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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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:「つつしんで[[真実の証]]を顕さば、すなはちこれ[[利他円満の妙位]]、[[無上涅槃の極果]]なり」 ([[証巻#P--307|証巻 P.307]])
 
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Ⅱ 証明すること。『高僧和讃』には「末代濁世のためにとて [[十方諸仏に証をこふ]]」([[高僧和讃#no62|高僧 P.589]]) →[[証誠]]
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Ⅱ 証明すること。『高僧和讃』には「末代濁世のためにとて [[十方諸仏に証をこふ]]」([[高僧和讃#no62|高僧 P.589]]) →[[証誠]](浄土真宗辞典)
 
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2020年11月14日 (土) 17:14時点における最新版

しょう

  →補註2 (浄文 P.481)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

しょう 証 

Ⅰ 証果ともいう。さとり。さとること。一般的には、 十地菩薩等覚菩薩の得る果をさとりとも説くが、浄土真宗では大行大信の因によって得る究極の仏果をさとりという。すなわち、自利利他円満した境地で、自身の迷いを完全に脱却するとともに、衆生済度が自由自在にできる位をいう。「証巻」 には

「つつしんで真実の証を顕さば、すなはちこれ利他円満の妙位無上涅槃の極果なり」 (証巻 P.307)

とある。→往生還相
Ⅱ 証明すること。『高僧和讃』には「末代濁世のためにとて 十方諸仏に証をこふ」(高僧 P.589) →証誠(浄土真宗辞典)