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五念門

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2017年2月14日 (火) 13:33時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

 ごねんもん

 阿弥陀仏浄土に往生するための(ぎょう)として、天親(てんじん)菩薩の『浄土論』に示された五種の行。

礼拝(らいはい)門。身に阿弥陀仏を敬い拝むこと。
讃嘆(さんだん)門。光明(こうみょう)名号(みょうごう)のいわれを信じ、口に仏名(ぶつみょう)を称えて阿弥陀仏の功徳(くどく)をたたえること。
作願(さがん)門。一心に専ら阿弥陀仏の浄土に生れたいと願うこと。
観察(かんざつ)門。阿弥陀仏・菩薩の姿、浄土の荘厳(しょうごん)を思いうかべること。
回向(えこう)門。自己の功徳(くどく)をすべての衆生(しゅじょう)にふりむけて共に浄土に生れたいと願うこと。またこの五念門行を修する結果として得られる徳を五功徳門として示されている。

親鸞聖人曇鸞(どんらん)大師の『論註』を通して、これら五種の行が、すべて法蔵菩薩 所修の功徳として名号にそなわって衆生に回向されるとみられた。→五種の功徳 (ごしゅのくどく)。

 『浄土論』 (底本) には 「五門」 とある。 (論註 P.154)


往生礼讃の五念門

 天親菩薩の『浄土論』 では、五念門は礼拝(らいはい)讃嘆(さんだん)作願(さがん)観察(かんざつ)回向(えこう)の順序であるのに対し、『礼讃』 では、第三が観察、第四が作願となっている。 (往生礼讃 P.655)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

往生礼讃の五念門では、作願(止)と観察(観)を入れ替えている。止は奢摩他(シャマタ)(心を静め止める禅定)、観は毘鉢舎那(ビバシャナ)(止による不動の智慧により真理を観察する)である。作願と観察を入れ替えることによって、聖道門の止観行ではない五念門という意味を表わそうとされたのであろうか。

御開山と曇鸞大師、天親(世親)菩薩の、それぞれに五念門の解釈が違うので天親菩薩の当面の説をあげておく。

五念門(天親菩薩の『浄土論』の説)

阿弥陀仏の浄土へ生まれるための五つの行いを五念門(五因門)といい、その結果として得られる徳を五功徳門(五果門)という。

①礼拝門(身業)仏を礼拝すること。
②讃嘆門(口業)口に仏名を称えて仏の徳を褒め称えること。
③作願門(意業)諸々の思いを止めて、浄土に精神を集中(止)すること。奢摩他。梵語でシャマタ(śamatha)。
④観察門(智業)①~③によって正しい智慧を起こし、その智慧によって浄土の真実相を観(み)ること。毘婆舎那。梵語でヴィパシュヤナー(vipaśyanā)。
⑤回向門(方便智業)①~④によって得るところの功徳をすべてのものに施すこと。

前の四門は自己がさとりに入るためのものであるから入門、後の回向門は他を救うためにはたらき出るものであるから出門、合わせて入出二門という。