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まうあふ

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年8月14日 (火) 03:19時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

まうあふ

 あいたてまつる。『一多証文』に「まうあふと申すは、本願力を信ずるなり」とある。(正像 P.608, 一多 P.691, 唯文 P.713))

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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もう‐あ・う[まうあふ]【参逢・値・遇】(「まいあう」の変化した語)
は、出逢う、その時節に逢う。は、チョクと読むときは真っ直ぐにあたることで、チと読むときは、値(あ)う、あたる、あたいするなどの意でぴったり出値い、いきあたること。はたまたまとも訓ずるように、途中で予期せずに、ひょっこり遇(あ)うの意。
まうあふは、平安時代の用語として、「まいりあう」という参上してお目にかかるという尊敬語が変化した語。古語の「あふ」には、こちらが相手に会うのではなく、相手がこちらにやってきて出くわすの意。尊い方などにお会いする。会わせていただくの意味がある。値と遇の用例に、

噫弘誓強縁、多生叵、真実浄信、億劫叵獲。

ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。

獲行信、遠慶宿縁。

たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。(総序 132)

とある。