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「能生の因・所生の縁」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 父母を能生と所生とに分けたのは、父は生ませる側(下種)、母は生ませられる側(子種をたもち育てる持種)であるという俗説によっている。
 
 父母を能生と所生とに分けたのは、父は生ませる側(下種)、母は生ませられる側(子種をたもち育てる持種)であるという俗説によっている。
  
また因と縁に分けたのは、名号は正定(しょうじょう)の業因となり、光明は摂取の外縁となるからである。ただし光明と名号は別なものではなく、しばらく因縁に配当しただけである。([[行巻#P--187|行巻 P.187]], [[消息下#P--807|消息 P.807]], [[執持鈔#P--864|執持鈔 P.864]])
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また因と縁に分けたのは、名号は<kana>正定(しょうじょう)</kana>の業因となり、光明は摂取の外縁となるからである。ただし光明と名号は別なものではなく、しばらく因縁に配当しただけである。([[行巻#P--187|行巻 P.187]], [[消息下#P--807|消息 P.807]], [[執持鈔#P--864|執持鈔 P.864]])
  
 
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[[両重因縁]]

2005年10月30日 (日) 08:42時点における版

のうしょうのいん しょしょうのえん

 父母を能生と所生とに分けたのは、父は生ませる側(下種)、母は生ませられる側(子種をたもち育てる持種)であるという俗説によっている。

また因と縁に分けたのは、名号は正定(しょうじょう)の業因となり、光明は摂取の外縁となるからである。ただし光明と名号は別なものではなく、しばらく因縁に配当しただけである。(行巻 P.187, 消息 P.807, 執持鈔 P.864)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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両重因縁