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「二種回向」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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:つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。 ([[教巻#no1|教巻 P.135]])
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:つつしんで'''浄土真宗'''を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。 ([[教巻#no1|教巻 P.135]])
 
と、浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』では、
 
と、浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』では、
:しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 ([[浄文#P--478|浄文 P.478]])
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:しかるに'''本願力'''の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 ([[浄文#P--478|浄文 P.478]])
 
と法義で二種回向という本願力回向を示しておられた。浄土真宗とは本願力回向の宗旨であった。
 
と法義で二種回向という本願力回向を示しておられた。浄土真宗とは本願力回向の宗旨であった。
  

2019年7月8日 (月) 02:51時点における版

本願力回向

にしゅ-えこう

往相回向還相回向のこと。往相とは往生浄土の相状。還相とは還来穢国(げんらい-えこく)の相状という意。曇鸞は『論註』(論註 P.107)においてこれらの回向を浄土願生者の行とし、往相回向とは自己の功徳を一切衆生にふりむけて自他ともに往生しようとすること、還相回向とは浄土に往生してのち、再び迷いの世界に還り来て、衆生を教化することとした。
親鸞はこれらの回向を本願力回向であるとして、回向の主体を阿弥陀仏であるとした。 衆生が往生成仏する因果である往相も、証果を開いて後の還相のはたらきも、阿弥陀仏が衆生に施し与えるものとする。親鸞は往相回向を教・行・信・証の四法として明かし、その証の内容として還相が回向されることを示した。「教巻」に、

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(教巻 P.135)

「証巻」に。

還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。(証巻 P.313)

とある。→四法(浄土真宗辞典)

御開山は「教巻」で、

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。 (教巻 P.135)

と、浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』では、

しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 (浄文 P.478)

と法義で二種回向という本願力回向を示しておられた。浄土真宗とは本願力回向の宗旨であった。

「証巻」を総決して、

還相の利益は利他の正意を顕すなり。ここをもつて論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍の群萌を開化す。宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。仰いで奉持すべし、ことに頂戴すべしと。 (証巻 P.335)

と、還相は利他の正意であるとされ、他利利他の深義を感佩されておられる。

往相
還相
往相回向
還相回向
他利利他の深義
常倫に…現前し