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「仏」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 梵語ブッダ(buddha)の音写、覚者と漢訳し、「ほとけ」と和訳する。自ら真理をさとり、他をさとらしめ、さとりのはたらきが完全に窮まり満ちた者のこと。→[[三法]] (さんぼう)。
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 梵語ブッダ(buddha)の[[音写]]、覚者と漢訳し、「ほとけ」と和訳する。自ら真理をさとり、他をさとらしめ、さとりのはたらきが完全に窮まり満ちた者のこと。→[[三法]] (さんぼう)。
  
 
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旧字の佛は通常の人ではないという意で人偏+弗(打ち消しの助字)という漢字が作られたという。
 
旧字の佛は通常の人ではないという意で人偏+弗(打ち消しの助字)という漢字が作られたという。
  
御開山の「善光寺讃」では、仏像が難波に伝来したとき反仏教派であった物部守谷は、当時流行していた熱病はこの仏像のせいだとして[[ほとほりけ]](熱る:ほとほる)+ 気(け)と蔑称し、それを呼びやすく(やすくすすめんため)して「ほとけ」というようになったとする。<ref>『上宮太子御記』には、「この時に国の内に病おこりて、死する人大くあり。大連物部の弓削の守屋と中臣の勝海とともに奏してまふさく、我国にはもとより神をのみたふとみあがむ。しかるに蘇我の大臣、仏法と云ものを興しておこなふ。これによりて病世におこり て、人民みなたえぬべし。これは仏法をとゞめてなん、ひとの命はのがるべきとそうす。」とある。</ref><br />
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御開山の「善光寺讃」では、仏像が[[EXC:難波|難波]]に伝来したとき反仏教派であった[[JWP:物部守屋|物部守屋]]は、当時流行していた熱病はこの仏像のせいだとして[[ほとほりけ]](熱る:ほとほる)+ 気(け)と蔑称し、それを呼びやすく(やすくすすめんため)して「ほとけ」というようになったとする。<ref>『上宮太子御記』には、「この時に国の内に病おこりて、死する人大くあり。大連物部の弓削の守屋と中臣の勝海とともに奏してまふさく、我国にはもとより神をのみたふとみあがむ。しかるに蘇我の大臣、仏法と云ものを興しておこなふ。これによりて病世におこり て、人民みなたえぬべし。これは仏法をとゞめてなん、ひとの命はのがるべきとそうす。」とある。([[上宮太子御記#mk01]])</ref><br />
  
 
なお御開山は仏をブチ(ぶつ)と発音しておられるのだが、蓮如さんは、ほとけと表記することが多い。御開山の奥方である恵信尼公も『恵信尼消息』によればほとけと発音しておられるので当時から俗語化していたのかもである。
 
なお御開山は仏をブチ(ぶつ)と発音しておられるのだが、蓮如さんは、ほとけと表記することが多い。御開山の奥方である恵信尼公も『恵信尼消息』によればほとけと発音しておられるので当時から俗語化していたのかもである。
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2024年3月2日 (土) 03:15時点における最新版

ぶつ

 梵語ブッダ(buddha)の音写、覚者と漢訳し、「ほとけ」と和訳する。自ら真理をさとり、他をさとらしめ、さとりのはたらきが完全に窮まり満ちた者のこと。→三法 (さんぼう)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ぶつ 仏

 梵語ブッダ (buddha) の音訳。 仏陀(ぶっだ)・浮図(ふと)・浮屠(ふと)とも音訳し、覚・覚者と意訳する、目覚めたもの・真理をさとったもの。自らのさとりも、他をさとらしめるはたらきも完全に窮まり満ちたもののこと。もとは釈尊を指す語であったが、後に阿弥陀仏など多くの仏に用いられる、如来の十号の一。また日本では 「ほとけ」 ともいう。→三宝 三覚 (浄土真宗辞典)

旧字の佛は通常の人ではないという意で人偏+弗(打ち消しの助字)という漢字が作られたという。

御開山の「善光寺讃」では、仏像が難波に伝来したとき反仏教派であった物部守屋は、当時流行していた熱病はこの仏像のせいだとしてほとほりけ(熱る:ほとほる)+ 気(け)と蔑称し、それを呼びやすく(やすくすすめんため)して「ほとけ」というようになったとする。[1]

なお御開山は仏をブチ(ぶつ)と発音しておられるのだが、蓮如さんは、ほとけと表記することが多い。御開山の奥方である恵信尼公も『恵信尼消息』によればほとけと発音しておられるので当時から俗語化していたのかもである。

善光寺讃 (正像 P.620)

(110)

善光寺の如来
 われらをあはれみましまして
 なにはのうらにきたります
 御名をもしらぬ守屋にて (正像 P.620)

(111)

そのときほとほりけとまうしける
 疫癘あるいはこのゆゑと
 守屋がたぐひはみなともに
 ほとほりけとぞまうしける

(112)

やすくすすめんためにとて
 ほとけと守屋がまうすゆゑ
 ときの外道みなともに
 如来をほとけとさだめたり

(113)

この世の仏法のひとはみな
 守屋がことばをもととして
 ほとけとまうすをたのみにて
 僧ぞ法師はいやしめり

(114)

弓削の守屋の大連
 邪見きはまりなきゆゑに
 よろづのものをすすめんと
 やすくほとけとまうしけり

覚は目覚めの意で酔生夢死(酒に酔っ払い、夢のような生き方をして生まれた意味のないこと)の我らへの思し召しである。

自覚覚他 覚行窮満 名之為仏(自ら目覚め他を目覚めさせる覚めるためのおこない(覚行)を窮めつくし満ち足りた方、この方(之)を仏と名ずけたてまつる)(玄義分 P.301)

自覚・覚他・覚行窮満

参照WEB版浄土宗大辞典の「仏 (ぶつ)」の項目
参照WEB版浄土宗大辞典の「ホトケ」の項目


  1. 『上宮太子御記』には、「この時に国の内に病おこりて、死する人大くあり。大連物部の弓削の守屋と中臣の勝海とともに奏してまふさく、我国にはもとより神をのみたふとみあがむ。しかるに蘇我の大臣、仏法と云ものを興しておこなふ。これによりて病世におこり て、人民みなたえぬべし。これは仏法をとゞめてなん、ひとの命はのがるべきとそうす。」とある。(上宮太子御記#mk01)