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親鸞聖人の他力観

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

浄土真宗は、御開山が「行巻」他力釈で「他力といふは如来の本願力なり(言他力者 如来本願力也)。」と定義されておられ、他力〔本願力〕の宗教だといわれる。他力という用語を阿弥陀仏の浄土教に導入されたのは曇鸞大師であり、その継承者である道綽禅師は盛んに他力という名目で阿弥陀仏の浄土教を鼓吹されていた。 しかし、その弟子である善導大師は五部九巻という書を著されたのだが、その中には「他力」という語は一語も無い。これは先哲の示されるように、他力という宗教語が時代を経て変質し、善導大師の宗教的精神世界を表す意義と相違していたからであろう。それは、現代に於ける世俗での他力という語の用例と宗教語としての他力という語の乖離と同じ状況であったのであろう。
ともあれ、浄土真宗に於ける重要な「他力」という宗教言語を御開山がどのように理解し把握されていたかを『論註』の「他利利他の深義」を論じた梯和上の論から窺ってみる。初出は『行信学報』12号( 1999)だが『親鸞教学の特色と展開』p.86に同文がある。

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親鸞聖人の他力観

──他利利他の深義をめぐって──  梯 實圓

 阿弥陀仏の浄土教にはじめて「他力」という名目を導入されたのは曇鸞大師(四七六-五四二)であった。自力・他力という名目は、曇無讖(三八五-四三三)訳の『菩薩地持経』巻一(大正蔵三〇・八九〇頁)にも使われていて、菩薩が菩提心を起こす縁として自力、他力、因力、方便力の四縁をあげている。但しこのなか自力と因力による発心は「堅固・不動・決定・究竟」であり、他力と方便力による発心は「不堅固・動転・不定」であるとしているから、自力を優位に、他力を劣位に評価していたことがわかる。また曇鸞大師に大きな影響を及ぼしたと伝えられている菩提流支(?-五二七)訳の経論にも自力・他力という用語はしばしば見られる。 すなわち『大宝積経論』巻一(大正蔵二六・二〇八頁)にも『菩薩地持経』と同じく発心の因縁として、「自力、他力、因力、修行力」の四力を挙げている。ことに『十地経論』巻一(大正蔵二六・一二五頁)には、二種の弁才を明かして「一つには他力弁才、二つには自力弁才」といい、他力弁才とは、仏の神力を承けて獲得した弁才であるとし、それを『十地経』の「諸仏の神力を承く、如来の知明加するが故に」という言葉によって証明しているように、如来の加被力のことを他力といっている典型的な例である[1]。曇鸞大師が、これらの経論で使用されていた自力・他力という名目を用いられたことは疑いのない事実であるが、それと違うところは自力よりも他力を優位をおき、むしろ他力を中心に阿弥陀仏の救済体系を樹立していかれたことであった。

 曇鸞大師の『論註』上(『註釈版聖典』七祖篇・四七頁)序題によれば、『浄土論』を注釈するにあたって、まず龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』「易行品」(『註釈版聖典』七祖篇・五頁)の難易二道が挙げられていた。成仏をめざす大乗の菩薩は、先ず第一の関門として不退転地に至ることを目標とするが、五濁の世、無仏の時において諸々の難行を長時にわたって修行し不退転地に至るということは極めて困難である。それはさまざまな障害に取り巻かれているからであるが、その代表的なものとして大師は五種の難を挙げている。その第五難として示されていたのが、「五にはただこれ自力にして他力の持つなし」ということであった。 これは上に述べた四難を総(す)べるような意味をもった難であって、ただ自力のみで、他力の住持がないということが、難行の難行たる所以であるというのである。したがって五濁無仏の時代に生きる凡夫が不退転地に至ろうとすれば、他力の住持力に支えられる浄土教に帰入すべきであるが、それを龍樹菩薩は易行道といわれたというのである。すなわち、

易行道とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。 (*)

 ここにいわれた仏願力こそ他力だったのである。すなわち易行道とは仏願を信じて念仏(五念門)し、仏願力に乗じて清浄土に生じ、仏の住持力を蒙って正定聚(不退転地)に入らしめられるという法門である。 こうして曇鸞大師は、龍樹菩薩のいわれる難行道とは自力によって不退転地に至り成仏しようという法門をいい、易行道とは他力によって浄土に往生して不退転地にいたり成仏せしめられる法門であって、大師はそれを「往生浄土法門」と名づけられるのであった。こうして浄土教の基本的性格は、浄土において悟りを開こうとする法門であり、自力難行道に対する他力易行道であると規定されたのであった。

 それはこれから注釈しようとする天親菩薩の『浄土論』の教格をあらかじめ定めていこうとしたものである。すなわち浄土教とは、龍樹菩薩がいわれたように、難行道に堪えられない下根をすくうために設けられた易行道である。したがって『無量寿経』のこころを解説する『浄土論』もその枠組みのなかで領解しなければならない。いかえれば『浄土論』に説示されている五念二利の行も往生の行業である限り易行道の枠組みのなかで理解すべきであるということをあらかじめ規定していくためであった。 それが「この無量寿経優婆提舎は、けだし上衍の極致、不退の風航なるものなり」という結文の意味であった。 それは『浄土論』に、浄土願生の菩薩道として説示されていた止観中心の五念二利の行のもつ意味を変革するものであった。すなわち五念門を仏願力に住持せられた易行道として見ていこうとするものであったからである。

 その第一が八番問答であって、浄土教の所被の機根を問題として、十悪五逆の罪人である下々品の機に至るまで包摂されていることを明かすと同時に、下々品の悪機の往生を可能にする十念念仏の徳義を三在縁釈義[2]をもって釈顕したものである。 第二が下巻の讃嘆門釈における称名の釈義であって、易行の行体である三信具足の称名には破闇満願の力用があることを顕示されていた。 そして第三が覈求其本釈(覈本釈)における、他利利他の釈と、三願的証と、他力の説示であった。それは八番問答と呼応して能被の法である本願力の内容を詳細にしたものであって、『論註』教学の帰結をしめすような重大な意味をもっていた。

『論註』下(『註釈版聖典』七祖篇・一五五頁)利他満足章の最後に、

 問ひていはく、なんの因縁ありてか「速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得」といへる。答へていはく、『論』に「五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなり」といへり。しかるに覈(まこと)に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。(*)

といわれたもの以下の一連の文章を覈求其本釈(覈本釈)と呼んでいる。

『浄土論』によれば、浄土を願生するものは、阿弥陀仏とその浄土を対象として礼拝・讃嘆・作願・観察・回向の五念門を修行しなければならない。このような自利と利他を行ずれば、智慧と慈悲と方便を成就し、菩提に背く心を離れ、菩提に順ずる心である智慧心・方便心・無障心・勝真心という四種の清浄功徳が成就する。それは妙楽勝真心の一心に要約されるが、それこそ清浄真実な涅槃にかなった心であるから往生成仏の正因としての徳をもっている。こうして五念門を修行することによって涅槃清浄処である浄土に往生することが出来るのである。 ところで『浄土論』は、五念門が成就することによって成仏が実現することを顕すために、往生すれば五念門に応じてその徳義である近門・大会衆門・宅門・屋門・園林遊戯地門という五功徳門が成就していくといわれていた。近・大・宅・屋の四門は自利が成就するすがたであるから入の功徳であり、第五の園林遊戯地門は利他の徳の成就するすがたであるから出の功徳であるといわれていた。こうして自利と利他、入と出の功徳が円満するから、阿耨多羅三藐三菩提が実現すると説明されている。それは浄土願生の菩薩道が完成していく有様を示したものであった。

 ところが『浄土論』には最後に「菩薩はかくのごとく五門の行を修して自利利他す。速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得るゆゑなり」と結ばれていた。ところがそのすぐ前に五功徳門を表すときには、「漸次に五種の功徳を成就す」といわれていた。漸次に成就するというのは、長い時間をかけて、次第を追って順次に完成していくことを表しているように見える。すなわち「速やかに」成就する事柄ではなかった。にもかかわらず「速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得るゆゑなり」という言葉で結ばれているのは不自然であるといわねばならない。もし速やかに成就するならば漸次ではなく五功徳が一時に頓現するといわねばならない。

 ところで浄土に往生するためには五念門が成就していなければならないが、五念門を成就して往生したのならば、五念門の徳義である五功徳門は一時に顕現するのでなければならないはずである。五念門成就の一心である妙楽勝真心阿耨多羅三藐三菩提の正因であるならば、往生することと、成仏することとは同じでなければならないという問題さえはらんでいるのである。もっともそのように往生即成仏を問題にするのは親鸞聖人の出現を待たねばならなかった。 ともあれ「漸次成就」と「速得菩提」という課題を明らかにするために曇鸞大師は最後に問答を設けられたのであった。その略答が、「五門の行を修して、自利利他成就するをもってのゆゑなり」というのであった。 この『浄土論』の文章は五念門を修して自利・利他すれば浄土に往生することを得、浄土に至れば二利の徳が成就するから速やかに菩提を成ずるといったとも受け取れるし、五念門を行じ、自利利他を成就するから往生し、往生すれば速やかに成仏することが出来るといわれたとも受けとれる。 いずれにせよ五念二利の徳を成就すれば、妙楽勝真心を成就して成仏の仏果を速やかに得ることが出来るに違いない。しかし、二利の成就には、法蔵菩薩がそうであったように兆載永劫の修行が必要なのではないか、それゆえに『浄土論』は五功徳門の成就は「漸次」であるといわれたのではないか。もしそうならば、二利の実修が如何に困難を極めるかはすでに序題門に於ける難易二道において示されたところであった。『浄土論』が阿弥陀仏の浄土教を説く論である以上、難行道を顕説するはずはない。では速やかに菩提を成就しうるような、しかも易行道としての五念二利の行というようなものがありうるのかということを答えなければならないのであった。

 それについての大師の応答が「しかるに覈(まこと)に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす」という言葉で始まる覈求其本釈だったのである。五念二利の行の源を尋ねてみると阿弥陀如来を増上縁として成立する行であるということがわかるというのである。「増上縁」とは、一般的には四縁のなかの増上縁であって、因を助けて結果を成立させる力をもった助縁、いわゆる与力増上縁を意味していた。そこで鎮西浄土宗良忠上人は、衆生が本願に応じてなした念仏という因に加わる外縁(与力増上縁)としての強大な如来の本願力のことであると見ていた。 しかし親鸞聖人は、『高僧和讃』(『註釈版聖典』五九〇頁)に、

仏法力の不思議には
 諸邪業繋さはらねば
 弥陀の本弘誓願を
 増上縁となづけたり

といわれるように、増上縁を仏法力の不思議である無碍(無碍光如来)の徳義とみなされていたことがわかる。それは因に対する縁というに止まらず、衆生に往生の因果を回向して障りなく摂取する本願力回向の徳用を意味せしめられていたといえよう。ともあれ曇鸞大師はその増上縁の内容を下に、「おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり」といわれているように、衆生の往生の因と果を成立させるような本願力の勝れたはたらきである不虚作住持功徳のことを増上縁というといわれていたことはたしかである。

ところでその願力増上縁としての本願力を具体的に的示するに先だって「他利利他の釈」が施されていた。

他利と利他と、談ずるに左右あり。もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。いままさに仏力を談ぜんとす。このゆゑに「利他」をもつてこれをいふ。まさにこの意を知るべし。(*)

といわれたものがそれである。 文脈から見てこの釈はいささか唐突の観がある。何故突然このような釈義がここへ挿入されたのか理解に苦しむところであるが、良忠上人の『論註記』巻五(浄全一・八五頁)には、「仏よりしていはば、よろしく利他というべし」といわれた意味からして「五念は菩薩の自利利他なり。功を本に譲れば、皆これ仏力なり、この義によるが故に仏に約して釈す」といわれている。もっとも「功を本に譲」るといっても良忠上人のいわれる仏力は強力な外縁であって、往生の因行までも回向する本願力でなかったことはいうまでもない。
それに対して慈潮(大濤)師の『他利利他弁』(『真宗全書』五六・五一六頁)には他利利他の釈は、他力増上縁を顕すための文証であるといっている。すなわち五念門が他力増上縁によって成立するということは『浄土論』の顕文には見えないが、利他といわれた文を手がかりに、他利と利他という造語の不同によって、五念門は、阿弥陀仏の果徳を全うずる因行であることを証明し、他力を増上縁とすることを証明しようとしたものであるから、文証としての意味をもっているというのである。 それは次下の三願的証が、「義意を証す」といわれているように他力増上縁の理証であるに対しているといっている。たしかにそのように見ることもできよう。

 すなわちこの文は、「五念門を修して自利利他を成就することのまことの根源を推求すると阿弥陀如来の本願力を増上縁として成立していることがわかる。どうしてそのようなことがわかるかといえば、そもそも(自利)他利という場合と(自利)利他という場合とでは、体は一つであるが、義に左右の別がある。もし仏の側からいうならば、利他というべきである。もし衆生の側からいうならば他利というべきである。今この『浄土論』は速かに菩提を得ることが出来るのは五念二利が仏の本願力によって成ずるものであることを論じようとしているから(自利)他利といわずに(自利)利他と利他の言葉を用いられたのである。このように利他という言葉を用いることによって阿弥陀如来を増上縁として成就する五念二利であるということの意味を知るべきである」といわれているのである。 しかしこの他利と利他の使い分けには大きな問題を含んでいるから、後にもう一度考察することにする。

 『論註』はつづいて、阿弥陀仏を増上縁とするということの意義について、

おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり。なにをもつてこれをいふとなれば、もし仏力にあらずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。いま的(あき)らかに三願を取りて、もつて義の意を証せん。 (*)

といわれている。願生の行者が浄土に生ずることも、また往生した菩薩や人・天がさまざまな行業を起こして仏道を完成していくことも、みな阿弥陀仏の本願力によって成立せしめられていることである。何故ならば、もし仏力によって成就せしめられるのでなかったら、阿弥陀仏の四十八願は、空しいいたずらごとになってしまうからである。 いまそのことを明らかにするために三願を取り上げて、衆生の往生の因果の成就が仏願力によっていることを証明しようというのである。 もし五念・五功徳という往生の因果が自力の修行によって完成するのならば、そもそも阿弥陀仏が苦悩の衆生を救うために正道の大慈悲をもって浄土を建立し、下品の衆生に至るまで浄土に往生せしめて速やかに悟りを完成せしめようとして四十八願を起こされたことが無意味になるではないかというのである。それは浄土教の存在意味がなくなるということでもあった。

 そして本願力を増上縁としているから往生の因も果も速やかに成就していくということを第十八願第十一願第二十二願の三願を引いて証明していかれるのであった。これを三願的証といいならわしている。先ず第一に第十八願を引いて、

仏願力によるがゆゑに十念の念仏をもつてすなはち往生を得。往生を得るがゆゑに、すなはち三界輪転の事を勉る。輪転なきがゆゑに、ゆゑに速やかなることを得る一の証なり。

といわれている。第十八願力によるがゆえに十念の念仏に依って輪廻の境界である三界を超えて浄土に往生する。 それゆえ速やかに菩提を完成することが出来るというのである。この十念念仏について「八番問答」(『註釈版聖典』(七祖篇・九八頁)には、「ただ阿弥陀仏を憶念するをいふ。もしは総相、もしは別相、所観の縁に随ひて、心に他想なくして十念相続するを名づけて十念となす。ただ名号を称するもまたかくのごとし」といわれているから、念は憶念のことで、そこに観念と称念を含めている。従って拡げれば五念門になるような念仏であったと考えられる。そのことは五念門を下品の者にも可能な易行とみていく一面を持っていたことになり、それが往生の因になるのは第十八願力によるとみられていたことは明らかである。

第二に第十一願を引用して、

仏願力によるがゆゑに正定聚に住す。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至りて、もろもろの回伏の難なし。ゆゑに速やかなることを得る二の証なり。

といわれている。 第十一願力によるから往生した者は正定聚に住せしめられる。正定聚とは必ず仏になることに決定している聚類のことであるから、退転することなく必ず滅度に至らしめられる。これは彼土正定聚について釈されたものであって、五功徳門の近門・大会衆門にあたる。

 第三に第二十二願を引いて、

仏願力によるがゆゑに、常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。常倫諸地の行を超出するをもつてのゆゑに、ゆゑに速やかなることを得る三の証なり。

といわれている。 第二十二願力によるから、浄土の菩薩は一地から一地へと長時間をかけて次第漸進することなく、諸地を超越して上地の菩薩となり、一生補処に至らしめられる。それゆえ速やかに菩提を得ることが出来るといわれるのである。 これは五功徳門の宅門・屋門・園林遊戯地門にあたるというべきである。なお二十二願を還相回向の願と見られるのは親鸞聖人であって、『論註』では超出常倫を誓った願と見られていたことは、下巻(『註釈版聖典』七祖篇・一三四頁)の不虚作住持功徳の引用によっても明らかなところである[3]

 こうして三願的証して「これをもつて推するに、他力を増上縁となす。しからざることを得んや」と結ばれているのである。そしてさらに他力を喩示して劣夫も転輪聖王の力に乗ずれば自在に飛行することが出来るという喩えを挙げて自力を捨てて他力に帰すべきことを勧め、最後に、

愚かなるかな、後の学者、他力の乗ずべきことを聞きて、まさに信心を生ずべし。みづから局分することなかれ。(*)

と結ばれている。後世浄土の教法を学ぶものは、乗託すべき他力の在すことを聞けば信心を起こして他力にまかすべきであって、自力のはからいをまじえて、救いを見失う愚かなことをすべきではない、というのである。

 一般には、他利(他の利をはかる)といっても利他(他を利する)といっても、菩薩の自利に対する言葉としてどちらも「他者の利益をはかること」として使われていた。したがって『論註』のように他利と利他を分けるのは尋常の釈ではないといわねばならない。 他利と利他が同じ意味で用いられた例をあげると、鳩摩羅什(三四四-四一二)訳の『十住毘婆沙論』「地相品」(大正蔵二六・二七頁)には、「我いま無上道の願を発するは、自利を欲するためなり、また利他のための故なり」と自利利他という用語が用いられているが、「五戒品(『同上』五六頁)」には「よく自利を捨てて常に他利を行ず」とか、「もし他を利するはすなわちこれ自利なり」とか「菩提心を発こさば、他利即自利なり」というように、自利利他と自利他利とが全く同一語として用いられていた。また菩提流支訳の『勝思惟梵天所問経論』巻一(大正蔵二六・三四〇頁)には、「自利他利如実修行」とか、「自利他利をなすに異相なきをもっての故なり」というように、二利のことを自利他利といわれていた。 また同じく菩提流支訳の『大薩遮尼乾子所説経』巻九(大正蔵九・三五九頁)には、「諸々の菩薩摩訶薩の行ずるところの一切の行は、皆自利のためにしてまた他利のためなり」といわれているが、この経の巻二(『同上』三二四頁)には「自利亦利他」という言葉も用いられていた。 あるいは先に挙げた曇無讖訳の『菩薩地持経』巻一「自他利品」(大正蔵二六・八九〇頁)には、菩薩の学処として七処をあげるなかに「一には自利、二には利他」とし、それを説明するのに「如何が自利他利なる、自利他利に略して特に十あり」といっているから、自利利他と自利他利は全く変わりなく用いられていたことがわかる。

 それを曇鸞大師は利他と他利と意味に左右ありといわれたのである。ところでこの他利と利他の釈について、浄土の異流ではあまり強い注意を払っていないが、親鸞聖人は「証文類」(『註釈版聖典』三三五頁)の総結の文や、『浄土文類聚鈔』(『同上』四八四頁)の三法別釈の結文に、「宗師は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり」といわれている。すなわち、他利利他の釈義は、『浄土論』の顕文では衆生の所修のごとく説かれている五念門が、実は阿弥陀仏が成就して衆生に利他回向されたニ利の行徳であるということを顕し、本願力回向の宗義を顕示する深義を述べたものであると領解されていたことがわかる。 『教行証文類』などに引用された『論』『論註』の五念門の文に約仏の訓点が打たれているのはこの他利利他の釈から逆見して、法蔵菩薩所修の五念門と見られたからであった。さらに『入出二門偈』(『註釈版聖典』 五四八頁[4])にも、

 願力成就を五念と名づく、仏をしていはばよろしく利他といふべし。衆生をしていはば他利といふべし。まさに知るべし、いままさに仏力を談ぜんとす。

といわれているように、願力成就の五念門であることを明かそうとして、他利利他の釈が施されていたと見られていたのであった。しかし聖人がどのように他利と利他とを理解されていたかは知りがたいものがある。そこで真宗の先哲はさまざまに検討されてきたのである。

 本願寺派の第二代能化の知空師(一六三四-一七一八)の『論註翼解』九(一五丁)には、「他利といふは他、我を利す。これ衆生仏に向かひていふに約す。利他といふは我、他を利す。これ仏衆生に向かふよりしていふ。他の一字上にある時は即ち仏を指し、下にあるときは即ち衆生を指す。故に談有左右といふなり」といっている。 仏の救済を語るのに、他利といえば他なる仏が衆生を利益すると従生向仏で言ったことになるし、利他といえば、如来が他なる衆生を利益すると従仏向生で語ったことになる。今は仏力を談ずるから利他といわれたというのである。 この説は法霖師(一六九三-一七六四)の『入出二門偈窺斑録』を初め、慧雲、崇廓、道穏、僧叡、善譲、円月、義山、鮮妙の諸師に受け継がれ、本願寺派ではもっとも一般的な説になっている。

 大谷派の慧然師(一六九三-一七六四)の『論註顕深義記』五(六五丁・『真宗体系』七・六九七頁)によれば、他利も利他もともに衆生を指して「他」といったとし、仏の利生、すなわち衆生救済の働きを表すことには違いがないが、他利と利他もともに衆生を指して「他」といったとし、仏の利生、すなわち衆生救済の働きを表すことには違いがないが、他利と利他とは義に左右が生ずるというのである。 すなわち他利とは、仏の自利の功徳が任運に増上縁となって衆生を利益し、衆生はその利益にあずかることを他利(他が利せられる)という。いいかえれば仏の自利を主としてその自然の働きとしての化他の徳を語る場合に他利というとするのである。それに対して利他とは仏が他のために発願修行し、衆生利益を本とする仏となって衆生を救済する有様を表すというのである。 要するに他利も利他も同じく仏の利生を表す言葉であるが、任運と作願、自徳と化他という義意の違いがあるから他利と利他と表現を変えるのである。それを『論註』には「談ずるに左右あり」といわれたのであるとしている。すなわち他利は自利の徳を主とし、その任運の働きとしての化他を語る場合であり、利他は衆生救済の誓願に報いた化他を主とする仏徳を表す言葉であるから、仏力をあらわす場合には他利よりも利他という言葉が親しいというのである。

 この説は『成唯識論』巻十(大正蔵三一・五八頁)に「自性身は正しく自利の摂なり。寂静安楽にして動作なきが故なり。また利他を兼ぬ。増上縁となりて、諸々の有情をして利益を得しむるが故なり。(中略)もし他受用及び変化身は唯利他に属す、他のために現ずるが故なり」といっているのを参考にした説である。なお自性身が「利他を兼ぬ」というのが一本では「他利を兼ぬ」となっているのを慧然師は見ていたようである。

 智暹師(一七〇二-一七六八)は『二門偈流情記』下(三丁)に、『論註翼解』の説と『論註顕深義記』の説を挙げて、『顕深義記』の説を善しとした上で、しかしまだ他利と利他の差別が明らかでないと批判して自説を展開している。 それによれば他利というのは法界力、すなわち真如の内薫力が増上縁となって衆生を利益することで、衆生はそれに促されて自利利他の菩薩道をなすようになる。それは衆生本有の仏性の働きによって他(衆生)が任運に利益を得ることであるから、「衆生よりしていふ」といわれたのである。これは自力聖道門の定談である。それに対して利他というのは、阿弥陀仏が衆生救済の願行を成就してその徳を一切衆生に回向し、他の衆生を利益するということをいうから「仏よりしていう」といわれたのである。要するに智暹師は他利は自力の法門を表しており、利他は他力の法門を表しているというのである。 このように他利を真如の内薫力とし、それゆえ衆生の側からいうというような発想は、彼の師の若霖師が『正信偈文軌』の「開首」(『真宗叢書』四・二頁)に、実相身の働きを性の他力といい、為物身の救済を修の他力といっていた学説の影響を受けたものと考えられる。

 智暹師の弟子で、『論註顕深義記』の注釈書『伊蒿鈔』七巻を著した慧霖師(一七一五-一七八九)は、『他利利他深義』(『真宗全書』五六-五〇七頁)に、上に挙げた三説をともに批判して、「上の三解ありといえども、未だ註家の玄旨、実に然るや然らざるやを詳にせず」といって自説を展開している。 それによれば、他利も利他も化他を顕すことに違いはないが、他利は衆生が化他することであり、利他は阿弥陀仏の化他を顕すというのである。 すなわち他利とは衆生が前四念の行徳を回向して衆生に利益する自力所修の五念門の回向門のことであって、自利の徳が任運に他を利益する化他のことを他利というとするのである。したがってそれは化他のことを衆生より名づけた言葉である。 しかしそれは、自信教人信と言うような他力の行者の化他のことではなく、自力回向のことと見ていたことがわかる。それに引き替え利他とは、発願修行利他を先とする阿弥陀仏の回向利益他の徳のことであって阿弥陀仏より名づけた言葉と見ているのである。したがって仏力他力をを表す言葉になるから「いままさに仏力を談ぜんとす、このゆえに利他をもってこれをいふ。まさにこの意を知るべし」といわれたというのである。

 深励師(一七四九-一八一七)の『論註講苑』巻一二(『続真宗体系』三・七〇五頁)には、他利は衆生が他の仏に利益されること、利他は仏が他の衆生を利益することという『論註翼解』の説を批判して、二つの難があるとする。 一には他の字の指し所は違っているが、共に仏の衆生を利益したまうことになって、利他の言をもって仏力を顕すという義が隠れてしまう。二つには諸経論の造語に違するというのである。他利の他を仏をさす例は一つも見当たらないからである。また『論註顕深義記』が他利と利他もともに仏の衆生済度のことで仏に対して衆生のことを他というのは正しいが、他利は仏の自利が余りての衆生済度、利他は衆生を本として済度することというならば、共に仏の衆生済度の上にあることで両方ながら仏よりしていう言葉になり、「衆生よりしていはば他利というべし」という釈文に合わないと批判している。 また『二門偈流情記』には、利他は他力であり他利は自力であるというが、それでは体が二つあることになって、一仏の左右にはならないし、また諸経論に他利を自力とした用例は存在しないからこの説は不可であるといって自説を述べている。

 すなわち『論註』に他利利他について『談ずるに左右ある」といわれているのは、いずれも五念門中の回向門のことであるから体は一つであって、それを他利とも利他とも名づけるから一体の異名であるというので左右といわれたのである。すなわち他利は所化・所利益の衆生よりいう言葉(他が利せられる)であり、利他は能化・能利益の仏よりいう言葉(他を利する)である。何故ならば他利は他の字が上にあって衆生が利益されることを表す言葉であるのに対して、「利他の言は利の字を上に置く故能利益の仏力を顕す言になる」といい、「利他の言は弥陀の願力を顕す言と釈」されたものである。それは同じ文字でも上に置く文字は用字で力のある言になるからであるといっている。 しかしこの深励師の説に対しては「他利」を「他が利」というのならば利すのは仏であるから利他と同じことになり、「他が利せられる」と受動態で読むならば、「自利」も「自が利せられる」と読まなければならなくなり意味をなさなくなると批判されている。

 慈潮(大濤・-一八二六)の『他利利他弁』(『真宗全書』五六・五一六頁)には、他利と利他はいずれも一の化他門の上の差別であって、どちらも他の衆生を利益することである。しかし文字に前後があるところ、自ずから他利と利他とは合釈において意味が異なるとし、他利は自利と同じく依主得名であって、他利は他所得の利を意味する。しかし利他は、他を利するということで、他を所利として有している能利において利他という名を立てる有財釈であるといっている。 こうして他利と利他とでは同じ化他であるが一分と全分・優と劣との違いがあるとしている。しかしこの説に対しては、そのように他利と利他とを因人の所修と果人との所修とを分ける根拠が脆弱であると評されている。

 以上要するに、他利の他を仏とし、利他の他を衆生と見て、仏の救済を衆生の側からと仏の側からと両面から表した言葉とする説と、他利と利他もともに「他」とは衆生を指しているという説とに分かれる。さらに後者のなかで同じく仏の利生の働きであっても、自利を主とするか利他を主とするかで、他利と利他とを分ける説と、衆生のなす化他を他利といい、仏の化他を利他という説と、他利と利他を自力と他力に分けてる説と、両者を分全・優劣で分ける説とに分類することが出来よう。しかし他利の解釈には種々の別があるが、利他が阿弥陀仏の自利を全うじた本願力を表すということでは所説は一致している。

 私は、他利とは他なる仏に衆生が利益されることをいい、利他とは仏が他なる衆生を利益することをいうとする『論註翼解』の説を採用したいと思う。従来同義語として用いられていた他利と利他とを「談ずるに左右あり」といわれたのは、仏力成就の五念という特別の義意を表すためであった。
 それにしてもこのように左右を見ることができたのは、「利」を動詞と見て、それを中心に、「他利」は「他利自(他が自を利す)」の「自」という目的語を省略した語であり、「利他」は、「自利他(自が他を利す)」の主語の「自」を省略した語型と見られたからではなかろうか。 したがって他利は他者である阿弥陀仏が、衆生、すなわち私を利益するという状況を表現する言葉になる。この場合は救済される者を「自」すなわち「我」とし、救済する如来を「他」すなわち「汝」と見ていることになるから、「衆生よりしていはば宜しく他利といふべし」ということになる。 それにひきかえ利他は自者である如来が他なる衆生を救済するという状況を表現する言葉になる。 この場合は救済する者を「自」というから如来が「我」であり、救済される衆生は他者すなわち「汝」と見ての発言になる。それが「仏よりしていはぱ宜しく利他といふべし」といわれた意味であろう。 仏の救済活動を仏の側、すなわち法の側から表すには「我よく汝を救う」と、仏を「我」として衆生を「汝」と呼ぶ表現である「利他」がふさわしいから、「いままさに仏力を談ぜんとす、このゆゑに利他をもつてこれをいふ」といわれたのである。利他は法の側から仏力を談ずる言葉であるというのである。後に親鸞聖人が本願力回向を表すのに利他という表現を多く用いられたのはその故である。

 ところで他利と利他とを「談ずるに左右あり」といわれたのを、多くの先哲は一物の左右のことと見て、その例として天台大師が『摩訶止観』三上(大正蔵四六・二六頁)に「境と諦と左右の異のみ。見と知と眼目称を殊にす。別説すべからず」というのを挙げている。すなわち荊渓大師がこの文を釈して『止観輔行』三之二(大正蔵四六・二三〇頁)に「諦と境とは猶し一物にして左右両名を得るに同じからざるが如し。一人物の左にあれば、物をいいて右と為す。一人物の右にあれば、物をいいて左と為す。人の所在によって左右の名生ず。しかもこの一物もとより未だ曽って異ならず。諦と境もまたしかり。止に対して諦と名づけ、観に対して境と名づく」[5]といっている。このように、如来の救済(願力成就の五念門)を如来の側から語る場合は利他というべきであり、衆生の側から語る場合は他利というべきであるというのである。

 ところで是山恵覚師は、『往生論註講義』下(『真宗叢書』別巻・二五九頁)に『論註翼解』の説を承けた上で、「他利は衆生の無造作を顕し、利他は仏の造作を示す。倶に他力を顕示するの名なり。しかるに論に利他と言う者は従仏向生の辺による。是に於いて論文に明かす所の五念は皆是れ法蔵の所修を顕すの義が明了す。宗祖『入出二門偈』の述は蓋し此の指揮に依り給ふなり」といわれている。同じ他力を顕すのでも、他利という場合は衆生の無作を顕すし、利他という場合は仏の造作を顕す。したがって仏の救済の働きを顕す場合には利他という言葉が親しいということになるというのである。

 たしかに『入出二門偈』には「願力成就を五念と名づく(*)といって、他利と利他とを明かされている。従って礼拝、讃嘆、作願、観察、回向という五念二利の行は、仏からいえば如来の本願力(その内容は法蔵所修の五念門)が衆生の上に表れて躍動している有様であるから利他というべきであり、衆生からいえば如来の活動にまかせている有様であるということを他利というべきであるといわれたと考えられる。いいかえれば称名し、憶念していることを本願力の活動相(如来の造作)と見るのが利他であり、自力を離れて本願力にまかせているすがた(衆生の無造作)と見るのが他利である。『安心決定鈔』下(『註釈版聖典』一四〇一頁)に「念仏三昧といふは、われらが称礼念すれども自の行にはあらず、ただこれ阿弥陀仏の行を行ずるなりとこころうべし」といわれたものと同じ状況を表したものといえよう。

 あるいは本願力回向は如来の救済活動を表すから利他にあたり、不回向は衆生の自力回向を否定した言葉であるから他利にあたると見ることもできよう。そして他力という言葉は、如来の側からいえば「利他力(利他の力)」の略というべきであり、衆生の側からいえば「他利力(他が利する)」の略というべきではなかろうか。しかも元来は他力とは仏の救済活動、法の徳用を表すのが主であるから、「利他力」の意味と見る方が主であったのではなかろうか。親鸞聖人がしばしば利他という言葉で他力を表されるのは、他力を如来の救済活動として顕そうとされていたからであろう。このように見ていくと親鸞聖人は他力という言葉に、「他の力」という一般的な意味も認めながら、根源的には「利他の力」という独自の意味を含めておられたと考えられる。

親鸞聖人が利他という名目を他力の同義語として用いられたのは他利利他の釈によっていることはいうまでもないが、もう一つの根拠は、善導大師の三心釈のなかの至誠心釈の「利他真実」を他力の真実心のこととみなされたところにあった。善導大師は阿弥陀仏の救済を顕すのに大願業力とか本願力とか願力という言葉は頻繁に用いられていたにもかかわらず、自力他力という名目は一切使用されていない。おそらく当時一般に用いられていた他力の意味が大師の宗教意識を表現するにはふさわしくなかったからに違いない。しかし親鸞聖人は、「散善義」(『註釈版聖典』七祖篇四五六頁)の至心釈に、「また真実に二種あり。一には自利真実、二には利他真実なり」といわれた文を『愚禿鈔』下(『註釈版聖典』五二〇頁)に釈して、自利真実は聖道門や浄土門中の横出で勧められている自力の真実心であるとし、利他真実は横超すなわち「如来の誓願他力」の真実心であると規定されていた。また「信文類」には、聖人が利他真実を顕すとみなされた文のみを引用し、自利真実を明かす文は「化身土文類」の要門章に引用されていた。そして自力の信心と他力の信心を顕すのに「諸機の三心は自利格別にして、利他の一心にあらず」(「化身土文類」『註釈版聖典』三八一頁)とか、「深とは利他真実の心これなり、浅とは定散自利の心これなり」(『同上』三九三頁)というように、しばしば自利利他を自力他力の異名として用いられているのである。 このように「散善義」の当分では、浄土を願生する行者は内外相応の真実心をもって自利利他せよと勧められていたものを、自利真実は自力の至誠心、利他真実は他力の至誠心というように明確に分けられたのは親鸞聖人であった。

 しかし親鸞聖人の利他真実の釈は、隆寛律師(一一四八-一二二七)の思想を受け継いで成立したものであった[6]。律師の『具三心義』上(平井正戒氏『隆寛律師の浄土教・附遺文集』七頁)には、自利真実と利他真実について、

先ず自利真実を立つることは、外現精進内懐虚仮の行を改めて、三業をして利他真実に帰せしめんことを欲してなり。またもし自利真実を立てずば、おそらくは三業修善を励まず、三業の造悪をつつしまざらん。次に利他真実を立つることは、利他真実の願に帰して造悪虚仮の難を遁ることを明かす。また利他真実を立てずは、おそらくは弥陀の願意を知らずして、空しく自力の行に疲れ、徒に自力の行を励みて、弥陀本願に順ぜざらんことを。

といっている。 至誠心釈に自利真実と利他真実を立てられたのは、一つには自力の行を改めて、利他真実の本願に帰することによって初めて真実の意味での自利の止悪作善が成ずることを明かすためであり、二つには本願に帰するものが造悪無碍の邪義に陥ることを防ぐためであったと言われている。これは親鸞聖人が自利真実を自力の止悪作善のことと見られていたのと異なるが、しかし極めて興味のある説であることは事実である。また利他真実を立てられたのは、一つには利他真実の本願に帰して初めて雑毒虚仮の自力を離れることが出来ることを知らせるためであり、二つには利他真実に帰することを明らかにしなかったらならば、徒(いたずら)に自力の行に疲れて、虚仮を離れることが出来ないからであるというのである。 ここで律師が、自力を虚仮不実とみなし、捨てるべき行とし、利他真実の本願のみをたのむべき真実とみなされていたことがわかる。すなわち人間の三業造作の上には真実はなくて、ただ阿弥陀如来の利他の本願のみが真実であるとし、それを利他真実といい、他力といわれていたことがわかる。

 隆寛律師が利他真実を他力と見る背景にはやはり『論註』教学があった。例えば『具三心義』上(『同上七頁』)に至上心釈のこころを顕すのに、『論註』上(『註釈版聖典』七祖・五六頁)の真実功徳釈をもって真実心を釈したり、『同』下(|一〇三頁)の讃嘆門釈に依って「利他真実の名号」を顕したりされていたことで明らかである。他利々他釈の引用はないが、『同』下(『註釈版聖典』七祖篇・一二二頁)の「示現自利利他」の釈文などを引釈されている。二利円満の浄土は、凡夫を浄土に導いて、生死を超えた涅槃の悟りを得しめるという不思議な利他の徳をもっているが、それはまるで須弥山を芥子に入れ、毛孔に大海の水を入れるような不可思議な働きである。しかし須弥山や大海にそのような不思議な働きがあるというのではない。『維摩経』によれば、それは不可思議解脱に住している大菩薩のもつ自在神力のなす働きであると説かれているように、全く不可思議な利他の徳用によって成立する事柄であるといわれている。 このような曇鸞大師の釈によって律師は、「他力もっとも憑むにたれり、何ぞ自力をはげまんや」と勧誡されていた。そして阿弥陀仏の本願や名号のことを「利他真実の名号」「利他真実の名願」「利他の願」等と呼ばれているのである。このように隆寛律師は『論註』の他力と善導の利他真実とを合わせて用いられていたことがわかるが、自力と他力を廃立の関係でみるとともに親鸞聖人の利他真実の釈が律師を承けたものであることはこれで明らかである。

親鸞聖人が利他という言葉を他力とか、本願力回向と同じ意味で用いられていたことは、『教行証文類』を始め至る所に見受けられる。すなわち真実行のことを利他円満の大行といい、真実信心のことを回向利益他の真実心、利他の真心、利他回向の至心、利他真実の心、利他の信海、利他真実の信心、利他深広の信心、利他の信楽、如来利他の信心、利他の信海、利他真実の欲生心といい、また真実証のことを利他円満の妙位、利他円満の妙果といい、還相のことを利他教化地の果、利他の正意、利他教化地の益といわれたものなど枚挙に暇がないほどである。 これらはいずれも他利利他の深義によって顕された利他の義意と、至誠心釈の利他真実の意をもって、本願力回向の往相還相の法を讃嘆されたものであった。いいかえれば往相還相を回向して、一切の衆生を救済しつつある本願力の救済活動を顕すのには利他という言葉が適切であったからであろう。そしてそれが聖人の他力観の根源であったといえよう。

 「行文類」に「十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ」といわれている。 ここでは摂取不捨を阿弥陀仏の名義とし、それを他力というのであるから、他力を方便法身としての阿弥陀仏の名義とされているのである。それは「他者である阿弥陀仏が私ども衆生を救済する」という「他の力」という意味の他力ではなく、「われは念仏の衆生を摂取するから阿弥陀仏という」と阿弥陀仏の名義を衆生に告知している言葉であった。これは明らかに他力を利他の働き、すなわち「利他力」の略として見られていたとしなければならない。また「行文類」(『註釈版聖典』一九〇頁)に他力を追釈して「他力といふは如来の本願力なり」といって、『論註』下(『註釈版聖典』七祖篇一五三頁-一五七頁)の利行満足章の園林遊戯地門釈以下覈本釈までの文を引用されているものも、他力を「利他の力」の意味で見られていたとしなければならない。また「正信偈」(『註釈版聖典』二〇六頁)に「往還の回向は他力による」といわれた他力も本願力回向を顕すのであるから「利他力」という意味で用いられていたといえよう。

 もっとも『親鸞聖人御消息』(『註釈版聖典』七四六頁)などでしばしば、「他力には義なきを義とす」とか、「他力と申し候ふは、とかくのはからひなきを申し候ふなり 」(同上七八一頁)などといわれているのは、他力の受け取り方、いわゆる機受を顕しているから利他というよりも他利の意味を述べられたものといえよう。『親鸞聖人御消息』第六条(『註釈版聖典』七四六頁)には、

まづ自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがひて余の仏号を称念し、余の善根を修行してわが身をたのみ、わがはからひのこころをもつて身・口・意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふを自力と申すなり。また他力と申すことは、弥陀如来の御ちかひのなかに、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。如来の御ちかひなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人の仰せごとにてありき。

といわれている。「わが身をたのみ」三業を浄化して救いにあずかろうとする自力の立場に対して、わが身をたのまず、念仏往生の本願、すなわち利他真実の願を信楽することを他力といわれたものは、衆生の方から他力を語ったものであるから「他利」というべきであり、その場合は他力とは自力のはからいを離れて「他(如来)の力」にまかせることを意味していた。
このように他力を「他の力」という場合には、人間の方から如来の救済を仰信するのであるから、自己をたのむこころを離れ、一切の自力のはからいを捨てて、自己の全存在を如来の本願力にまかせきることを意味していたのである。

 他力を「他の力」といっても、「利他の力」といっても如来の救済力を表していることには変わりはない。しかし他力の「他」を如来のこととするならば、その言葉は救われる衆生の側から救済を語った言葉になって機受を顕すことになり、「他」を衆生のこととするならば、衆生を利益する如来の側から救済を語った言葉になって法を顕すことになる。 「私(衆生)は汝(如来)に救われる」というのと「私(如来)は汝(衆生)を救う」との違いがあるわけである。前者が他利の立場であり、後者が利他の立場である。そして「他力」の本質は後者にあったというべきである。

 「利他力」であるような他力は、人間の思いはからいを超えた如来の救済活動を如来の側からいい表した言葉であるから、善導大師が二河譬の中で阿弥陀仏の招喚を「汝一心正念にして直ちに来れ。 我よく汝を護らん」といわれていた状況を表すものであったといえよう。 ここでは如来が「我」であって、私どもは「私」ではなくて、如来から「汝」と呼びかけられている者なのである。私は如来から「汝」と呼びかけられている者であると信知して、「如来の汝」として如来に包摂されている状況を摂取不捨というのである。親鸞聖人にとって他力とは根源的にはそのような如来の働き、法の活動を表す言葉だったとすれば、それは「利他の力」の略称であったとすべきである。

 そのような如来の活動は、唯仏与仏の智見であって、弥勒菩薩といえどもはかり知ることのできない領域であるから聖人は「他力不思議」と言い表されていた。「行文類」(『註釈版聖典』一九九頁) 一乗海釈に念仏と諸善を対論して四十八(四十七)対が示されているが、そこには自力他力対・思不思議対が挙げられていて、自力の法門は思議、他力の法門は不思議といわれていた。他力は決して人間の分別思議を以て捉えることの出来ない仏智不思議の領域を示す言葉であったからである。『正像末和讃』(『註釈版聖典』六〇九頁)に、

聖道門のひとはみな
 自力の心をむねとして
 他力不思議にいりぬれば
 義なきを義とすと信知せり

といわれている。聖道門の人たちは、自己をたのみ、廃悪修善によって自己を完全に浄化することが出来ると信じる自力の菩提心を修行の根本としている。しかし人間の思いはからいを超えた如来の不可思議なる本願他力の世界に帰入して、如来に包摂せられ、如来の御はからいにまかせる身になるならば、自力のはからいを雑えないことこそ他力不思議の正しい受け取り方であると信知するようになるというのである。

 もっとも自力のはからいを雑えないとは何もしないことではない。わずかに一声称えても、それを自分の功績であると思う者を邪見驕慢の自力の行者といわれるのである。 たとえ幾万遍称えていても、一声一声は如来われにあって招喚したまう利他の活動であると領解していることを「利他円満の大行」というのである。不可思議とは、「私の行い」としか思えない事柄が、私の行いではなく「如来の行い」であったと信知するところに開ける世界を表現した言葉だったのである。さらにいえば、古人が、

引く足も称ふる口も拝む手も
弥陀願力の不思議なりけり

と讃詠されているが、まさにそれが利他力という言葉が表そうとしていた領域であったといえよう。


脚註

  1. 本文註:宮地廓慧氏『他力思想展開の一齣』(『親鸞体系』思想編三・一八〇頁)。
  2. 論註 P.97にある、在心(心にあり)・在縁(縁にあり)・在決定(決定にあり)のこと。
  3. 本文註:拙稿「真宗教義学入門」第五三回(『宗報』三七四号・平成九年三月号)。
  4. 原文では『原典版聖典』六八六頁になっているが註釈版に改めた。
  5. 人(左)→物←(右)人
  6. 本文註:拙著『一念多念文意講讃』(八五頁)参照。