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徳大寺

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2017年12月24日 (日) 13:45時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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とくだいじ

 京都の桂川の西にある地名。(一代記 P.1297)

徳大寺の唯蓮坊

 『蓮如上人仰条々(れんにょしょうにんおおせのじょうじょう)』には「雲居寺の瞻西(せんさい)上人」とある。瞻西は平安後期の天台宗の僧。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

この平安末期の徳大寺の唯蓮坊の「摂取不捨」の逸話の一段を鎮西派の良忠上人撰『選択集弘決疑鈔』より引用。鎮西派に伝承されているのは、当時有名な逸話であったのであろう。御開山の摂取不捨の左訓を思わせる逸話であった。林遊などは、たとえ夢の中といえども、突然に御本尊に手を握られれば逃げ出したいのだが、それを逃がさないのが摂取不捨ということであろう。なお文中の蓮華谷の僧都とは、遁世して高野山に入り蓮華三昧院を開いた明遍僧都(1142-1224) であろうと思ふ。

○第七光明唯攝念佛行者篇
○第七、光明ただ念仏の行者を摂するのふみ(篇)。
彌陀光明不照餘行者唯攝取念佛行者之文
弥陀の光明は余行の者を照らさず、ただ念仏の行者を摂取すの文。
問攝取何義
問、摂取とは何の義ぞや。
答攝謂 攝―護取 謂不捨 故觀念法門云
答、摂は謂く摂―護、取は謂く不捨なり。故に『観念法門』に云く、
攝護不捨
摂護して捨てたまはず。(観念法門 P.618)
又大經説斯益云 其有衆生遇此光者三垢消滅身意柔軟歡喜踊躍善心生焉{已上}
また『大経』にこの益を説きて云く、それ衆生ありて、この光に遇ふものは、三垢消滅し、身意柔軟なり。歓喜踊躍して善心生ず。{已上}(大経 P.29)
禮讚云蒙光觸者心不退割注已上割注
『礼讚』に云く、光触を蒙るものは心退せず。{已上}(往生礼讃 P.701)
又德大寺唯蓮房參籠于雲居寺七日祈請攝取之義
また徳大寺の唯蓮房、雲居寺に参籠して、七日、摂取の義を祈請す。
滿夜夢中本尊申手握行者腕動脣出聲云攝―取是也
満夜の夢中に本尊、手を申(のべ)て行者の腕を握り、唇を動かし声を出して云く、摂取これなりと。
然後詣蓮華谷問夢虚實
しかして後、蓮華谷に詣でて夢の虚実を問ふ。
僧都面有感涙氣報云定是實夢也
僧都、(おもて)に感涙の気ありて(こた)へて云く、定んでこれ実夢なりと{云云}
傳法院覺淵阿闍梨説法辭云
伝法院の覚淵阿闍梨の説法の辞に云く、
攝取之義出祕法中所謂掌内握而不捨是名攝取{云云}
摂取の義は秘法の中より出でたり。いわゆる(たなごころ)の内に握りて捨てざる、これを摂取と名づくと{云云}
蓮華谷感涙其意在此歟
蓮華谷の感涙、その意ここにあるか。

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