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「念仏者は…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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者は、「しゃ」と漢字音で読んだ場合は、人物・事物・などを主語として、~する人、~するものをいう。者の漢字の上にある語を名詞化する場合に使われる。念仏者(ねんぶつ-しゃ)。<br />
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また、者は漢文訓読では和語で〔……は〕と読んで、主語を示す助辞としても使われる。念仏者(ねんぶつ-は)。 なお漢文訓読では者を、「…というわけ」でという意味で「者」を、てえり・てえれば、などと訓ずることもある。<br />
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『歎異抄』の当面では、念仏者(ねんぶつ-しゃ)と云う意味であろうが、御開山が「行巻」の一乗海釈で「一切の無碍人、一道より生死を出でたまへり。一切諸仏の身、ただこれ一法身なり。一心一智慧なり」と、されておられる意から考察すれば、念仏者(ねんぶつ-は)という意であろう。
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[http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E8%AB%96%E8%A8%BB_%28%E4%B8%83%E7%A5%96%29#no125]
 
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[[Category:追記]]

2017年5月22日 (月) 03:36時点における版

ねんぶつしゃは

 念仏の行者は無碍の一道(何ものにもさまたげられないひとすじの道)を歩む者という意。「念仏者は」の「は」を「者」に添えた訓(よ)み仮名とみて、「念仏は」と読む説がある。

その場合、念仏は無碍の一道であるという意になるが、いずれにしても念仏の法が無碍道であるから、念仏者は無碍者であることを明かしているのである。(歎異抄 P.836)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

者は、「しゃ」と漢字音で読んだ場合は、人物・事物・などを主語として、~する人、~するものをいう。者の漢字の上にある語を名詞化する場合に使われる。念仏者(ねんぶつ-しゃ)。
また、者は漢文訓読では和語で〔……は〕と読んで、主語を示す助辞としても使われる。念仏者(ねんぶつ-は)。 なお漢文訓読では者を、「…というわけ」でという意味で「者」を、てえり・てえれば、などと訓ずることもある。
『歎異抄』の当面では、念仏者(ねんぶつ-しゃ)と云う意味であろうが、御開山が「行巻」の一乗海釈で「一切の無碍人、一道より生死を出でたまへり。一切諸仏の身、ただこれ一法身なり。一心一智慧なり」と、されておられる意から考察すれば、念仏者(ねんぶつ-は)という意であろう。


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