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称讃浄土仏摂受経

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

『称讃浄土仏摂受経』一巻。 略して『称讃浄土経』ともいう。唐の玄奘(600または602-664) の訳による『阿弥陀経』の異訳。

『阿弥陀経』の証誠段では、六方三十八仏の名が列挙されているが、本経では十方四十二仏の名が列挙されている。御開山は、この経の「仮使経於百千倶胝那由多劫。以其無量百千倶胝那由多舌。一一舌上出無量声。讃其功徳亦不能尽。」(仮使ひ百千倶胝那庾多劫を経て、其の無量百千倶胝那庾多の舌を以て、一一の舌の上に無量の声を出して、其の功徳を讃ずるも、亦尽くすこと能はず。)を大変慶ばれて、国宝本の和讃の冒頭に著され、また「諸経和讃」に和讃されておられる。

百千倶胝の劫をへて
 百千倶胝のしたをいだし
 したごと無量のこゑをして
 弥陀をほめんになほつきじ
称讃浄土仏摂受経

大唐三蔵法師 玄奘奉詔訳

是の如く我聞きたまへき。一時、薄伽梵、室羅筏に在りて誓多林給孤独園に住したまひ、大苾芻衆千二百五十人と倶なりき。一切皆是尊宿声聞、衆の望み識る所の大阿羅漢なり。

其の名を尊者舎利子・摩訶目犍連・摩訶迦葉・阿泥律陀と曰ふ。是の如き等の諸の大声聞而も上首為り。復無量の菩薩摩訶薩と倶なりき。一切皆不退転位に住して、無量の功徳、衆に荘厳せらる。其の名を妙吉祥菩薩・無能勝菩薩・常精進菩薩・不休息菩薩と曰ひき。是の如き等の諸の大菩薩而も上首為り。復帝釈・大梵天王・堪忍界主・護世四王有りき。是の如きの上首、百千倶胝那庾多数なり。諸天子衆及び余の世間の無量の天・人・阿素洛等、聞法の為の故に、倶に来りて会坐せり。

爾の時世尊、舎利子に告げたまはく。汝今知るやいなや、是より西方、此の世界を去ること百千倶胝那庾多の仏土を過ぎて仏世界有り、名けて極楽と曰ふ。其の中の世尊を無量寿及び無量光・如来・応・正等覚と名く。十号円満して、今現に彼に在ましめ安隠に住持し、諸の有情の為に甚深微妙の法を宣説して、殊勝の利益安楽を得しめたまへり。

又舎利子、何の因何の縁ありてか、彼の仏の世界を名けて極楽と為る。舎利子、彼の界の中の諸の有情の類、一切身心の憂苦有ること無く、唯無量の清浄喜楽のみ有るに由りてなり。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中には、処処に皆七重に行列せる妙宝欄楯、七重に行列せる宝多羅樹有り。及び七重の妙宝羅網有りて、周匝し囲繞して、四宝もて荘厳せり。金宝・銀宝・吠琉璃宝・頗胝迦宝もて、妙飾間綺せり。舎利子、彼の仏土の中には是の如き等の衆妙綺飾功徳荘厳有りて、甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中には、処処に皆七妙宝池有りて、八功徳水、其の中に弥満せり。何等をか名けて八功徳水と為る。一には澄浄、二には清冷、三には甘美、四には軽軟、五には潤沢、六には安和、七には飲む時飢渇等の無量の過患を除き、八には飲み已りて定んで能く諸根を長養し、四大増益し、種種殊勝の善根あり。多福の衆生常に楽みて受用す。是の諸の宝池の底には金沙を布けり。四面を周匝して四の階道有り。四宝の荘厳甚だ愛楽すべし。諸の池を周匝して妙宝樹有り。間飾行列して香気芬馥せり。七宝の荘厳甚だ愛楽すべし。七宝と言ふは、一には金、二には銀、三には吠琉璃、四には頗胝迦、五には赤真珠、六には阿湿摩掲拉婆宝、七には牟娑落掲拉婆宝なり。是の諸の池の中には、常に種種雑色の蓮華有り、量車輪の如し。青形には青顕・青光・青影あり、黄形には黄顕・黄光・黄影あり、赤形には赤顕・赤光・赤影あり、白形には白顕・白光・白影あり、四形には四顕・四光・四影あり。舎利子、彼の仏土の中には、是の如き等の衆妙綺飾の功徳荘厳有りて、甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中には、自然に常に無量無辺衆妙の伎楽有り。音曲和雅にして甚だ愛楽すべし。諸の有情の類、斯の妙音を聞きて諸の悪煩悩悉く皆消滅し、無量の善法漸次に増長して、速に無上正等菩提を証す。舎利子、彼の仏土の中には、是の如き等の衆妙綺飾の功徳荘厳有りて、甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中に周遍せる大地は、真金もて合成す。其に触るるに柔軟香潔なり。光明無量無辺にして妙宝間飾す。

舎利子、彼の仏土の中には、是の如き等の衆妙綺飾の功徳荘厳有りて、甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中には、昼夜六時に常に種種上妙の天華を雨らす。光沢香潔にして細軟雑色なり。見る者をして身心適悦ならしむと雖も、而も貪著せず、有情の無量無数不可思議殊勝の功徳を増長す。彼の有情の類、昼夜六時に常に持ちて無量寿仏を供養したてまつり、晨朝の時毎に此の天華を持ちて、一食の頃に於て飛びて他方無量の世界に至り、百千倶胝の諸仏を供養したてまつり、諸仏の所に於て各々百千倶胝の樹の花を以て持散し供養して、本処に還り至りて、天に遊び住すること等し。舎利子、彼の仏土の中には、是の如き等の衆妙綺飾の功徳荘厳有りて、甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中には、常に種種奇妙の愛すべき雑色の衆鳥有り。所謂鵝・鴈・鶖・鷺・鴻・鶴・孔雀・鸚鵡・羯羅頻迦・命命鳥等なり。是の如きの衆鳥、昼夜六時に、恒に共に集会して、和雅の声を出す。其の類音に随ひて妙法を宣揚す。所謂甚深念住正断、神足根力、覚道支等の無量の妙法なり。彼の土の衆生是の声を聞き已りて、各々念仏・念法・念僧の無量の功徳を得て其の身に熏修す。汝舎利子、意に於て云何、彼の土の衆鳥は、豈是傍生悪趣の摂耶ならん、是の見を作すこと勿れ。所以は何ん、彼の仏の浄土には三悪道無し、尚三悪趣の名有ることを聞かず、何に況んや実の罪業所招の傍生の衆鳥有らんや。当に知るべし、皆是無量寿仏の変化の所作なり。其をして無量の法音を宣暢して、諸の有情の利益安楽を作さしむ。舎利子、彼の仏土の中には、是の如き等の衆妙綺飾の功徳荘厳有りて、甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。 又舎利子、極楽世界浄仏土の中には、常に妙風有りて諸の宝樹及び宝羅網を吹くに微妙の音を出す、譬へば百千倶胝の天楽の同時に倶に作して、微妙の声を出すが如し。甚だ愛玩すべし。是の如く彼の土には常に妙風有りて衆の宝樹及び宝羅網を吹き、種種微妙の音声を撃ち出して、種種の法を説く。

彼の土の衆生是の声を聞き已りて、仏・法・僧の念、作意等の無量の功徳を起す。舎利子、彼の仏土の中には、是の如き等の衆妙綺飾の功徳荘厳有りて、甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界の浄仏土の中には、是の如き等の無量無辺の不可思議にして、甚だ希有なる事有り。仮使ひ百千倶胝那庾多劫を経て、其の無量百千倶胝那庾多の舌を以て、一一の舌の上に無量の声を出して、其の功徳を讃ずるも、亦尽くすこと能はず。[1]是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中の仏を、何の縁有りてか無量寿と名くる。舎利子、彼の如来及び諸の有情も、寿命無量無数大劫なるに由る。是の縁に由るが故に、彼の土の如来を無量寿と名けたてまつる。舎利子、無量寿仏、阿耨多羅三藐三菩提を証得したまひてより已来十大劫を経たり。舎利子、何に縁りて彼の仏を無量光と名くる。舎利子、彼の如来恒に無量無辺の妙光を放ちて、遍く一切十方の仏土を照らし、仏事を施作したまふに障礙有ること無きに由る。是の縁に由るが故に、彼の土の如来を無量光と名けたてまつる。舎利子、彼の仏の浄土には、是の如きの功徳荘厳成就す。甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中の無量寿仏には、常に無量の声聞の弟子有り。一切皆是大阿羅漢なり。種種微妙の功徳を成就せり、其の量無辺にして称げて数ふべからず。舎利子、彼の仏の浄土には、是の如きの功徳荘厳成就す。甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、極楽世界浄仏土の中の無量寿仏には、常に無量の菩薩の弟子有り。一切皆是一生所繋にして、種種微妙の功徳を具足せり、其の量無辺にして称げて数ふべからず。仮使ひ無数量の劫を経て、其の功徳を讃めんに、終に尽すこと能はず。舎利子、彼の仏土の中には、是の如き功徳荘厳成就す。甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、若し諸の有情、彼の土に生ずる者は、皆不退転にして、必ず復諸の険悪趣・辺地・下賤・蔑戻車の中に堕せず。常に諸仏清浄の国土に遊びて、殊勝の行願念念に増進し、決定して当に阿耨多羅三藐三菩提を証すべし。舎利子、彼の仏土の中には、是の如き功徳荘厳成就す。甚だ愛楽すべし。是の故に名けて極楽世界と為す。

又舎利子、若し諸の有情、彼の西方無量寿仏の清浄仏土の無量の功徳衆に荘厳せる所を聞かば、皆応に発願して彼の仏土に生ずべし。所以は何ん、若し彼の土に生ずれば、是の如きの無量の功徳衆に荘厳せらるる諸の大士等と同一に集会することを得。是の如きの無量の功徳衆に荘厳せらるる清浄仏土の大乗の法楽を受用して、常に退転すること無く、無量の行願、念念に増進して、速に無上正等菩提を証すればなり。故に舎利子、彼の仏土に生ずる諸の有情の類は、無量無辺の功徳を成就す。少善根には非ず。諸の有情の類、当に無量寿仏の極楽世界清浄の仏土に往生することを得べし。

又舎利子、若し浄信有る諸の善男子或は善女人、是の如きの無量寿仏の無量無辺不可思議の功徳の名号、極楽世界の功徳荘厳を聞くことを得、聞き已りて思惟して、若しは一日夜、或は二、或は三、或は四、或は五、或は六、或は七、念を繋けて乱れざれば、是の善男子或は善女人、命終の時に臨みて、無量寿仏、其の無量の声聞の弟子菩薩衆と倶に、前後に囲繞し、其の前に来住して、慈悲加祐し、心をして乱れざらしむ。[2]既に命を捨て已りて、仏の衆会に随ひて、無量寿の極楽世界清浄の仏土に生ず。

又舎利子、我是の如きの利益安楽の大事因縁を観て、誠諦の語を説く。若し浄信の諸の善男子或は善女人、是の如きの無量寿仏の不可思議の功徳名号、極楽世界の浄仏土を聞くことを得る者、一切皆応に信受して願を発し、説の如く修行して彼の仏土に生ずべし。

又舎利子、我今、無量寿仏無量無辺不可思議仏土功徳を称揚し讃歎するが如く、是の如く東方にも、亦現在して不動如来・山幢如来・大山如来・山光如来・妙幢如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く東方自仏浄土に住在して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く南方にも、亦現在して日月光如来・名称光如来・大光蘊如来・迷盧光如来・無辺精進如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く南方自仏の浄土に住在して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く西方にも、亦現在して無量寿如来・無量蘊如来・無量光如来・無量幢如来・大自在如来・大光如来・光焔如来・大宝幢如来・放光如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く西方自仏の浄土に住在して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く北方にも、亦現在して無量光厳通達覚慧如来・無量天鼓震大妙音如来・大蘊如来・光網如来・娑羅帝王如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く北方自仏の浄土に住在して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く下方にも、亦現在して示現一切妙法正理常放火王勝徳光明如来・師子如来・名称如来・誉光如来・正法如来・妙法如来・法幢如来・功徳友如来・功徳号如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く下方自仏の浄土に住在して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く上方にも、亦現在して梵音如来・宿王如来・香光如来・如紅蓮華勝徳如来・示現一切義利如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く、上方自仏の浄土に住在して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く東南方にも、亦現在して最上広大雲雷音王如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く東南方自仏の浄土に住して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く西南方にも、亦現在して最上日光名称功徳如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く西南方自仏の浄土に住して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く西北方にも、亦現在無量功徳火王光明如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く西北方自仏の浄土に住して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すべし。

又舎利子、是の如く東北方にも、亦現在無数百千倶胝広慧如来有ます。是の如き等の仏、殑伽沙の如く東北方自仏の浄土に住して、各各に広長の舌相を示現して、遍く三千大千世界に覆ひて、周匝し囲繞して、誠諦の言を説きたまふ。汝等有情、皆応に是の如きの称讃不可思議の仏土の功徳、一切諸仏摂受の法門を信受すひゃくせんべし。

又舎利子、何に縁りて此の経を名けて称讃不可思議仏土功徳一切諸仏摂受法門と為す。舎利子、此の経の中に無量寿仏の極楽世界不可思議の仏土の功徳を称揚し讃歎し、及び十方面の諸仏世尊、諸有情を方便し利益し安楽ならしめんと欲するが為の故に、各々本土に住し、大神変を現じ、誠諦の言を説きて。諸の有情に此の法を信受せんことを勧めたまふに由て、是の故に此の経を、名けて称讃不可思議仏土功徳一切諸仏摂受法門と為るなり。

又舎利子、若し善男子或は善女人、或は已に聞くことを得、或は当に聞くことを得、或は今聞くことを得ん。是の経を聞き已りて深く信解を生じ、信解を生じ已りて、必ず是の如く十方面に住したまへる十殑伽沙の諸仏世尊の摂受したまふ所と為る。説の如く行ぜん者は、一切定んで阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せざるを得、一切定んで無量寿仏の極楽世界清浄の仏土に生ぜん。是の故に舎利子、汝等有情、一切皆応に我及び十方の仏世尊の語を信受し領解すべし。当に勤めて精進し、説の如く修行して、疑慮を生ずること勿るべし。

又舎利子、若し善男子或は善女人、無量寿の極楽世界、清浄仏土の功徳荘厳に於て、若しは已に発願し、若しは当に発願し、若しは今発願せんに、必ず是の如く十方面に住したまへる十殑伽沙の諸仏世尊の摂受したまふ所と為る。説の如く行ぜん者は、一切定んで阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せざることを得、一切定んで無量寿仏の極楽世界、清浄の仏土に生ぜん。是の故に舎利子、若し浄信有る諸の善男子或は善女人、一切皆応に無量寿極楽世界、清浄の仏土に於て、深く心に信解し、発願して往生し、放逸を行ずること勿るべし。

又舎利子、我今、無量寿仏の極楽世界、不可思議仏土の功徳を称揚し讃歎するが如く、彼の十方面の諸仏世尊も、亦我が不可思議無辺の功徳を称讃して、皆是の言を作したまふ。甚だ奇希なり、釈迦寂静・釈迦法王・如来・応・正等覚・明行・円満・善逝・世間解・無上・丈夫調御士・天人師・仏・世尊、乃し能く是の堪忍世界に於て、五濁悪時の所謂劫濁、諸の有情独、諸の煩悩濁・見濁・命濁の中に於て、阿耨多羅三藐三菩提を証得し、諸の有情を方便し利益し安楽ならしめんと欲するが為の故に、是の世間極難信の法を説きたまふ。是の故に舎利子、当に知るべし、我今此の雑染堪忍世界の五濁悪時に於て、阿耨多羅三藐三菩提を証得し、諸の有情を方便し利益し安楽ならしめんと欲するが為の故に、是の世間極難信の法を説くこと、甚だ希有不可思議なりと為す。

又舎利子、此の雑染堪忍世界の五濁悪時に於て、若し浄信有る諸の善男子或は善女人、是の如きの一切世間極難信の法を説きたまふを聞きて、能く信解を生じ、受持し演説して、教の如く修行せば、当に知るべし、是の人は甚だ希有なりと為す。無量仏の所にして、曽て善根を種う。是の人命終りて、定んで西方極楽世界に生じ、種種の功徳荘厳清浄仏土の大乗の法楽を受用し、日夜六時に、無量寿仏に親近し供養して、十方に遊歴し諸仏を供養して、諸仏の所に於て法を聞き受記せらる。福慧資糧、疾く円満することを得て、速に無上正等菩提を証せん。時に薄伽梵、是の経を説き已りたまふに、尊者舎利子等の諸の大声聞及び諸の菩薩摩訶薩衆、無量の天・人・阿素洛等一切の大衆、仏の所説を聞きて、皆大に歓喜し、信受して奉行したてまつりき。

称讃浄土仏摂受経

  1. 御開山は『諸経和讃』の国宝本冒頭にこの語を引かれておられる。
  2. 法然聖人は、この文によって、正念に住すから来迎があるのではなく、来迎があるか臨終の三種の愛心を離れて正念に住すとされた。