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真俗二諦

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2017年8月19日 (土) 17:20時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

しんぞく-にたい

真諦(しんたい)俗諦(ぞくたい)のこと。諦(satya)は、「正しいこと」、真や真理を意味する。

浄土真宗では、『浄土真宗辞典』(本願寺派総合研究所編)によれば、

真諦は、「第一義諦」の項に、梵語パラマールタ・サティヤ(paramārtha-satya)の意訳。世俗諦に対する語。勝義諦・真諦ともいう。真如法性、真如実相などに同じ。言説を絶した仏自内証の正覚の内容であり、出世間の真理をいう。
俗諦は、「世俗諦」の項に、梵語のサンヴリティー・サティヤ(samvrti-satya)の意訳。第一義諦に対する語。俗諦、世諦ともいう。仏の正覚の内容について仮に説きあらわされたものをいう。

とする。後に述べるが、かって真宗教団で使われた、仏法を真諦とし王法を俗諦としてきた論理は使われていないようである。

この二諦は、諸経論で種々に論じられるが、代表的な大乗仏教の立場を『仏教学辞典』から部分引用。

「二諦」
真諦と俗諦とをいい、あわせて真俗二諦という。真諦は(梵)パラマールタ・サトヤ(paramārtha-satya)の訳で、勝義諦、第一義諦ともいい、出世間的真理を指し、俗諦は(梵)サンヴリティー・サトヤ(samvrti-satya)の訳 で、世俗諦、世諦ともいい、世間的真理を指すが、その意味は諸経論において種々である。{中略}

③大乗仏教では、北本『涅槃経』巻十三 聖行品(*)に、世間一般の人が知っている事柄を世諦とし、仏教の真理に目ざめた出世間の人のみが知っている事柄(例えば四諦)を第一義諦とする。
『中論』「観四諦品」には、すべてのものには固定不変な本性(実体、自性)がなく、無生無滅で空であると知るのを第一義諦とし、またすべてのものは、その空性(空なること)が空性としてのはたらき(空のあり得るいわれ、空の目的)をもつために、仮に現実的な物の相において顕れ、相依(そうえ)相待(そうたい)的に存立すると認めるのを世俗諦とする。
そして、われわれの言語や思想の世界は世俗諦において許されているのであり、しかもこの世俗諦によらなければ言語思慮を超えた第一義を衆生に説くことができず、第一義が得られなければ涅槃のさとりを得ることができないとする。

以上『仏教学辞典』より。「ノート:真俗二諦」に「観四諦品」の該当部部をUPしてある。

御開山が「化巻」で引文された最澄撰といわれる『末法灯明記』には、

「それ一如に範衛してもつて化を流すものは法王、四海に光宅してもつて風を垂るるものは仁王なり。しかればすなはち仁王・法王、たがひに顕れて物を開し、真諦・俗諦たがひによりて教を弘む。このゆゑに玄籍宇内に盈ち、嘉猷天下に溢てり」(*)

とあり、真諦・俗諦の二諦の意味を転用し、仏法を真諦、王法を俗諦とする。浄土真宗ではこの説を承けて、宗教的信仰の面を真諦(仏法)、世間的道徳(王法)の面を俗諦とし、この二は相依り相(たす)けあうとしてきた歴史がある。
もちろん、御開山の『末法灯明記』引文(*)の意図は、このような仏法と王法の意味での真俗二諦説を示すにあるのではない。現在は、末法の時代であることを否定する天台の衆徒の『延暦寺奏状』(*)の論難に対して、日本天台宗の開祖の最澄の著とされた『末法灯明記』の

〈仏、第五の主、穆王満五十三年壬申に当りて入滅したまふ〉と。もしこの説によらば、その壬申よりわが延暦二十年辛巳に至るまで、一千七百五十歳なり。(化巻 P.420引文)

という末法年代の算定の記述をもって対抗されたのである。あなた達の天台の宗祖が『末法灯明記』で現代は末法であると示しているではないか、お前らは宗祖最澄の説に逆らうのか、と『末法灯明記』を引文し浄土門興起の末法の証明としたのである。なお貞応三年(11月20日に改元して元仁元年。御開山は改元後の元号を使われるのが常であった。)の『延暦寺奏状』は嘉禄の念仏弾圧の遠因となったことも、御開山が、どうしても『教行証文類』を撰述しなければならいという意であったのであろう。〔梯實圓和上の説〕。後年、この元仁元年(1224年)を浄土真宗の立教開宗の年とするのだが、浄土真宗の流れをくむ僧俗は、今少しく念仏弾圧の嵐の中で〔なんまんだぶ〕と称えるご法義を護ってきて下さった先人に思いをいたすべきかもである。
また、時の権力(王法)によって、僧の破戒をもって僧尼を弾圧したことに対して『末法灯明記』の「たとひ末法のなかに持戒あらば、すでにこれ怪異なり、市に虎あらんがごとし。これたれか信ずべきや 」の文を示して、戒律によらない〔なんまんだぶ〕の法に対する弾圧に抗議を示す意図もあった。それは、仏教の通規である、戒・定・慧の三学に苦闘苦悩した法然聖人の帰浄(*)を追体験した御開山のプロテストでもあったのである。
それはそれとして、現代の真宗の進歩派僧侶は、仏法を真諦とし時の権力を俗諦とする、いわゆる過去の真俗二諦説を攻撃するのであるが、時間という歴史のカンニングペーパーを使って先人を攻撃するのは如何がなものかと思ふ。真俗二諦説は、在家仏教である浄土真宗に戒がない故に、俗諦はその時代時代の倫理習慣に順応しながら、「当流安心をば内心にふかくたくはへて」(*)生きるしたたかな便法でもあった。上に政策あれば下に対策ありである。
ともあれ、戒律を用いない浄土真宗においては、至心釈で御開山が引文された因位の阿弥陀仏の「勝行段」(*)に、真実なる生き方とはどのようなものであるかを窺うことであるといえるであろう。
越前の古参の同行は、浄土真宗に戒律がなきゆえに、ことあるときは阿弥陀仏と相談し「親様の好きなことはするように、親様の嫌いなことはせぬように」と、自らを戒めていたものであった。いわゆる第五深信の「唯信仏語」である。

オンライン版 仏教辞典より転送

真俗二諦

 真俗二諦という主張は仏教が世間の人々を教え導くための方法とし、また、その教えを理解せしめる仕方として説かれたものであり、仏教の現実への対処の仕方という点で特色のある教えの一つである。

 真俗二諦とは真諦(paramārtha-satya)と俗諦(saṃvṛti-satya)との二つをいう。

  •  諦(たい)とは真実や真理の意味である。

 前者は第一義諦、勝義諦などと訳出され、仏教の経諦に明らかにされる悟りに関する真理をいう。後者は世諦(せたい)、世俗諦、等諦(とうたい)などと訳され、世間にしたがって仮説した種々の教えをいう。したがって、真俗二諦は悟りに関する真理と世俗にしたがう相対真理とをいうものである。

 しかし、この言葉自身は、仏教の展開の中で、いろいろの意味内容を付して用いられてきた。

 漢訳仏典の中でも古い経典とされる阿含部の経典では二諦の語は『増一阿含経』第三の「阿須倫品」に説かれるものが指摘されてきた。しかし、『増一阿含経』そのものが経典成立からいえば、相当に新しい部分の初期経典であるので、二諦の説をもっとも古いものとすることには問題がある。といえ、二諦の語そのものは相当古くから用いられていた。

 最も古いとされる、仏陀の言葉を直接伝えたものを多く含んでいると考えられる『経集』(suttanipāta)に「パラマットハ」(paramattha)、「サンマティ」(sammati)という語があり、前者は「勝義」、後者は「世俗」を意味する。しかし、ここでのこの二語は決して対語として用いられているわけでないから、後世の真俗二諦と同じようには考えられない。したがって、真俗が対語として用いられるもので最も古いものは『ミリンダ王問経』ということになり、時代的には大分後のものとなる。

 漢訳阿含経でみれば真俗二諦について、『中阿含経』第四十二巻「分別六界経」に

真諦とは、いわく如法なり。妄言とは、いわく虚妄法なり

とあって、真諦と妄言ということで如法と虚妄法という形の二諦をといている。これと同じような筆法で二諦を説くものを考えると、「世俗」(loka)と「出世間」(loka-uttara)、「第一義空」と「俗数法」、「世俗常数」と「第一之義」などがある。
 これらは言葉は整ってはいないが、二諦説とみてよいが、二諦説は世間と出世間という形で世間的相対の真理と出世間的絶対の真理という区別を示している。しかも、このように真理を二様の立場から説くというやり方は、たとえば仏陀の次第説法といわれる説法形式にみられるように、仏教の教えを理解せしめるために、まず世間的な教えとして施論戒諦生天諦などのような因果の道理を説くものを相対世間の真理として説き、後に仏教自身の教えとしての四諦を説いて、これを出世間絶対の真理であると理解せしめるという教化の必要からなされたと思われる。
 つまり、当時のインド人にとって全く新しい仏教を理解せしめるためには世間的な真理を一応認めて、さらにその理解のうえで、仏教自身が自信をもって説く仏教の真理を人々に理解せしめるというやり方がとられねばならなかった。龍樹が『中論』で

 仏は二諦によって、衆生のために法を説く。一には世俗諦、二つには第一義諦なり

といったのは、この趣旨をうけたものである。

 この二諦を教理や教学の体系として説いたのが部派仏教教学の中では大衆部の末派の説仮部の真仮分別であり、真を真諦、仮(け)を俗諦というのである。

 このような傾向の中で、大衆部と逆に保守的な立場の上座部でも苦集滅道の四諦の組織付けという形の二諦説が説かれた。それが『大毘娑沙論』に説かれる真俗二諦であり、苦集二諦を俗諦、滅道二諦を真諦、苦集滅は俗諦、道諦は真諦などと四種に四諦を配当して二諦説をなすのである。さらに、このような方向で

因縁和合の現象法を等諦、五薀の法を第一義諦

とする法救(ほっく)の『雑阿毘曇心論』があり、世親は『倶舎論』で次のように二諦説を説明している。

 他の経典には、また諦に二種があると説いている。即ち、一つには世俗諦、二つには勝義諦である。このような二諦の特徴はどのようなものであるかというに、頌文に『かの覚も破すれば便ち無し、慧もて余を析くもまたしかなり。瓶水の如くなるは世俗なり、これに異なるを勝義と名づく』という。いま、この頌文の意味を明らかにする。もし何者かについて、そのものの観念が、そのものの破壊によって、なくなるような場合、そのものを世俗諦と名づけるのである。たとえば、瓶が破壊されて瓦になったとき、瓶の観念はなくなるというぐあいである。衣などについても同じである。また、もし何者かがあって、それを慧の作用で分析してゆくとき、段々とそのものの観念も消えてゆくというような場合、それも世俗である。たとえば水が慧によって、その構成要素である色声味触に分析されるとき、その水(仮の水大)の観念はなくなる。これが俗諦であり、火大などについても同じである。
 即ち、上に述べた瓶とか水とかというものは、それを破析しないときに、世間の考えにしたがって名を立てたのであって、土の積集や色声などの所造についての仮りの名であるから、それが世俗である。しかし、瓶や水は、実際にはたらきのあるものであるから世俗諦というのである。
 ところで、もし以上の世俗諦に異なるものがあれば、それを勝義諦という。というのは、あるものの観念が、そのものが破壊されたときにもなくならないもの、さらに慧の分析によっても、観念が消滅しないもの、そのようなものを勝義諦というのである。たとえば、色法は勝慧をもって分析して極微〈ごくみ〉になっても、一々の極微は、やはり色であるし、勝慧で味を分析しても一々の極微に依然として味色たる観念があるようなぐあいである。しかも、それは実際にあるから勝義諦というのである。

さらに

 ところで、経部の人々は出世の智と後得の世間智によって認識される諸法は勝義諦であり、この智以外の智に認知される諸法を世俗諦という。

といっている。

成実論の真俗二諦

 『成実論』では「五蘊和合の我、極微所成の法」を俗諦、「五蘊極微涅槃」を真諦といっている。

上座部の真俗二諦

 セイロン上座部でも『解脱道論』に二諦を説くが、ブッダゴーサ仏陀の説法に、有情、補特伽羅などを説く言説と無常無我などを説く言説があり、その前者を仮説言説諦、後者を真実言説諦というと説明している。これは説法の内容について仮説と真説とをわけたものである。

 以上のような二諦説が、大乗仏教にも説かれ教理と教化という二方面が相互に関係しながら二諦説の展開となる。

 まず『般若経』(小品になく大品に二諦説がある)では、世諦とは差別分別言説などの相対界についていい、第一義諦は分別言説をこえた言亡慮絶の絶対界を指す。しかし、その相対界は単なる仮ではなく、真如実相の妙境界を言葉のうえで有と無との両方面から示すのが世諦であり、それの絶対の理を直ちにみているのが勝義諦であるというのである。

龍樹の真俗二諦

 龍樹は、仏陀が有と説く説法形式を世俗諦とし、空と説く説法形式を第一義諦とし、仏陀の説法に二種の形式があるとする約教二諦説を主張しているのである。即ち『般若経』では諸法実相の妙理である第一義諦の境地を説くのに亦有亦無の世諦があるとしたのに対して、竜樹では世諦、第一義諦ともに中道実相の理を説く一つの表現形式であるとするのである。かくて、世俗諦と勝義諦は対等の位置をもつことになったのである。

仏陀の聖なる教えは 二種の真理に依存している。
条件付きの真理と、 超越的真理である。
これら二つの真理の違いを 知らない者は、
意味深い仏教の真髄を 知ることができない。   〔中論〕
dve satye sampāśritya buddhānāṃ dharmadeśanā
lokasaṃvṛtisatyaṃ ca satyaṃ ca paramārthataḥ
ye 'nayor na vijānanti vibhāgaṃ satyayor dvayoḥ
te tattvaṃ na vijānanti gambhīraṃ buddhaśāsane.
世間的知によらなければ 真理は理解できない。
真理に近づけなければ  涅槃には到達できない。
vyavahāram anāśritya paramārtho na deśyate
paramārtham anāgamya nirvāṇaṃ nādhigamyate.

唯識の真俗二諦

 『涅槃経』では、八種の二諦説を述べるが、二諦の関係について「世諦とは、即ち第一義諦なり」というように、それを相即関係で説明しようとしている。
 この二諦説の展開と、関係の説明は、インドの瑜伽行派では『瑜伽師地論』の世間世俗、道理世俗、証得世俗、勝義世俗の四俗として説明され、また『成唯識論』では世間勝義、道理勝義、証得勝義、勝義勝義の四真として説かれ、中国にいたって、四真四俗の二諦説となり、それを四重二諦として理解することになるのである。

三論の真俗二諦

 破邪顕正の具体的実践方法として二諦説が説かれる。凡夫は有にとらわれ、空にとらわれる有空の迷見があるが、空にとらわれる迷見を破せんがために仏は俗諦の有を説き、有にとらわれる迷見を破するために真諦の空を説かれたという考え方に立ち、有と空との教えによって非有非空の絶対の理を顕わすのが二諦説である。嘉祥(かじょう)大師吉蔵は、四重の二諦説を立てて当時の諸学派の偏見を評破している。
 第一重では説一切有部が説く一切有の考えを世俗、空を真諦として世俗を斥ける。
 第二重で俗有真空と執ずる成実宗の学者の考えを斥けて、有空共に俗諦、非有非空を真諦と説く。
 第三重では摂論学派の三性三無性の主張を有空も非有非空も共に俗諦として斥け、非々有非々空を真諦とする。
 第四重では前三重の二諦の凡てを教門の分斉として、いまだ言語の世界を出ていないとして俗諦、言亡慮絶絶四句百非の境であり、無所得空の妙境を真諦とする。

天台宗の真俗二諦

 天台宗では本来は三諦を立て前とするが、蔵教、通教、別接通、円接通、別教、円接別、円教の七種の二諦を説く。

浄土真宗の真俗二諦

 仏法を真諦、王法を俗諦とし、広くいえば成仏道を真諦、世俗生活を俗諦とよび、この両者の関係について別体説にたって関係を論じたり、真諦より流出する俗諦として説いたりしてきた。このような浄土真宗における真俗二諦説のよりどころは親鸞が『教行信証』の化土巻に『末法灯明記』を引用して

それ一如に範衛して以て化を流す者は法王、四海に光宅して、以て風に乗ずる者は仁王なり。然れば仁王法王互に顕わして物を開し、真諦俗諦たがいに因りて教を弘む云云

と叙べられるものによるであろう。


 以上、みたように真俗二諦の説には歴史的に種々なる展開をみると共に、その時代と社会において仏教の実践として種々に説かれたことを知るのである。現代の時点で仏教徒の実践を考えるとき、人間機械化との対決、誤った人間尊重による自己の絶対化との対決を自らに実行しつつ、真諦の成仏道を如何に歩むかという大きな問題につきあたるのである。その意味で真俗二諦は今日の問題としても大切なものである。