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四不十四非

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2021年2月13日 (土) 06:02時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

しふじゅうしひ 四不十四非

しふじゅうしひ 四不十四非

 他力信心の徳を四つの「不」と十四の「非」によって讃嘆したもの。「信巻」(註 245)にある。四つの不とは、①不簡貴賎緇素(出家・在家の違いをわけないこと)、②不謂男女老少(老若男女の別によってわけないこと)、③不問造罪多少(犯した罪の多い少ないを問わないこと)、④不論修行久近(修行期間の長い短いを問わないこと)の四。
十四の非とは、①②非行非善(自ら行う行や善でないこと)、③④非頓非漸(速やかにさとろうとしたり、長い時を費やしてさとろうとしたりする教えでないこと)、⑤⑥非定非散(定善や散善でないこと)、⑦⑧非正観非邪観(正しい観法やよこしまな観法でないこと)、⑨⑩非有念非無念(相を念じたり、相を離れて理を念じたりしないこと)、⑪⑫非尋常非臨終(平生に限ったり、臨終に限ったりしないこと)、⑬⑭非多念非一念(称名を多念に励んだり、一念に限ったりしないこと)の十四。四不は機の面から論じ、十四非は法の面から論じている。(浄土真宗辞典)

凡按大信海者、不簡貴賤緇素、不謂男女老少、不問造罪多少、不論修行久近、非行非善、非頓非漸、非定非散、非正観 非邪観、非有念 非無念。非尋常 非臨終、非多念 非一念、唯是 不可思議不可称不可説 信楽也。 喩如阿伽陀薬 能滅一切毒。 如来誓願薬 能滅智愚毒也。

 おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり。