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一分…歓喜せん

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2004年11月23日 (火) 19:39時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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いちぶん…歓喜せん

 通常は「一分の毛をもつて大海の水の二三渧のごときを分ち取るがごとし。苦のすでに滅するは大海の水のごとし。余のいまだ滅せざるものは二三滴のごときなれば心大いに歓喜す」と読む。「渧」はしずくの意。

親鸞聖人は「信心の行者は煩悩具足の身であって、滅した苦しみは、大海の水の二三滴ほどでしかないが、それでもなお歓喜する」という意に転じ、原文を読み改められた。(行巻 P.147)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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