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六字釈

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2019年12月16日 (月) 23:27時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

ろくじしゃく 六字釈

南無阿弥陀仏の六字についての解釈のこと。

Ⅰ 善導の六字釈。善導は「玄義分」(七祖 325)において、南無阿弥陀仏について、「南無」は「帰命」「発願回向」、阿弥陀仏は「即是其行」の義であり、浄土往生に必要な願と行とが六字に具わっていると主張している。摂論宗の学徒が、『観経』下品下生に説かれる念仏は釈尊の別時意の説であって唯願無行であると論難したことに対するもので、これを願行具足の六字釈という。→別時意会通

Ⅱ 親鸞の六字釈。善導の意をうけた親鸞は「行巻」(註 170)において、六字全体の意味を「帰命(仏の勅命)」と「発願回向(仏の発願回向)」と「即是其行(仏の行徳)」の三義であらわし、善導が衆生の上で説いた南無阿弥陀仏の意味を、すべて阿弥陀仏の上で解釈することによって、智慧と慈悲をそなえている名号の本質的な意義を明らかにしている。 また『銘文』(註 655)では、「帰命」「発願回向」を衆生の信心と解釈し、善導をうけて衆生の上での解釈も示している。 すなわち、「行文類」は他力回向の法としての名号の解釈であり、『銘文』は他力回向の名号が衆生の上ではたらいていることを解釈したものであるといえる。

Ⅲ 蓮如の六字釈。蓮如は善導・親鸞の解釈をうけて『御文章』3帖目第8通(註 1148)、5帖目第13通(註 1200)等において、「南無(信心)」の二字と「阿弥陀仏(法)」の四字にわける解釈や、六字全体を機、または法とする解釈をしている。→機法一体 (浄土真宗辞典)

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:招喚したまふの勅命

招喚したまふの勅命

時々、念仏を、自力の念仏と他力の念仏に分けて、自分が称える念仏の能行説(能動)と阿弥陀仏に称えさせられる念仏の所行説(所動)の能所の語に幻惑されて「私にはお念仏が出ません」という門徒がいる。便秘なら出ませんということもあろうが、なんまんだぶが口から出ないなら努力して舌を動かして〔なんまんだぶ〕と称えればいいのである。
信心正因 称名報恩」という真宗坊さんの説く硬直しドグマ化された言葉に幻惑されて、信が無ければ称名をしてはいけないと誤解して、「名体不二」のなんまんだぶが称えられないのであろう。TPO(時と所と場合)を考慮せずになんまんだぶを称え、周囲から「くせ念仏」と揶揄されていたばあちゃんが悩んでいた。そのときに、じいさんが、たとえ癖の(から)念仏でも阿弥陀様が実を入れて受け取って下さるから、こっちが心配するな、と言っていたものである。
因幡の源左同行は、

念佛にや しいらはないけつど
人間が しいらだがのう
しいらでも 称えなんすりや 実がいつでのう
*しいら 粃・秕(しいな)、から(殻)ばかりで実のない籾(もみ)。十分にみのっていない籾。しいだ。しいなし。しいなせ。しいら。

と、云われていたものであった。
樹の枝は風がふくから動くのであり枝が動いたから風がふくのではない。自力念仏とは我が動いて大悲の風を起こそうというのであろう。大悲の風は倦むことなく常に招喚したまふの勅命としてふいているのであった。
「風にふかれ信心申して居る」(尾崎放哉)という句がある。「信心申して」という表現は秀逸である。なんまんだぶと称えることは信であり、これを「称即信 (名を称えることが即ち信心)」というのである。
深川倫雄和上は『領解文』を釈して、

 さてこの御たすけの法を頂き、ご恩尊やと称え()つ聞いて慶ぶ所を、「このうへの称名はご恩報謝と存じ」と出言しました。ここに称名はご恩報謝というのは、称名の、即ち称えるということが報謝であるということであります。
 称えるのは私、称えられるのが号。称えようと思う心も、舌を動かし息を出す仕事も私のすることで、これはご恩報謝。称えられる名号は、如来回向の正定業であります。お六字の意味を「有り難うございます」と領解してはなりません[1]。本願に「乃至十念」とありまして、称名は信仰生活の第一です。何はともあれ、お称名をして暮らすことであります。 (平成7年「改悔批判」)

と、なんまんだぶを称えて聞きなさいよ、とのお示しであった。「」はわたくしの報謝の努力であり、「(号)」として聞えて下さるのが「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ[2]」という「本願招喚の勅命」であった。
真宗の学僧大厳師[3]は、

罔極仏恩報謝情 (罔極[4]の仏恩報謝の情)
清晨幽夜但称名 (清晨幽夜[5]ただ称名)
堪歓吾唱雖吾聴 (歓びにたえたり、われ唱えわれ聴くといえども)
此是大悲招喚声 (これはこれ大悲招喚の声)[6]

と、なんまんだぶという自らの称える声に本願招喚の勅命を聞かれたのであった。
この漢詩の意を、原口針水和上[7]は、より解りやすく和語にされ、

我れ称へ 我れ聞くなれど
南無阿弥陀 つれてゆくぞの 弥陀のよび声

と、讃詠されたのであった。甲斐和理子さんは、

み仏(ほとけ)の み名を称える
わが声は わが声ながら 尊かりけり

と詠っておられたのであった。越前のなんまんだぶの門徒は、本願寺の大谷光瑞門主の言葉とされる、

我、名号となりて衆生に到り衆生とともに浄土へ往生せん、若し衆生生まれずば 我も帰(還)らじ

の句を、

われ、名号となりて衆生に至り、衆生かえらずんば、われもまた還らじ

と、なんまんだぶを称え、第十八願の、

乃至十念(ないし-じゅうねん) 若不生者(にゃくふ-しょうじゃ) 不取正覚(ふしゅ-しょうがく)(乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ)。

の意を味わっていたのであった。

生死に呻吟している人生に「わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん(欲生我国 乃至十念)」(大経 P.18) と、なんまんだぶと呼ばれて、なんまんだぶと帰る浄土があるとは、ありがたいこっちゃな。なんまんだぶ なんまんだぶ

hwiki:称えるままに本願を聞く

本願招喚の勅命
智栄讃善導別徳云…
御開山の六字釈(本願寺派原典版より)

脚 註

  1. 称名報恩の報恩には、お助け下さってありがとうございますという意もないことはないのだが、ともすればgive and take の人間間の取引関係のように誤解されるからのご注意である。「安心論題/十念誓意
  2. 「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ」を、第十八願の至心・信楽・欲生我国の約仏の三信に配当すれば、至心は、そのまま来いよ、信楽は、間違わさんぞ、欲生我国は、待っておるぞであろう。それが乃至十念の、なんまんだぶという声の「招喚したまふの勅命」であった。
  3. 大厳(だいごん)。寛政三年(1791)~安政(1856)。長門教専寺の住職。石見高津(浜田市高津)の人。履善に学び、能行説をを唱えた。文政6年教専寺に入る。儒学を修めて萩で易経を講じた。
  4. 罔極(もうきょく、もうごく)。きわまりのないこと。
  5. 清晨(せいしん)。明け方。幽夜(ゆうや)。しずかな夜。
  6. 意訳:極まりなき佛恩報謝の情(こころ)は、すがすがしい朝から静かな夜に到るまで、ただ〔なんまんだぶ〕のみである。歓びに値するにこのうえなし。私が称えて私が聞いているようだが、これぞこれ、阿弥陀仏の大悲をこめて招き喚ばれる呼び声である。
  7. 原口針水 (1808-1893)本願寺派の学僧。院号は見敬院。光照寺(熊本県山鹿市)住職。曇龍に師事。また長崎で宣教師からキリスト教を学び、慶応4年(1868)には学林の破邪顕正御用係に任じられるなど、キリスト教対策にあたった。明治6年(1873)勧学。明治24年(1891)大学林(現在の龍谷大学綜理に就いた。門下から島地黙雷が出ている。著書に『安楽集講録』などがある。