操作

トーク

「随喜」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(ページの作成:「問曰。求佛道者。何以不自作功徳而心行隨喜。 答曰。諸菩薩以方便力。他勤勞作功徳。能於中起隨喜者福徳 勝自作者。」)
 
 
1行目: 1行目:
問曰。求佛道者。何以不自作功徳而心行隨喜。
 
  
答曰。諸菩薩以方便力。他勤勞作功徳。能於中起隨喜者福徳 勝自作者。
+
:問曰。求佛道者。何以不自作功徳而心行隨喜。
 +
::問うて曰く、仏道を求むる者にして、何を以ってか、自ら功徳を作さずして、而も心に随喜を行ずる。
 +
:答曰。諸菩薩以方便力。他勤勞作功徳。能於中起隨喜者福徳 勝自作者。
 +
::答えて曰く、諸の菩薩は、方便力を以って、他の勤労し、功徳を作すを、能く中に於いて、随喜を起こせば、福徳は自ら作す者に勝る。
 +
 
 +
:復次是隨喜福徳。即是實福徳。
 +
::復た次ぎに、是の随喜の福徳は、即ち是れ実の福徳なり。
 +
:所以者何。念過去佛即是念佛三昧。亦是六念中。念佛念法念僧念戒念捨念天等。因行清淨戒入禪定。起畢竟智慧和合故。能起正隨喜。
 +
::何を以っての故に、過去の仏を念ずるは、即ち是れ念仏三昧にして、亦た是れ六念中の念仏、念法、念僧、念戒、念捨、念天等なれば、清浄戒を行うに因って、禅定に入り、畢竟の智慧を起こして、和合するが故に、能く正随喜を起こす。
 +
:是故不但隨喜而已。亦行是實法。
 +
::是の故に、但だ随喜するのみにあらず、亦た是の実の法を行ずるなり。
 +
 
 +
[http://tubamedou.egoism.jp/Daichidoron/Daichidoron61-70/Daichidoronn61a.htm?20190825-1112#%E7%B5%8C%EF%BC%9A%E9%9A%8F%E5%96%9C%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%81%E9%98%BF%E8%80%A8%E5%A4%9A%E7%BE%85%E4%B8%89%E8%97%90%E4%B8%89%E8%8F%A9%E6%8F%90%E3%81%AB%E8%BF%B4%E5%90%91%E3%81%99%E3%82%8B ]

2019年8月25日 (日) 11:27時点における最新版

問曰。求佛道者。何以不自作功徳而心行隨喜。
問うて曰く、仏道を求むる者にして、何を以ってか、自ら功徳を作さずして、而も心に随喜を行ずる。
答曰。諸菩薩以方便力。他勤勞作功徳。能於中起隨喜者福徳 勝自作者。
答えて曰く、諸の菩薩は、方便力を以って、他の勤労し、功徳を作すを、能く中に於いて、随喜を起こせば、福徳は自ら作す者に勝る。
復次是隨喜福徳。即是實福徳。
復た次ぎに、是の随喜の福徳は、即ち是れ実の福徳なり。
所以者何。念過去佛即是念佛三昧。亦是六念中。念佛念法念僧念戒念捨念天等。因行清淨戒入禪定。起畢竟智慧和合故。能起正隨喜。
何を以っての故に、過去の仏を念ずるは、即ち是れ念仏三昧にして、亦た是れ六念中の念仏、念法、念僧、念戒、念捨、念天等なれば、清浄戒を行うに因って、禅定に入り、畢竟の智慧を起こして、和合するが故に、能く正随喜を起こす。
是故不但隨喜而已。亦行是實法。
是の故に、但だ随喜するのみにあらず、亦た是の実の法を行ずるなり。

[1]