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「両重因縁」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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この「両重因縁」釈の拠り所は『往生礼讃』の「光号摂化」の釈である。
 
この「両重因縁」釈の拠り所は『往生礼讃』の「光号摂化」の釈である。
:しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。ただ信心をもつて求念すれば、上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、仏願力をもつて易く往生を得。([[往生礼讃 (七祖)#P--659|往生礼讃 P.659]])、([[行巻#P--187|行巻で引文 P.187]])
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:しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。ただ信心をもつて求念すれば、上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、仏願力をもつて易く往生を得。([[往生礼讃 (七祖)#P--659|往生礼讃 P.659]])、([[行巻#P--165|行巻で引文 P.165]])
 
この『往生礼讃』の意を、法然聖人が『三部経大意』で解釈された光号因縁釈を御開山が承けられて展開されたのが両重因縁釈であった。『三部経大意』は当サイトにUPしてあるので該当部分へのリンクを示す。→([[三部経大意#観無量寿経|三部経大意P.784]])<br />
 
この『往生礼讃』の意を、法然聖人が『三部経大意』で解釈された光号因縁釈を御開山が承けられて展開されたのが両重因縁釈であった。『三部経大意』は当サイトにUPしてあるので該当部分へのリンクを示す。→([[三部経大意#観無量寿経|三部経大意P.784]])<br />
  

2018年3月30日 (金) 16:45時点における版

りょうじゅう-いんねん

 光号因縁ともいう。「行巻」(行巻 P.187)にある一段で、阿弥陀仏のはたらきによって衆生の往生成仏が成立することを表す。徳号の慈父(因)と光明の悲母(縁)という因縁(初重の因縁)と、真実信心の業識(内因)と光明・名号の父母(外縁)という因縁(後重の因縁)との二重の因縁が示されていることから、このようにいう。
初重の因縁は、名号と光明のはたらきによって衆生が往生成仏の果を得ることを示し、これは行と証とが直接する教・行・証の三法門を表している。後重の因縁は、信心(内因)と光明・名号(外縁)によって衆生が往生成仏の果を得ることを示し、これは信と証とが直接する教・行・信・証の四法門を表している。(浄土真宗辞典)

この「両重因縁」釈の拠り所は『往生礼讃』の「光号摂化」の釈である。

しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。ただ信心をもつて求念すれば、上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、仏願力をもつて易く往生を得。(往生礼讃 P.659)、(行巻で引文 P.165)

この『往生礼讃』の意を、法然聖人が『三部経大意』で解釈された光号因縁釈を御開山が承けられて展開されたのが両重因縁釈であった。『三部経大意』は当サイトにUPしてあるので該当部分へのリンクを示す。→(三部経大意P.784)

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