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「一文不知」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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[[一枚起請文]]には、「たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして」とある。この文を「愚者になるための<kana>勉強(つとめはげむ)</kana>ということがあるのですよ」と聴いたが、お聖教は読めば読むほど小生を愚者にするらしい。ありがたいこっちゃ。なまんだぶ
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[[一枚起請文]]には、
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:「たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして」
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とある。この文を「愚者になるための<kana>勉強(つとめはげむ)</kana>ということがあるのですよ」と聴いたが、お聖教は読めば読むほど小生を愚者にするらしい。ありがたいこっちゃ。なまんだぶ

2020年2月11日 (火) 17:25時点における最新版

いちもんふち

 文字ひとつ知らず、無学、無智であること。(一代記 P.1308,一枚起請 P.1429,御文章 P.1189)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

一枚起請文には、

「たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして」

とある。この文を「愚者になるための勉強(つとめはげむ)ということがあるのですよ」と聴いたが、お聖教は読めば読むほど小生を愚者にするらしい。ありがたいこっちゃ。なまんだぶ