように働きかけられている。それによって衆生は、ただ疑いなく本願の名号を信受して阿弥陀仏を念じ、浄土を願うものにならしめられる」といわれていました。もともと本願成就の光明は、機に応じて、調育、破闇、摂取のはたらきをなされていますが、いま信前未熟の機に対しては宿善調育のはたらきを施されるというので、光明を宿善の本体とされたわけです。
    1. 此事極僻也 其故 云他力者全馮他力一分無自力事 道理不可然 云雖無自力善根依他力得往生者 一切凡夫之輩于今不可留穢土皆悉可往生淨土
    2. 自力他力者自三學力名爲自力 (自力・他力とは、自らの三學の力を名づけて自力となす。) 佛本願力名爲他力也 (仏の本願力を名づけて他力となすなり。) 問 聖道修行亦請佛加 淨土欣求 行自三業 (問う、聖道の修行もまた佛加を請う。浄土の欣求も自らの三業を行ず。) 而偏名意如何 (これをひとえに名ずく意はいかん。) 答 聖道行人 先行三學 爲成此行而請加力 故屬自力 (答う。聖道の行人は、まず三學を行ず。この行を成ぜんが為に加力を請う。ゆえに自力に属す。) 淨土行人 先信佛力 爲順佛願而行念佛 故屬他力也 (淨土の行人は、まず佛力を信じ佛願に順ぜんが為に念仏を行ず。ゆえに他力に属すなり。) 自強他弱 他強自弱 思之可知 (自は強く他は弱しと、他は強し自は弱きと、これを思いて知るべし。) </red>に、次のようにいわれます。自力の因と、他力の縁とが和合して修行が成就し、往生、あるいは成仏の果を得るという「因縁果の道理」は、聖道門であれ浄土門であれ共通している仏法の法理である。ただ聖道門は、自力の要素が強く、他力の要素が弱いから自力の法門といい、浄土門は、自力の要素が弱く、他力の要素が強いから他力の法門と呼ぶことはあるが、自力ばかり、他力ばかりの教えは存在しないといわれています。  こうした「自力と他力が相俟って救いが成立する」と考える鎮西派を始めとする多くの浄土門の学僧たちから、他力の信心、念仏を説く真宗の教えは仏法の道理に背く誤った教えであると厳しく批判されていました。もし往生の因である信心も念仏も如来から与えられたもので、因も縁も総べて他力であるというのならば、結局は弁阿上人が批判されたように、すでに皆救われているはずで、事実と相違することになる。それに信心は如来から与えられたものであるというのならば、一切の衆生に同時に与えられるはずであるから、みな同時に獲ていなければならないであろう。人によって信心を獲る時に前後の差があるどいうのは矛盾である。もしまた如来は同時に平等に回向されるが、受け取る衆生の宿善に厚薄の違いがあるから、獲信の時に遅速の差が出るというのならば、その宿善が熟するのは自力によるのか、それとも他力によるのか。もし宿善までも如来の他力によって熟せしめられるというならば、道理からいっても全分他力と同じ失に陥り、事実と異なるという過ちを犯すことになる。しかし、もし自力によって宿善が成就するというのならば、自力によって宿善を積み重ねることによって他力の信が起こるという矛盾が生ずる。要するに往生の因である信心も念仏も自力で起こすものであって、他力の信心、他力の念仏というようなものは存在しないということになるという疑難が絶えず突きつけられていました。  それに対し、覚如上入は親鸞聖人が仰せられたように、第十八願の信心も念仏も如来の本願力によって回向された他力の法であると強調し、特に獲信の時に遅速のある道理を、阿弥陀仏の光明摂化を本体とした宿善論を導入することによって論証したのがこの第二章です。  すなわち自己を憑む心が強くて、阿弥陀仏の本願他力の救いを受け容れず、迷妄の自心に惑わされて我執の巣窟に閉じこもっている凡夫は、空しく生死を流転し続けるばかりで、いつまでもたっても生死を解脱することはできません。こうした私どもを自力の巣窟から喚び覚まして、如来の大悲智慧の世界に引き入れるために阿弥陀仏は、機根に応じて権化方便の摂化を垂れて、徐々に教えを受け容れることのできる聞法者を育てられていることを宿善といわれたのです。  それは未熟な機根に従い、順縁、逆縁さまざまな機縁に応じて、ある時は世間の善(世福)を、ある時は小乗の善(戒福)を、ある時は大乗の善(行福)をあたえ、さらには念仏に馴染ませるように、さまざまな法門を以て摂化されたことが諸経に説かれています。その内容は聖道門、要門(第十九願・諸行往生)、真門(第二十願・自力念仏往生)に属する自力の諸善万行でした。しかし、その根源をいえば、阿弥陀仏が真如にかなって万行を円備された名号の徳の一分を調機誘引の自力の方便法として機根の程度に応じてあてがわれたものです。それゆえ本体は円融至徳の嘉号(名号)の一行ですが、宿善として未熟の機にあてがわれている当分(当相)は、千差万別の階層性をもってあてがわれています。したがって機根(理解能力)が熟していくのにも千差万別の遅速があるわけです。宿善が純熟(完全に成育する)し、聞法の器が成就する時節に千差万別の遅速が生じるのはその故です。  しかし宿善の本体は、第十八願成就の名号の体徳であり、未熟の機のために宿善を設定して誘引される仏心の本体は大悲の智慧の光明そのものです。そして自力の善根を暫く与えて、未熟の機を他力の教えが受け容れられる純熟の機に成らせていかれる有様は、後に詳述するように『観経』で自力の機に「権仮の行法をもって、機の真実を顕す」(第一五章・本書二六五頁参照)という筆格と同じことでした。すなわち、自力に執着しているものに自力の行を実践させることによって、自身が自力に堪えられない愚者であることを信知させて、自力を捨てさせ、真実に導くという教導がなされていくのです。したがって、宿善が純熟して開ける信心は、自身は自力ではさとりをひらく手がかりさえもない愚悪の凡夫であると信知し、自力を離れて本願力にまかせきる二種深信で表されるような他力の信心でした。  いいかえれば、阿弥陀仏が未熟の機のために設定された宿善とは、それによって賢善な人になって信心を起こさせるための行善ではなく、自身が自力に堪えられない極悪最下の愚者であることを気付かせて自力を捨てさせるための行善の勧めだったのです。そして自身の愚悪を知ることは、反対に阿弥陀仏の本願の真実を思い知らされることであり、その尊さを慕うように導いていくはたらきを持っているのが宿善のはたらきだったのです。こうして宿善の成就とは二種深信の機となることを意味していました。それは全く本願力の御はからいとして恵まれたことがわかりましょう。こうした宿善の構造を、先哲は「当相自力、体他力」と言い表してきたのです。  ところで阿弥陀仏が未熟の機を育て導いていかれる宿善の本体を覚如上人は、阿弥陀仏の光明摂化のはたらきとして見ていかれますが、その根拠はすでに述べたように『往生礼讃』前序に示された「光明名号、摂化十方」の文でした。そこには諸仏に超え勝れた阿弥陀仏の摂化の特徴として「阿弥陀仏は光明と名号をもって、十方の一切の衆生を救い取ろうと働きつづけ、ひとすじに本願を信じて浄土を願うように働きかけられている。それによって衆生は、ただ疑いなく本願の名号を信受して阿弥陀仏を念じ、浄土を願うものにならしめられる」といわれていました。もともと本願成就の光明は、機に応じて、調育、破闇、摂取のはたらきをなされていますが、いま信前未熟の機に対しては宿善調育のはたらきを施されるというので、光明を宿善の本体とされたわけです。 <references/>

      善と悪の二つの行いについて

      [現代語訳]

       親鸞聖人はこのように仰せられました。

       「私は往生のために、善を欲しいとも、また悪を恐ろしいとも全く思わない。善を欲しいと思わないのは、阿弥陀仏の本願を疑いなく受け容れる信心に勝る善はないからである。悪を恐れないのは、阿弥陀仏の本願の救いを妨げるような悪は存在しないからである。

       ところが世間の人はみな、善徳を具えていなければ、たとえ念仏をしていても往生はできまいとか、また、たとえ念仏しても、悪業が深く重ければ往生はできまいと思っている。しかしこのような考えは、どちらも大きな間違いである。

       もし思いのままに悪行をとどめ、思いのままに善徳を具えて生死の迷いを離れ、浄土に往生することができるのならば、あえて阿弥陀仏の本願を信じなくても何の不足もないはずである。しかし思いのままに悪をとどめ、善を行ずることができないから、悪行を恐れながらも悪をなし、善徳はあって欲しいと期待しながらも、得ることができないのが愚かな凡夫なのである。このようなあさましい貪欲、瞋恚、愚痴の三毒煩悩を具えている悪人で、自分の力で生死の迷いを超え離れる道の断えているものを救い取るために、五劫ものあいだ思惟を重ねて建てられた本願であるから、必ずお救いいただけると疑いをまじえずに仏智のおんはからいを受け容れるに越したことはない。ところが善人が念仏していると、必ず往生するであろうと思い、悪人が念仏していると、往生できるかどうか疑わしく思う。そのために凡夫救済の本願のご計画を見失い、自分が悟りの手がかりさえもない悪人であるごとを知らないで終ってしまう。

      そもそも凡夫をわけへだてなく救おうと思し召す平等の大慈悲に促されて建てられた特別の本願を因として、それに報いて完成された果徳としての阿弥陀仏は、本願の通りに一切の衆生をわけへだてなく救いたまう報身仏であり、浄土は本願を信ずるものを迎え取る本願成就の報土である。それゆえ自力を捨てて本願に身をゆだねるものは、人間や、天人(神々)などの凡夫であれ、声聞や縁覚といわれる小乗の聖者や、大乗の聖者である菩薩であれ、善悪・賢愚のへだてなく平等にさとりの領域である報土に往生せしめられる。

      このように五乗(人・天・声聞・縁覚・菩薩)を平等に最高のさとりの領域に生れさせるような本願は、あらゆる仏陀たちが未だかつて発されたことのない超え勝れた不可思議の誓願である。その本願によって成就さ札た報土へは、大乗経典を読み、「一切は空である」という真理を理解できるような賢善な人であったとしても、生れつきの能力によつて獲得した善のカだけで生れることは決してできないのである。また悪行は、もともとすべての仏陀が嫌い捨てられたものであるから、悪を重ねたことを因として浄土を望むことは勿論ありえない。

       それゆえ生れつきの能力でなした善も悪も、報土に往生するための役にも立たず、邪魔にもな らないことはいうまでもない。だからこの善人・悪人の上に与えられている阿弥陀仏の智慧の現れである本願の名号をたよりとしなかったならば、どうして凡夫に浄土に生れるに足る徳があろうか。 だからこ(善も欲しくない)悪も恐ろしくないといったのである」と仰せられました。

       こういうわけですから光明寺の善導大師は、「弘願というは、『大経』の説のごとし。一切の 善悪の凡夫、生ずることを得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざるはなし」といわれました。 この文章の意味は、「弘願(一切の衆生をへだてなく包む広大な本願)というのは、『大無量寿経』に説かれているとおりである。善人であれ、悪人であれ、一切の凡夫が浄土に生れることができるのは、みな阿弥陀仏の大願業力(広大な本願の救済力)に身をまかせて、それを勝れた因縁(増上縁)としてたのみにしないものは無い」というのです。

       したがって、過去世において善を積み重ねたものは、この世においても善を好み悪を恐れるが、過去世で重い悪を造ってきたものは、この世でも悪を造ることを好み、善とは縁遠い生き方をするものです。ただ私どもは、この世で行う善悪の二つは、過去世で行った善悪の因の催すままにまかせてあげつらわず、往生という偉大な利益を得るのは、ひとえに本願他力によると如来にまかせるべきです。決して自分の心の善し悪しにとらわれて往生ができるかできないかの判定をしてはならない、というのです。

       こういうことから、あるとき聖人が、「そなたたち、念仏するよりもっとたやすく往生のできる道がある。それを伝授してあげよう」といい、「人を千人殺したならばわけなく往生ができる。みなこの教えに従ったらどうだ」と仰せられました。そのときある一人の弟子がいうには、「私の場合は、千人などおもいもよりません、一人たりとも殺害できるような心地は致しません」と申しました。

       聖人は重ねて仰せられました。「そなたは日頃から私の教えに背いたことがないから、いま私が教えたことについてもきっと疑いをさしはさんではいないだろうと思う。ところが、一人も殺害できるような心地がしないというのは、この世で人を殺すような種(因)を過去世で造っていなかったからである。もし過去世において人を殺すような種を蒔いていたならば、たとえ殺生の罪を犯してはならない、もし犯せば往生を遂げることができないそと誠めたとしても、過去の種(因)にもよおされて必ず殺人の罪を作るであろう。この世で行う善行も悪行も二つとも、宿因(過去世の因種)のうながしによる結果として現れたものである。こういうわけであるから、浄土に往生するということに関しては、本願力の働きだけに依ることであって、自分の造った善も助けにはならないし、悪も障りにはならないということは、これになぞらえて理解しなさい」と。

      【講讃】

      『口伝鈔』と『歎異抄』

       覚如上人がご往生されて十カ月ばかり後に、上人の次男、従覚上人が父を慕って著された『慕帰絵』という絵巻物があります。その第三巻(『真聖全三・七八○頁)に、覚如上人は十九歳のとき、常陸国(茨城県)から上洛してきた河和田の唯円房に遇い、真宗の教義、特に善悪二業についての親鸞聖人の考え方を聞きただし、味わいを深めたといわれています。正応元年(一二八八)の冬といいますから、恐らく聖人の御正忌(十一月二十八日)のことだったと思います。つまり覚如上人は、『歎異抄』の著者から、善悪二業について教えを受けておられたことになります。

       唯円房は翌年二月六日、大和国(奈良県)下市の立興寺で往生を遂げたという伝説がありますから、京都から下市付近に住んでいた門徒を訪ねて、そこで往生を遂げたのでしょう。したがって、大谷の御廟所を訪ねたときにはすでに『歎異抄』は著していたはずですし、覚如上人はそのとき『歎異抄』を譲られた可能性は高いといえましょう。実際、『口伝鈔』には至る所に『歎異抄』の影響と見られる法語が記されており、この第四章も『歎異抄』第一条の、

      弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々     (『註釈版聖典』八三一頁)

      という法語と、同じく第十三条の親鸞聖人と唯円房との対話をもとにして構成された法語であると いえましょう。

       私どもは、自分の知性と意志と行動によって、自己や社会をより善いものにするために力の限りつくさねばなりません。しかし海面上に出ている氷山が全体の二、三割でしかなく、大部分は海面下に隠れているように、自分に解っている自分はほんの一部分であって、その奥には自分の意識も知性の光も届かない深く隠れた部分があるのも事実です。実際、人生は思いがけないことの連続であって、まるで濁流に押し流されるように生きています。何が出てくるか知れないし、また何が出てきても不思議ではないといわざるをえない、不気味な深淵を自分の奥に抱えています。それを『歎暴抄』では、「業縁」とか「宿業」と呼び『口伝鈔』では「宿因」といわれていました。

       しかしまたそこには、不気味な自己の全体を見捨てたまうことなく、あたたかく包みとる阿弥陀如来の大悲の本願のましますことが同時に告げられていました。それは善悪・賢愚を超えて、一切の衆生をわけへだてなく包摂する不可思議な慈悲の活動でした。人間の意識の表面をかするような浅薄な救いではなく、底なしの煩悩を抱えたものを、そっくりそのまま包んで安住の場を与えるような、広大無辺な活動でした。すでに救いが私どもの善も悪も完全に超えた不可思議の働きであるとすれば、そこには私どものはからいを差しはさむ余地は全くありません。救いを呼びかけたまう如来の本願のみ言葉を「まこと」と受け容れる信心の開けるときに救いは成立します。それゆえ親鸞聖人は「ただ信心を要とす」といわれたのでした。

      宿業について

       ところで、『歎異抄』と『口伝鈔』を比較しますと、同じ事をいわれているのですが、緊迫感が全く違います。また表現にも少なからぬ違いのあることが気になります。まず親鸞聖人と唯円房の問答ですが、『歎異抄』第十三条では、聖人が唯円房に、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」 (『同』八四二頁)といわれたので、「さん候ふ」と答えますと、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、たたみかけるようにいわれています。そして唯円房がつつしんで承諾したとき聖人は、「たとへば、ひと千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と仰せられました。そこで唯円房が、「仰せにては侯へども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼえず侯ふ」と返事をしますと、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ」と鋭く彼に迫っていかれました。これだけの前提があって初めてこの間答は、人間は自分の思いのままに振る舞えるような単純な存在ではなく、自分で自分をどうすることもできないような底知れぬ深みを持っていることを思い知らすことができたのです。

       そこで「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」といわれた言葉が重い響きを持ってくるのです。 このように見てくると、これは明らかに聖人と唯円房との一対一の対話の流れの中の一節で、先行する対話は省かれていますが、決して不特定多数の入に語られたものではないことがわかります。ところが『口伝鈔』は、幾人かの門弟にいわれたことになっているために、この法語の持つ緊迫感が失われています。

       ここでいわれた「業縁」という言葉は、人間の意識もとどかず、知性も意志も努力も及ばない、自己自身の存在の深層領域を表現されたものです。それをまた、「さるぺき業縁」とも「宿業」ともいわれています。「さるべき業縁」とは、自分をそのような状態にあらしめている知られざる因縁ということであり、「宿業」とは、今の自分には知りようもない不気味な力の促しに自分が押し流されていることの辛さと、しかもそれを我が事として引き受けなければならないことの不条理をいい表した言葉でした。『口伝鈔』ではそれを「宿因」といわれていますが、いずれにせよこのような言葉で表されている状況は、決して人間には理解できない自身の深層領域であって、それはただ仏のみがしろしめす煩悩具足の凡夫の深部であるというべきでしょう。親鸞聖人はそのことを『歎異抄』では、

      弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ    (『同』八五三頁)

      ともいわれていました。阿弥陀仏(法蔵菩薩)が、五劫ものあいだ思惟を重ねなけ札ば救いの道を見出すことができなかったほど、「それほどの業」を持っている身であることを「宿業」といい、「さるべき業縁」といわれたのです。それは善導大師が機の深信の内容として表現された、自身には成仏の手がかりさえもないという状況を表す言葉だったのです。それゆえ『歎異抄』は、続いて 「善導の「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしづみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)といふ金言に、すこしもたがはせおはしまさず」   (『同』八五三頁)といい、磯の深信に合されていたのです。

       このような「さるべき業縁」とか、「宿業」という言葉が表す領域は、通常の論理で説明しようとするとかえって誤解を招くおそれがあります。たとえば『口伝鈔』に過去の世の善悪業の因(宿因)の報いとして、今生(いまの世)の善悪業が生起するといわれたものがそれです。

      『ロ伝鈔』の宿因について

      『口伝鈔』には、「されば宿善あつきひとは、今生に善をこのみ悪をおそる。宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ善にうとし。(中略)善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところなり (『同』八七八頁)といわれていますが、ここにはいくつかの間題があります。まず宿善ということですが、第二章に述べられた宿善とは言葉は同じですが内容は違っています。第二章では、信心を得る善き因縁としての宿善で、その本体は阿弥陀仏の光明のもつ調育の働きでした。しかしここでいわれる宿善は、宿悪に対する言葉で、今生で善をなし得る素質に生れるか悪をなすような素質をもって生れるかの違いを、前世の善悪業によって説明しようとしたものでした。前者は信心獲得の機に育て上げる如来の働きを表そうとする宿善であり、後者は凡夫が行う善悪の行為についての説明ですから、両者は別物といわねばなりません。

       つぎに「善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところなり」といわれていることが問題です。今生において行う善悪の行為(業)が、すべて過去世の善悪の行為の結果として必然的に現れて来たものならば、過去世の善悪の行為もまたその前世の行為の結果になり、どこまで遡っていっても、行為の主体を捉えることができなくなります。行為とは、自らの自由な意思によって決断して為す行いのことであって、それゆえにその行為の責任は行為者がもつことになります。 そのような自己が行為の主体なのです。ところが私が行う善行も悪行も、自分の自由な意思によって決断したことではなくて、過去世に行った善・悪の行為の結果であるとすれば、その行為のまことの主体は現在の私ではなくなり、過去へ過去へとさかのぼり、私は私の行為に対して全く責任を負う必要がなくなります。

       さらにまた悪を行うものは限りなく悪を行いつづけ、善を行うものは限りなく善を行いつづけることになり、悪を転換して善をなすということがなくなり、世俗の倫理も仏道修行も成立しなくなってしまいます。したがってこの論理は仏教がもっとも嫌う決定論・運命論に陥ってしまいます。

       一般に仏教ではそのような過ちを犯さないために、善もしくは悪の行為は因であって決して果ではなく、それに報いて成立する果は、苦もしくは楽であって善でも悪でもない「無記」であるといっています。無記とは善とも悪とも記せられない中性的な性質の行いのことです。このように善・悪は、楽もしくは苦なる果報を招く因の名であって、果報の名称ではありません。果報は必ず苦・楽という無記の性質をもっていますから、苦なる状況の中でも善を行うことができるし、楽の中で悪を行うこともできるわけです。こうして苦の現状を転じて楽の果報を招来するためには善を行えという教えが成立し得るのです。

      覚如上人は、若年のころから倶舎や唯識といった仏教の基礎理論を学び、廃悪修善の修行の基礎となる業報論を知り尽しておられました。それにもかかわらず、このような論理を展開されたのは、恐らく、本願のみ教えによって、自分では決して処理しきれない自身の罪障を信知し、自力の修行では手のつけようもない自己の内奥を表現するために、あえてこのような論理を用いられたのではないでしょうか。『口伝鈔』の業報論は、機の深信の内容を説明するためのものであって、通常の倫理観や、修行理論を述べたものではなかったと見るべきでしょう。

      なお、輪廻転生論に立った善悪業報の理論そのものも検討しなければならない多くの課題をもっていることに注意しておかねばなりません。


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    善と悪の二つの行いについて

    [現代語訳]

     親鸞聖人はこのように仰せられました。

     「私は往生のために、善を欲しいとも、また悪を恐ろしいとも全く思わない。善を欲しいと思わないのは、阿弥陀仏の本願を疑いなく受け容れる信心に勝る善はないからである。悪を恐れないのは、阿弥陀仏の本願の救いを妨げるような悪は存在しないからである。

     ところが世間の人はみな、善徳を具えていなければ、たとえ念仏をしていても往生はできまいとか、また、たとえ念仏しても、悪業が深く重ければ往生はできまいと思っている。しかしこのような考えは、どちらも大きな間違いである。

     もし思いのままに悪行をとどめ、思いのままに善徳を具えて生死の迷いを離れ、浄土に往生することができるのならば、あえて阿弥陀仏の本願を信じなくても何の不足もないはずである。しかし思いのままに悪をとどめ、善を行ずることができないから、悪行を恐れながらも悪をなし、善徳はあって欲しいと期待しながらも、得ることができないのが愚かな凡夫なのである。このようなあさましい貪欲、瞋恚、愚痴の三毒煩悩を具えている悪人で、自分の力で生死の迷いを超え離れる道の断えているものを救い取るために、五劫ものあいだ思惟を重ねて建てられた本願であるから、必ずお救いいただけると疑いをまじえずに仏智のおんはからいを受け容れるに越したことはない。ところが善人が念仏していると、必ず往生するであろうと思い、悪人が念仏していると、往生できるかどうか疑わしく思う。そのために凡夫救済の本願のご計画を見失い、自分が悟りの手がかりさえもない悪人であるごとを知らないで終ってしまう。

    そもそも凡夫をわけへだてなく救おうと思し召す平等の大慈悲に促されて建てられた特別の本願を因として、それに報いて完成された果徳としての阿弥陀仏は、本願の通りに一切の衆生をわけへだてなく救いたまう報身仏であり、浄土は本願を信ずるものを迎え取る本願成就の報土である。それゆえ自力を捨てて本願に身をゆだねるものは、人間や、天人(神々)などの凡夫であれ、声聞や縁覚といわれる小乗の聖者や、大乗の聖者である菩薩であれ、善悪・賢愚のへだてなく平等にさとりの領域である報土に往生せしめられる。

    このように五乗(人・天・声聞・縁覚・菩薩)を平等に最高のさとりの領域に生れさせるような本願は、あらゆる仏陀たちが未だかつて発されたことのない超え勝れた不可思議の誓願である。その本願によって成就さ札た報土へは、大乗経典を読み、「一切は空である」という真理を理解できるような賢善な人であったとしても、生れつきの能力によつて獲得した善のカだけで生れることは決してできないのである。また悪行は、もともとすべての仏陀が嫌い捨てられたものであるから、悪を重ねたことを因として浄土を望むことは勿論ありえない。

     それゆえ生れつきの能力でなした善も悪も、報土に往生するための役にも立たず、邪魔にもな らないことはいうまでもない。だからこの善人・悪人の上に与えられている阿弥陀仏の智慧の現れである本願の名号をたよりとしなかったならば、どうして凡夫に浄土に生れるに足る徳があろうか。 だからこ(善も欲しくない)悪も恐ろしくないといったのである」と仰せられました。

     こういうわけですから光明寺の善導大師は、「弘願というは、『大経』の説のごとし。一切の 善悪の凡夫、生ずることを得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざるはなし」といわれました。 この文章の意味は、「弘願(一切の衆生をへだてなく包む広大な本願)というのは、『大無量寿経』に説かれているとおりである。善人であれ、悪人であれ、一切の凡夫が浄土に生れることができるのは、みな阿弥陀仏の大願業力(広大な本願の救済力)に身をまかせて、それを勝れた因縁(増上縁)としてたのみにしないものは無い」というのです。

     したがって、過去世において善を積み重ねたものは、この世においても善を好み悪を恐れるが、過去世で重い悪を造ってきたものは、この世でも悪を造ることを好み、善とは縁遠い生き方をするものです。ただ私どもは、この世で行う善悪の二つは、過去世で行った善悪の因の催すままにまかせてあげつらわず、往生という偉大な利益を得るのは、ひとえに本願他力によると如来にまかせるべきです。決して自分の心の善し悪しにとらわれて往生ができるかできないかの判定をしてはならない、というのです。

     こういうことから、あるとき聖人が、「そなたたち、念仏するよりもっとたやすく往生のできる道がある。それを伝授してあげよう」といい、「人を千人殺したならばわけなく往生ができる。みなこの教えに従ったらどうだ」と仰せられました。そのときある一人の弟子がいうには、「私の場合は、千人などおもいもよりません、一人たりとも殺害できるような心地は致しません」と申しました。

     聖人は重ねて仰せられました。「そなたは日頃から私の教えに背いたことがないから、いま私が教えたことについてもきっと疑いをさしはさんではいないだろうと思う。ところが、一人も殺害できるような心地がしないというのは、この世で人を殺すような種(因)を過去世で造っていなかったからである。もし過去世において人を殺すような種を蒔いていたならば、たとえ殺生の罪を犯してはならない、もし犯せば往生を遂げることができないそと誠めたとしても、過去の種(因)にもよおされて必ず殺人の罪を作るであろう。この世で行う善行も悪行も二つとも、宿因(過去世の因種)のうながしによる結果として現れたものである。こういうわけであるから、浄土に往生するということに関しては、本願力の働きだけに依ることであって、自分の造った善も助けにはならないし、悪も障りにはならないということは、これになぞらえて理解しなさい」と。

    【講讃】

    『口伝鈔』と『歎異抄』

     覚如上人がご往生されて十カ月ばかり後に、上人の次男、従覚上人が父を慕って著された『慕帰絵』という絵巻物があります。その第三巻(『真聖全三・七八○頁)に、覚如上人は十九歳のとき、常陸国(茨城県)から上洛してきた河和田の唯円房に遇い、真宗の教義、特に善悪二業についての親鸞聖人の考え方を聞きただし、味わいを深めたといわれています。正応元年(一二八八)の冬といいますから、恐らく聖人の御正忌(十一月二十八日)のことだったと思います。つまり覚如上人は、『歎異抄』の著者から、善悪二業について教えを受けておられたことになります。

     唯円房は翌年二月六日、大和国(奈良県)下市の立興寺で往生を遂げたという伝説がありますから、京都から下市付近に住んでいた門徒を訪ねて、そこで往生を遂げたのでしょう。したがって、大谷の御廟所を訪ねたときにはすでに『歎異抄』は著していたはずですし、覚如上人はそのとき『歎異抄』を譲られた可能性は高いといえましょう。実際、『口伝鈔』には至る所に『歎異抄』の影響と見られる法語が記されており、この第四章も『歎異抄』第一条の、

    弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々     (『註釈版聖典』八三一頁)

    という法語と、同じく第十三条の親鸞聖人と唯円房との対話をもとにして構成された法語であると いえましょう。

     私どもは、自分の知性と意志と行動によって、自己や社会をより善いものにするために力の限りつくさねばなりません。しかし海面上に出ている氷山が全体の二、三割でしかなく、大部分は海面下に隠れているように、自分に解っている自分はほんの一部分であって、その奥には自分の意識も知性の光も届かない深く隠れた部分があるのも事実です。実際、人生は思いがけないことの連続であって、まるで濁流に押し流されるように生きています。何が出てくるか知れないし、また何が出てきても不思議ではないといわざるをえない、不気味な深淵を自分の奥に抱えています。それを『歎暴抄』では、「業縁」とか「宿業」と呼び『口伝鈔』では「宿因」といわれていました。

     しかしまたそこには、不気味な自己の全体を見捨てたまうことなく、あたたかく包みとる阿弥陀如来の大悲の本願のましますことが同時に告げられていました。それは善悪・賢愚を超えて、一切の衆生をわけへだてなく包摂する不可思議な慈悲の活動でした。人間の意識の表面をかするような浅薄な救いではなく、底なしの煩悩を抱えたものを、そっくりそのまま包んで安住の場を与えるような、広大無辺な活動でした。すでに救いが私どもの善も悪も完全に超えた不可思議の働きであるとすれば、そこには私どものはからいを差しはさむ余地は全くありません。救いを呼びかけたまう如来の本願のみ言葉を「まこと」と受け容れる信心の開けるときに救いは成立します。それゆえ親鸞聖人は「ただ信心を要とす」といわれたのでした。

    宿業について

     ところで、『歎異抄』と『口伝鈔』を比較しますと、同じ事をいわれているのですが、緊迫感が全く違います。また表現にも少なからぬ違いのあることが気になります。まず親鸞聖人と唯円房の問答ですが、『歎異抄』第十三条では、聖人が唯円房に、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」 (『同』八四二頁)といわれたので、「さん候ふ」と答えますと、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、たたみかけるようにいわれています。そして唯円房がつつしんで承諾したとき聖人は、「たとへば、ひと千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と仰せられました。そこで唯円房が、「仰せにては侯へども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼえず侯ふ」と返事をしますと、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ」と鋭く彼に迫っていかれました。これだけの前提があって初めてこの間答は、人間は自分の思いのままに振る舞えるような単純な存在ではなく、自分で自分をどうすることもできないような底知れぬ深みを持っていることを思い知らすことができたのです。

     そこで「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」といわれた言葉が重い響きを持ってくるのです。 このように見てくると、これは明らかに聖人と唯円房との一対一の対話の流れの中の一節で、先行する対話は省かれていますが、決して不特定多数の入に語られたものではないことがわかります。ところが『口伝鈔』は、幾人かの門弟にいわれたことになっているために、この法語の持つ緊迫感が失われています。

     ここでいわれた「業縁」という言葉は、人間の意識もとどかず、知性も意志も努力も及ばない、自己自身の存在の深層領域を表現されたものです。それをまた、「さるぺき業縁」とも「宿業」ともいわれています。「さるべき業縁」とは、自分をそのような状態にあらしめている知られざる因縁ということであり、「宿業」とは、今の自分には知りようもない不気味な力の促しに自分が押し流されていることの辛さと、しかもそれを我が事として引き受けなければならないことの不条理をいい表した言葉でした。『口伝鈔』ではそれを「宿因」といわれていますが、いずれにせよこのような言葉で表されている状況は、決して人間には理解できない自身の深層領域であって、それはただ仏のみがしろしめす煩悩具足の凡夫の深部であるというべきでしょう。親鸞聖人はそのことを『歎異抄』では、

    弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ    (『同』八五三頁)

    ともいわれていました。阿弥陀仏(法蔵菩薩)が、五劫ものあいだ思惟を重ねなけ札ば救いの道を見出すことができなかったほど、「それほどの業」を持っている身であることを「宿業」といい、「さるべき業縁」といわれたのです。それは善導大師が機の深信の内容として表現された、自身には成仏の手がかりさえもないという状況を表す言葉だったのです。それゆえ『歎異抄』は、続いて 「善導の「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしづみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)といふ金言に、すこしもたがはせおはしまさず」   (『同』八五三頁)といい、磯の深信に合されていたのです。

     このような「さるべき業縁」とか、「宿業」という言葉が表す領域は、通常の論理で説明しようとするとかえって誤解を招くおそれがあります。たとえば『口伝鈔』に過去の世の善悪業の因(宿因)の報いとして、今生(いまの世)の善悪業が生起するといわれたものがそれです。

    『ロ伝鈔』の宿因について

    『口伝鈔』には、「されば宿善あつきひとは、今生に善をこのみ悪をおそる。宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ善にうとし。(中略)善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところなり (『同』八七八頁)といわれていますが、ここにはいくつかの間題があります。まず宿善ということですが、第二章に述べられた宿善とは言葉は同じですが内容は違っています。第二章では、信心を得る善き因縁としての宿善で、その本体は阿弥陀仏の光明のもつ調育の働きでした。しかしここでいわれる宿善は、宿悪に対する言葉で、今生で善をなし得る素質に生れるか悪をなすような素質をもって生れるかの違いを、前世の善悪業によって説明しようとしたものでした。前者は信心獲得の機に育て上げる如来の働きを表そうとする宿善であり、後者は凡夫が行う善悪の行為についての説明ですから、両者は別物といわねばなりません。

     つぎに「善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところなり」といわれていることが問題です。今生において行う善悪の行為(業)が、すべて過去世の善悪の行為の結果として必然的に現れて来たものならば、過去世の善悪の行為もまたその前世の行為の結果になり、どこまで遡っていっても、行為の主体を捉えることができなくなります。行為とは、自らの自由な意思によって決断して為す行いのことであって、それゆえにその行為の責任は行為者がもつことになります。 そのような自己が行為の主体なのです。ところが私が行う善行も悪行も、自分の自由な意思によって決断したことではなくて、過去世に行った善・悪の行為の結果であるとすれば、その行為のまことの主体は現在の私ではなくなり、過去へ過去へとさかのぼり、私は私の行為に対して全く責任を負う必要がなくなります。

     さらにまた悪を行うものは限りなく悪を行いつづけ、善を行うものは限りなく善を行いつづけることになり、悪を転換して善をなすということがなくなり、世俗の倫理も仏道修行も成立しなくなってしまいます。したがってこの論理は仏教がもっとも嫌う決定論・運命論に陥ってしまいます。

     一般に仏教ではそのような過ちを犯さないために、善もしくは悪の行為は因であって決して果ではなく、それに報いて成立する果は、苦もしくは楽であって善でも悪でもない「無記」であるといっています。無記とは善とも悪とも記せられない中性的な性質の行いのことです。このように善・悪は、楽もしくは苦なる果報を招く因の名であって、果報の名称ではありません。果報は必ず苦・楽という無記の性質をもっていますから、苦なる状況の中でも善を行うことができるし、楽の中で悪を行うこともできるわけです。こうして苦の現状を転じて楽の果報を招来するためには善を行えという教えが成立し得るのです。

    覚如上人は、若年のころから倶舎や唯識といった仏教の基礎理論を学び、廃悪修善の修行の基礎となる業報論を知り尽しておられました。それにもかかわらず、このような論理を展開されたのは、恐らく、本願のみ教えによって、自分では決して処理しきれない自身の罪障を信知し、自力の修行では手のつけようもない自己の内奥を表現するために、あえてこのような論理を用いられたのではないでしょうか。『口伝鈔』の業報論は、機の深信の内容を説明するためのものであって、通常の倫理観や、修行理論を述べたものではなかったと見るべきでしょう。

    なお、輪廻転生論に立った善悪業報の理論そのものも検討しなければならない多くの課題をもっていることに注意しておかねばなりません。


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