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嘆徳文

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 本書は、詳しくは『報恩講嘆徳文(ほうおんこうたんどくもん)』と称される。第三代宗主覚如上人(かくにょしょうにん)の著『報恩講私記(ほうおんこう し き)』の上に、さらに重ねて存覚(ぞんかく)上人が宗祖親鸞聖人(しんらんしょうにん)の徳と法門を讃嘆されたものである。  本書には、聖人の行蹟が略述され、その高徳が讃嘆されており、古来、覚如上人の『報恩講私記』(式文)とともに報恩講のとき諷誦(ふうじゅ)されてきたものである。

 その内容は、聖人の博覧は内外にわたっていたこと、聖道(しょうどう)の教えを捨てて浄土真実の教えに帰せられたこと、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』述作のこと、二双四重(にそうしじゅう)教判(きょうはん)のこと、『愚禿鈔(ぐとくしょう)』述作の意趣と愚禿の名のりの意義、流罪化導(けどう)のことなど、聖人の宗義を中心に簡潔に要を得て讃嘆されており、その文体もまた華麗である。


嘆徳文

【1】 それ親鸞聖人は浄教西方の先達、真宗末代の明師なり。博覧内外に渉り、修練顕密を兼ぬ。初めには俗典を習ひて切瑳す。これはこれ、伯父業吏部の学窓にありて聚蛍映雪の苦節を抽んづるところなり。後には円宗(天台宗)に携はりて研精す。これはこれ、貫首鎮和尚(慈鎮)の禅房に陪りて大才諸徳の講敷を聞くところなり。これによりて十乗三諦の月、観念の秋を送り、百界千如の花、薫修歳を累ぬ。ここにつらつら出要を窺ひて、この思惟をなさく、「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ。しかるに一息追がざれば千載に長く往く、なんぞ浮生の交衆を貪りて、いたづらに仮名の修学に疲れん。すべからく勢利を抛ちてただちに出離を悕ふべし」と。しかれども機教相応、凡慮明らめがたく、すなはち近くは根本中堂の本尊に対し、遠くは枝末諸方の霊崛に詣でて、解脱の径路を祈り、真実の知識を求む。ことに歩みを六角の精舎に運びて、百日の懇念を底すところに、親り告げを五更の孤枕に得て、数行の感涙に咽ぶあひだ、幸ひに黒谷聖人(源空)吉水の禅室に臻りて、はじめて弥陀覚王浄土の秘扃に入りたまひしよりこのかた、三経の冲微五祖の奥賾、一流の宗旨相伝誤つことなく、二門の教相稟承由あり。ここをもつて仰ぐところは「即得往生住不退転」(大経・下)の誠説、あたかも平生業成の安心に住し、馮むところは「歓喜踊躍乃至一念」(大経・下)の流通、これすなはち無上大利の勝徳なり。よりて自修の去行をもつて兼ねて化他の要術とす。ときに尊卑多く礼敬の頭を傾け、緇素挙りて崇重の志を斉しくす。

【2】 なかんづくに一代蔵を披きて経・律・論・釈の簡要を擢んでて、六巻の鈔を記して『教行信証之文類』と号す。かの書に攄ぶるところの義理、甚深なり。いはゆる凡夫有漏の諸善、願力成就の報土に入らざることを決し、如来利他の真心、安養勝妙の楽邦に生ぜしむることを呈す。ことに仏智信疑の得失を明かし、盛んに浄土報化の往生を判ず。兼ねてはまた択瑛法師の釈義について横竪二出の名を模すといへども、宗家大師(善導)の祖意を探りて、巧み横竪二超の差を立つ。彼此助成して権実の教旨を標し、漸頓分別して長短の修行を弁ず。他人いまだこれを談ぜず、わが師(親鸞)独りこれを存す。また『愚禿鈔』と題するの撰あり、同じく自解の義を述ぶるの記たり。かの文にいはく、「賢者の信を聞いて愚禿が心を顕す、賢者の信は内は賢にして外は愚なり、愚禿がは内は愚にして外は賢なり」と云々。この釈、卑謙の言辞をかりて、その理、翻対の意趣を存す。内に宏智の徳を備ふといへども、名を碩才道人の聞きに衒はんことを痛み、外にただ至愚の相を現じて、身を田夫野叟の類に侔しくせんと欲す。これすなはちひそかに末世凡夫の行状を示し、もつぱら下根往生の実機を表するものか。しかのみならず、あるいは二教相望して四十二対の異を明かし、あるいは二機比挍して一十八対の別を顕す。おほむね両典の巨細つぶさに述ぶべからず。

【3】 そもそも空聖人(源空)当教中興の篇によりて事に坐せしの刻、鸞聖人法匠上足の内として同科のゆゑに、たちまちに上都の幽棲を出でてはるかに北陸の遠境に配す。しかるあひだ居諸しきりに転じ、涼燠しばしば悛まる。そのとき、驕慢貢高のともがら、邪見を翻してもつて正見に赴き、儜弱下劣のたぐひ、怯退を悔いてもつて弘誓に託す。貴賤の帰投遐邇合掌し、都鄙の化導首尾満足す。つひにすなはち蓬闕勅免の恩新たに加はりしとき、華洛帰歟の運ふたたび開けしののち、九十有回生涯の終りを迎へて、十万億西涅槃の果を証したまひしよりこのかた、星霜積りていくそばくの歳ぞ。年忌・月忌・本所報恩の勤め懈ることなく、山川隔たりて数百里、遠国近国の後弟、参詣の儀なほ煽りなり。これしかしながら聖人(親鸞)の弘通、冥意に叶ふが致すところなり。むしろ衆生の開悟、根熟のしからしむるによるにあらずや。

【4】 おほよそ三段の『式文』、称揚足りぬといへども、二世益物讃嘆いまだ倦まず。このゆゑに一千言の褒誉を加へて、重ねて百万端の報謝に擬す。しかればすなはち蓮華蔵界のうちにして今の講肆を照見し、檀林宝座の上よりこの梵筵に影向したまふらん。内証外用さだめて果地の荘厳を添へ、上求下化よろしく菩提の智断を究めましますべし。重ねて乞ふ、仏閣基固くして、はるかに梅怛利耶(弥勒)の三会に及び、法水流遠くして、あまねく六趣・四生の群萌を潤さん。敬ひてまうす。